「……ひょっとして、怒っているのか?」
速やかに避難区域へ向かうように、という指示に、エースは断固として従わなかった。
「何が起きてるのか判らない場所にいたくない」
そう言い張る少年に、Gは困ったような視線を向ける。
エースの自宅には、過剰とも言えるほどのセキュリティが敷かれており、実際にそれが稼働するところもGは目撃している。
だが、それを扱うのは、エースとその義姉の二人だけである。この〈神の庭園〉は、規模が違う。
このような危機に対処する専門の職員がおり、それ以外の者たちは、邪魔にならないようにして貰わなくてはならない。
研究所のセキュリティに関わっていないエースは、早い話が邪魔者だった。
しかし、数回押し問答して、Gは潔く説得を諦めた。
この弟の頑固さは、もうよく判っている。
それに、気持ちとしては自分も同じだ。
Gとエースが訪れたフロアは、酷く騒がしかった。
それも当然だ。ここは、警備の中心、施設の至るところに設けられた監視カメラの情報が集約する場所だ。
廊下に並ぶ扉の一つが開け放たれ、内部に大勢いることが外からでも判る。
それは、イアンのいる棟の担当部屋だった。彼らの目的地でもある。
Gは僅かに眉を寄せ、戸口から中を覗きこんだ。
「ルイス!」
その声に、部屋の奥にいた一人の青年が振り向く。
「G。どうしてここに?」
「気になったんだよ。どういう状況だ?」
問いかけると、手招かれた。人を掻き分けて、二人は奥へ進む。
部屋の奥の壁は巨大なモニターになっていて、画面を幾つも分割された中にカメラの映像が映し出されていた。
流石にここは、立体映像対応ではない。
「聞いたら戻れよ。……最初に異変があったのは、イアンのいた部屋だ。今は、映像が切れている」
ルイスが指差した先には、黒く塗りつぶされた画面が幾つかあった。
「カメラが壊されているんだ。イアンの部屋から、順次廊下を進んでいっている」
「職員は?」
「最初の画面が消えた時点で、避難させた。ただ、イアンのチームリーダーの行方が掴めていない」
眉間に皺を刻んで、ルイスが告げる。
「原因が何か、判ってるのか?」
Gの言葉に、手元にあった大きめの端末を引き寄せた。画面を操作して、こちらへ見せてくる。
「イアンの部屋のログだ。二人の職員が、彼を運び出そうとしていて……」
手際よく、男の身体を寝袋のようなものに包もうとしていたところで、何の前触れもなく、画面は一瞬で黒く変わる。
「彼に、移動の予定が?」
「それはない。あれは、〈神の庭園〉の意思じゃないだろう」
「つまりスパイか」
決めつけるのは公正ではないが、大きく外れていることもないだろう。
次々に壊れていくカメラのログを見せられる。どれもこれも、直前まで何の予兆も見られず、突然機能を停止させている。
「……あれ」
途中で、エースが小さく呟いた。
「どうかしたのか?」
「何となく、なんだけど。ちょっと、緑色が見えないか?」
施設の内部は、基本的にコンクリートの打ち放しだ。内装が施されていても、それもほぼ無彩色に近い。
僅かに視界をよぎっただけの緑が、その中では酷く目立って見えた。
「緑!?」
その言葉に、周囲の職員たちが過敏に反応する。
「確かか!?」
「巻き戻せ! 早く!」
周囲から覗きこまれて、彼らに比べると小柄なエースは思わず身を縮める。
何度か一時停止を試みて、画面の隅にぼやけた緑色が確認できた。
「何だと思う?」
「……エラーかな」
「……だったらいいんだが」
何だか弱気な意見が出てくるのに、首を傾げた。
「何だろう。棘、か? ここ」
ちらりと映っている、ぼんやりとした突起を指差す。
「棘!?」
「確定っ!?」
「いや待て落ち着け、あの棟は植物厳禁だった筈──」
「え?」
職員達が騒ぎ出すが、兄弟が揃って疑問を口にすると、ぴたりと止まった。
「え? て?」
「いや、植物厳禁って、何のことだ?」
「ここしばらく、あそこに見舞いの花を飾って貰ってたんだが」
Gとエースは、イアンの部屋を見下ろすカメラに映る、小さな花瓶を示す。
そこに飾られているのは、数本の細い薔薇だ。
一瞬の沈黙の後、管理室が絶望の叫びに満ちる。
「何で! 誰が許可したんだよ!」
「え、チームリーダーとか」
「あの阿呆ッ!」
「警戒レベルを最大まで上げろ! ヤツは武器を持ってる!」
ばたばたと、周囲の騒ぎが拡大していく。
「一体何が……」
「お前たちには、知らされてなかったか」
渋い顔をした、壮年の男が声をかけてくる。
「イアン・オライリー。あいつの能力は、〈育成〉。……植物を、意のままに操る能力だ」
「……所長に要請を」
Gはルイスに声をかける。
「え? ああ、報告はもう行っていると思うが……」
「違う。私が出よう」
僅かにネクタイを緩め、長子は静かに告げた。
「G!」
驚いて、エースが兄を見上げる。
「誰か、エースを避難区域へ」
「待てよ! 出る、って」
「戦闘訓練は積んでいる。……こういう時のために」
僅かに苦い顔になったが、すぐにGは踵を返した。
「待てって!」
先に進むGの、臙脂色の袖を掴む。
どのみち、この棟を出るまでは同じ道筋だ。エースを送り届ける職員は、少し後ろをついて来ている。
「待たない。事態の収拾は急務だ」
早足で廊下を歩く間も。
「だからって、何であんたが」
「彼には、通常の武器は通用しない。被害を抑えるなら、私が適任だ」
エレベーターで降りていく間も。
「こういう時の為に、警備があるんじゃないのか?」
「こういう時の為に、私がいるんだ」
エントランスを横切り、玄関の扉が開く間も。
Gは、エースの顔を直視しなかった。
「私たちは、彼を止める為に生まれたんだから」
「……じゃあ、俺も行く」
しかし、道路を歩き始めたところでそう言い切られて、流石にまじまじと弟を見下ろした。
「無茶を言うんじゃない」
「俺も、そうなんだろう?」
少しばかり話しすぎた。内心舌打ちして、Gは眉間に皺を寄せる。
「君はまだ、能力が使えない。一緒に行くのは無理だ」
「だけど、あんたの弟だ。これが、家族で解決しなくちゃいけないことなら、俺が行くのは当たり前だろう」
「そういう意味じゃないんだけど」
軽く当惑したGを、じっと睨め上げてくる。
エースはいつだって明るく前向きで、しかし真面目な顔だってよく見せていた。
だが、今、彼が浮かべている表情は。
「……ひょっとして、怒っているのか?」
Gの問いに、エースは滑らかに返す。
「怒ってるよ。あんただって、そうだったんじゃないのか?」
その建物は、全ての開口部を強化シャッターで封鎖されていた。
十数メートルの空白地帯を設け、武装した警備隊員たちが包囲している。
「さて、行くか」
正面玄関の前、庇の作る影の中に、兄弟は一歩踏み入った。




