「話し合い、っていうには酷い扱いじゃないか?」
通路を塞ぐまでに成長した、蔓薔薇を見上げる。
今や、茎はエースの胴体ほどの太さになっていた。
薔薇の茎に樹木ほどの密度はないとしても、あれだけ巨大化したのだ。その質量は絶対的な脅威となるだろう。
まして、鋭い棘は長さが三十センチほどにもなっていた。
これが、頭上から落下してきたら。
想像しただけでぞっとして、エースは兄へと身体を寄せた。
Gは、ずっと弟の肩に乗せていた手に、力を籠める。
「逃げ出さなくていいのかよ?」
みっしりと視界を奪った薔薇の向こう側から、イアンが嘲るような声を上げた。こちらの様子がある程度知られているのだろうか。
しかし一歩も引かぬ兄弟の頭上で、ぐらり、と枯れた薔薇が崩れ落ちてきた。
「……転換」
Gが、一言告げた次の瞬間。
彼らを押し潰さんとしていた植物は、姿を消した。
「なに……!?」
見通しのよくなった通路の先で、顔色を失った男が短く叫ぶ。
薔薇は、正確には消えてしまったのではない。
通路の左右の壁、そして天井に『落下』していったのだ。
Gが事前に設定していた重力の範囲は、床だけではなかった。
上下左右、四方全てに強力な重力を発生させる準備をし、そしてそれの発動の有無まで操作してのけたのだ。
イアンの武器である植物は、枯れてしまったら彼の支配を離れてしまう。
ならば、それを除けてしまえばいいだけだった。
ぽっかりと開いた通路は、しかし、いつまでもそのままではなかった。
動揺したイアンは瞬時に立ち直り、Gの能力の及ばない位置で再び蔓薔薇を伸ばし始める。
それは網目のように絡み合い、何重にも立ちはだかる。
「イアン・オライリー。貴方はこのままこの先には進めない。投降し、話し合い、互いによい方向へ向かおう」
幾度目かのGの提案に、しかし彼は首肯しない。
「確かに、お前の能力は強い。だが、それは俺を直接殴れる訳じゃない。ただ、ここに閉じこめるだけだ。それに、一体いつまで維持できるんだ? 一秒も眠らず、便所にも行かずに、何日もこの場所に張りついていられるのか? 俺の持続力についても、資料ぐらいは読んだんだろうなぁ?」
Gが無言で眉を寄せた。
イアン・オライリーは、元傭兵だ。極限状態には慣れている。
彼なら、飲まず食わず眠らずでの数日の緊張状態など、余裕で過ごせるだろう。まして、戦場とはほど遠い、この場でなど。
小さく、息を吸う音がした。
「G。俺が行く」
Gが静かに弟を見下ろした。
少年は眉を寄せ、バリケードと化した薔薇の生け垣を見据えている。
諦めたようにため息をつき、兄は口を開く。
「着地には気をつけろよ」
「ああ」
返事を聞いて、Gは身体を半歩ずらし、エースに道を開ける。
そして、肩を掴んでいた手で、ぽん、と背を叩いた。
エースが、軽く床を蹴る。
次の瞬間、少年は前方へ向けて一気に落下した。
Gの能力は、触れたものに対して重力を付与できるというものだ。
先ほどは、通路の壁と床、天井に力場を設置して、イアンからの攻撃を落下させるように備えた。
そしてもう一つ。
エース自身に、通常かかる下方への重力をやや軽くし、前方への強い重力を与えるという、二方向の能力を加えていたのだ。
Gは、対象に数分間触っていなくては能力を発動できない。
ずっとエースの肩に触れていたのは、重力の調整のためと、自然に落下していかないようにというストッパーの役目であった。
結果、エースは、頭を『下方』に向け、通路の中央、枯れた薔薇が四方に積み重なる隙間を通り抜けた。
ほんの数メートル先に、イアンがつい先刻作り上げた薔薇の生垣が迫る。
これに対して、Gが打てる手は、ない。
唇を引き結び、青年はじっと弟の姿を見据えている。
「……むかつく」
小さく呟いて、エースは両手を前方へ突き出す。
まるで、生垣から身を護るため、無駄な足掻きをするかのように。
そして、彼の掌が異常増殖した薔薇に触れた瞬間。
溶けるように、それは消え失せた。
「なに……!?」
ぽっかりと、緑の壁に穴が空いたのを目にして、イアンが叫ぶ。
男の真正面、宙を飛ぶようにこちらに接近する少年が、思い切り肩を引く。
怒りに満ちた視線が、ぶつかる。
「この……、わからずやのクソ親父が!」
大きく怒声を上げ、少年は落下の加速度に加えて、思い切り拳を振り抜いた。
激しい金属音がして、Gが視線を上げる。
しかし、間に二箇所もの障害物があり、彼は先を見通すことができなかった。
「エース! 無事か!?」
焦れて声をかけるが、返事は返ってこない。
「エース!」
「……大、丈夫だ。この重力って、どうやって消すんだっけ?」
遠くから、呻くような声が聞こえて、ようやく肩の力を抜いた。
「私が触れて解除するか、時間が経過するかだ。イアンはどうしている?」
「あー……。そっか。親父は気絶してるよ。何とかこっちまで来て、重力を消してくれ」
結局エースは、数分かけて薔薇の残骸を撤去したGが呆れ顔でやってくるまで、通路の突き当たりの金属製隔壁に寝転んだまま過ごした。
完全防音の会議室に、彼らはいた。
拘束服を着せられ、更に専用の椅子にベルトで固定されて座る、イアン・オライリー。
エースとGは、その背後に立っている。
三人は、いずれ劣らぬほどに憮然とした顔を並べていた。
「話し合い、っていうには酷い扱いじゃないか?」
「今までの行動を鑑みて苦情を言ってくれ」
「危害を加えないつった癖に、勢いよく殴りやがって」
「こっちは武器は持ってない、って言ったんだ。あと、あんたが言うな」
取りつくしまもない返事に、襲撃者は大きく鼻を鳴らした。
当然、室内からは観葉植物や切り花の類は一切撤去されている。
イアンが抵抗を試みる可能性は、充分ある。
頬にべったりと湿布を貼られていても、だ。
ちなみにエースは、肩や背中に打撲痕があったものの、大きな怪我は負っていなかった。彼も服の下に、幾枚か湿布を当てられている。
「で? これからどんな『話し合い』になるんだ?」
「所長から、一通りの説明がある。もうすぐ来られる筈だ」
Gの返事に、更にイアンは顔をしかめた。
「所長……。あいつか……。また、ねちねち嫌味を言うだけでニ、三時間使うんだろ。あー、今回の仕置は何されんのかね」
ぶつぶつと文句をつけるイアンに、また苛立ちを覚え始めた頃に。
扉がノックされ、開かれた。
入ってきたのは、二人の男女だ。
年齢は、初老の頃。落ち着いた雰囲気のスーツに、身を包んでいる。
「…………は?」
ぽかん、と口を開いて、イアンは零した。
その前に立って、男の方が口を開く。
「〈神の庭園〉の現在の所長を務めている。ハワードだ。こちらは、副所長のエリノア」
「はぁあああああああ!?」
防音室の中に、ひとり取り残されていた男の驚愕の叫びが響いた。




