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「何をして遊んでいたと思う?」

 ある晴れた、さわやかな朝のことだった。


「たったかたー、たったかたー、たったかたったったー」

 腰の辺りまである草が、音を立てて掻き分けられていく。

「たったかたー、たったかたー、たったかたったかたったったー」

 エースは、肩越しに振り返った。

 その背の高い雑草の先と同じぐらいの位置に、子供の顔はある。

「痛くないか?」

「大丈夫!」

 元気いっぱいの返事に苦笑する。

 庭を埋め尽くさんばかりに生い茂った雑草の中を、エースとエムの二人は歩いていた。草で肌を切るかもしれないので、エムは長袖と長ズボンに麦藁帽子をかぶっている。

 二人の足に踏みしだかれた草の匂いが立ち上る。

「たったかたー、たったかたたたー」

 なんとなく、子供の頃に大声で歌っていた歌を口にしていたら、エムにうつってしまった。たどたどしく、しかし楽しそうに声を上げる。


「色々と危ないものがあるからな。俺もマリア(ねぇ)もいない時に、うちから遠くに行くなよ」

 がさがさと、雑草もそうではないかもしれないものも全て踏み分けながら、エースは告げる。

「あぶないの?」

 きょとん、と、エムは周囲を見回す。(もっと)も、彼女の視界の殆どは緑色の草で塞がれているが。

「地面が、いきなり段差に……あー、崖になってたりするからな。高くても一メートル程度だったりするけど、お前が落ちたら上がってこれないぞ」

 僅かに顔色を青ざめさせて、エムは頷く。落下するかもしれない、という恐怖はもう充分だ。


 やがて、がさがさと草を掻き分ける音が、止んだ。

「着いたぞ」

 エムは前に立つ少年の後ろから、その前方を透かし見た。

 その向こうに見えるのは、太い枝を持つ大木(たいぼく)

 そして、その枝から下がる、太い……ロープ?


「うちのブランコだ」


 にやりと笑んで、エースは背後の子供を見下ろした。



「うわぁ……」

 目を見開いて、少女はそれを見上げた。

 地上三メートルほどの高さにある、両手で掴めないほどの太さの枝に金具で留められた二本のロープは、エムの胸辺りで、厚い板を水平に吊り下げている。見回すと、他にも二つほど、同じような木が近くにあった。

「まだ乗るなよ。何せ、五年以上放ってあったから、壊れてるかもしれない」

 目を輝かせるエムを軽く制止して、エースはロープに手をかけた。軽く、ぐい、と引いてみる。ざわ、と音がして、木漏れ日の模様がゆらゆらと変わった。

 もう一度、強く引く。そしてエースはブランコに腰かけた。

「あー!」

「遊ぶためじゃねぇよ」

 非難の声を上げるエムに苦笑いして、もう随分と低くなってしまった位置から、地面を蹴った。ぐん、と弧を描くように揺れるそれは、しかし危なげない。

「ん。大丈夫みたいだな」

 とん、と足を地面につき、立ち上がる。期待に満ちた目で見上げてくる少女の頭に手を乗せた。麦藁帽子のふちが揺れる。

「まだ駄目だ」

「えー?」

 ぷく、と頬を膨らませるが、しかしエースを動かせはしない。

「草が伸びすぎてるからな。このまま乗ったら、結構痛いぞ」

 腰に巻いた、太いベルトに落としこんでいた鎌を手にして、義兄(あに)はその場にしゃがみこんだ。


 雑草を一掴みずつ、根元から刈り取る。

 すぐにエムが手伝いたがったが、刃物は危険だ。そもそも、一丁しか持ってきていない。なだめすかして、おとなしくさせておく。

 不満そうにエースと周囲を眺めていたエムは、そのうち一本の雑草に手をかけて、ぐい、と引いた。しかし、がっちりと地面に根を張っているそれは、子供の力ではゆらぎもしない。

「んー!」

 口を曲げて、踵を支点に、重心を背後に倒す。

 じわじわと、草の根元の土が盛り上がり始めて。

 そして、ほんの一瞬でそれは抜けた。

「ひゃっ!?」

 バランスを崩した少女は、そのまま後ろに倒れこんで。

 ぽす、と、エースの突き出した掌に、背中を支えられた。

「うぇ?」

 状況が飲みこめてないのか、表情が驚いたまま固まっているエムを、ゆっくりと背中を押して立ち直らせる。

「ありがとうな、エム」

 きょとん、と振り向く子供が目にしたのは、優しく笑いかける少年だった。


 その後、エムがちょこちょこと手伝いつつ、エースはブランコの周囲三メートル四方程度の雑草を刈り取った。

 よ、とかけ声をかけて、固まりかけた脚を伸ばす。周囲を見回して、満足そうに口を開く。

「よし。いいぞ」

 ぱっ、とエムの顔に笑みが満ちる。

 見るからにわくわくした顔で、幼い子供はブランコによじ登った。

 背後に立つエースを見上げる。

「いくぞ。ちゃんと掴まってろよ」

「うん!」

 ロープに手をかけた少年は、数歩そのまま下がり、そして、手を離した。

 ぐん、とエムを乗せたブランコが弧を描く。

 目を見開き、きゃあきゃあと声をあげながら戻ってくる背中を、また、とん、と押す。

「もっと! エースお兄ちゃん、もっと!」

「おぅ。任せとけ」


 久しく聞こえなかった子供の笑い声が、孤児院の空に、高く響いている。







 ある、じめついた雨の朝のことだった。


 エムはあからさまに不機嫌な顔で、談話室の窓から外を眺めている。

「拗ねても駄目だ。雨の日に、お前を自転車に乗せて行くのは危ない」

 呆れ顔で、出かける準備を済ませたエースが声をかけた。

 いつもなら朝食を終わらせてから、彼が仕事に出るまでの間にしばらく遊ぶ時間があるのだが、今朝の雨では外に出られなかった。

 しかも、エースについて街へ出ることも禁じられている。

 義妹(いもうと)はかなりご機嫌ななめだ。

「だいじょうぶなの!」

「だーめーだ」

 何度目のことか、そう言い募るが、しかしその根拠のない主張はエースには通じない。

 頬を膨らませるエムの、柔らかなストロベリーブロンドの髪を撫でる。

「もうそろそろうちの中には慣れただろ。姉貴が寝てる間は静かにな。昼飯は、いつもの奴を冷蔵庫に入れておくから、それを食べろ。ナイフもコンロも電子レンジも使うんじゃないぞ。絶対だ。昼を過ぎたら姉貴が起きるだろうから、それまでの我慢だよ」

「……なでたら言うことを聞くと思ってない?」

 まだむくれた顔で、エースの手が離れた後の髪に、自分の小さな手で触れる。

 小さく笑って、しかしきっぱりと聞く耳を持たずに、エースは踵を返した。

「じゃあ、行ってくる」

「エースの意地悪!」

 背中に追いかけてくる声も、全く気にしないで。



 夕方、いつもよりも暗い玄関に足を踏み入れる。

 雨を吸って重くなってしまった帽子を壁にかけた。

「お帰り、エース」

 ひょい、と、マリア・Bが廊下の奥から顔を出した。

「ただいま、マリア(ねぇ)。全く酷い天気だよ」

 うんざりした顔で、片手をあげる。

「ご苦労さん。コーヒーでも淹れよう」

「ありがと。……エムは?」

 くっきりと床板に水の足跡をつける靴を、脱ぎ捨てる。代わりのものを適当に靴箱から出して履き替えると、エースは廊下を奥へ進んだ。

「まだ寝てるよ」

 にやにやと笑う義姉(あね)に肩を竦める。

 エースが帰宅する頃、エムが昼寝から目覚めていることは多い。

「まだ機嫌悪いのか?」

 靴の中で、靴下が濡れた感触を伝えてくる。失敗した。

「いや?」

 だが、エースの問いかけには、意外な言葉を聞いた、というような顔で見下ろされた。

「ならいいんだけど」

 理由を訊かれないうちに、ごまかす。

 彼はダイニングテーブルに戦利品を置くと、とりあえずタオルを取りに、横手の洗濯室に向かった。

「今日、エムは起きている間、ずっと一人で人形遊びをしていたんだがな」

 一方、マリア・Bは薬缶を火にかけて、その前に立っている。

「ふぅん」

 この家には、今まで住んでいた三十二人の少女たちに愛された人形やぬいぐるみが十数体保存されていた。

 今、それは、エム一人の愛情を受けている。

「で、何をして遊んでいたと思う?」

 姉はにやにや笑いを崩さない。

「人形遊びだろう?」

 あっさりと返した答えは、しかしある意味否定される。

「お店やさんごっこ、だ」

「……は?」


 タオルを頭から被って戻ってきた義弟(おとうと)の前に、熱いコーヒーを差し出す。

「さて、一体何のお店やさんだったと思う?」

「……何でそんなに楽しそうなんだよ姉貴は」

 毛先に雫が溜まり、ぷくりと膨らんでいる前髪の下から、やや半眼になって見詰める。

「妹が家族の仕事を尊敬してるというのは、素晴らしいことじゃないか」

 にこやかに、楽しげに、嬉しげに、建前そのものを告げてくる。

 ……こういう時の姉は、正直、本気なのかそれともからかっているのかが判然としない。

 だがどちらも厄介だ、と結論をつけて、エースは重い息を吐いた。

「これから、あいつをうちに置いておく時間を増やそうかと思ってたんだけど」

 仕事中は、基本的にエムの世話はあまりできない。街へ連れていくのは、うちに慣れてくるまでの間だと、そう考えていたのだ。

「私は反対だな」

 しかし、あっさりとマリア・Bは反論する。

「私が寝ている間、一人で置いておくのは不用心だ。起きた後、あの子が眠ってしまうまで、二、三時間ぐらいしか一緒にいてやれないのも、子供の成長にはよくない」

「そうなのか?」

 思いがけない理由に、問い返す。

「子供には刺激が必要だ。危険、という意味じゃないぞ、勿論。あの子は、世界をどんどん吸収していくところだ。人と触れ合うこと、社会に適応することを学ぶ時期だ。ずっと家に閉じこめて、誰とも接していない状況は、望ましくないと思うな」

 エースは、エムに気を配っていない訳ではない。できる限りのことはやっているつもりだった。

 だが、やはり、将来を見据えて子育てをしていく、というところまでは至っていない。

 マム・マリアがいたとは言え、マリア・Bも、三十二人の血の繋がらない弟妹を共に育て上げたと言っていい。

 二人に比べればまだまだだな、と思って、小さく苦笑する。

「刺激、ねぇ」

 ふむ、と考えこむ。


 スレートの屋根に、叩きつけるような雨音が響いていた。



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