「……君が楽しんだなら何よりだよ」
しばらくの間、エースは頻繁に〈神の楽園〉に通うことになった。
他の兄妹たちも、努めてしぃの傍にいるようにする。
職員に、しぃへの警戒心があったとしても、研究対象である兄妹に関わらない訳にはいかない。
それに、万一のことが起きたとしても、彼らがいるなら被害を最小限にできるのではないかという期待もある。
それを逆手に取ってでも、しぃをこの組織になじませなくてはならなかった。
「何で、夕飯が大皿料理なのよ?」
「たまにはいいだろ。少人数の兄妹でないとできないからな」
「C、肉を残さない。エムだって食べているんだから。エムは野菜を残さないで」
「……はい」
「はぁい」
「しぃお姉ちゃん、ご本読んで!」
「……これ、知らない本」
「あのね、電車に乗ってお使いに行くの。電車、乗ったことある?」
「ない」
「エムも!」
「ほら、バラしたら面白くないでしょ。一緒に読みなさいな」
「ちょっと! あたしの上着、勝手に着ないでよ!」
「寒かったから」
「……そういえば、そろそろ冬服用意しなくちゃね。そうだ」
「……で、何で俺たちがつきあわされるんだ?」
不思議そうに呟く弟に、Gは苦笑する。
『似合うかどうか、意見が聞きたいのよ』
まるで同じ部屋にいるかのように、アイの声は聞こえる。
実際には、彼女たちの部屋と、エースの部屋を通信回線で繋いでいるのだ。
『じゃあね、最初はこれ!』
ぱっ、と、目の前に三人の妹たちが現れる。
全員、トップスは明るいブラウン、ボトムスは深い紺でまとめている。
アイはフリルのついたカットソーにミニスカート、エムはリボンを左右の裾につけたセーターとキュロットスカート、しぃはプリーツの入ったゆったりしたブラウスに細身のパンツだ。
「お揃いだね」
「へぇ。いいんじゃないか」
好意的な驚きに、三人はやった、と顔を見合わせる。
『えっと、次は?』
『これ可愛い!』
『エムに似合いそう』
華やかな声をあげながら、次々に衣装を変えていく。
これは、通販会社が始めた、[ヴァーチャルファッションショー]というサービスだ。
カタログに載っている服を、実際に着てみた姿で立体映像化する。色合いや、個人の着用時の見た目をチェックできるのだ。
流石に着心地、肌触りまで実感するのは無理だが、使用者の体のサイズを登録しており、服が小さければエラーが出るので、失敗が少なくなる。
しかし、時間を気にしなくていいとなると、女性の熱意は際限がなくなるものだ。
「……で、何で俺たちがつきあわされるんだ?」
一時間後、流石に疲れた顔で、エースは呟いた。冷蔵庫からジュースを取り出すと、一本をGに渡す。
『もー! 傍で頷くぐらいのこと、つきあいなさいよ!』
「傍じゃねぇだろ」
女子寮には立ち入れないのだから、仕方ないが。
「そもそも、何でそんなに服が要るんだ? 去年からそんなに育ったのか?」
『口に気をつけなさいよ、エース』
不吉な口調で、アイが睨みつける。
「ああ、すまん。エムは育ってるかな」
気がついてきちんと訂正した言葉に、アイはつん、とそっぽを向いた。
「Cの服がないからね。買わないと。それに、女性服は、毎年流行が変わるから。去年の服は流行遅れで着たくない、なんてことはよくあるんだ」
「へぇ。大変なんだな」
Gの説明に、少し驚く。
「必要経費だからね」
少しばかり諦めたように、兄は返す。
孤児院への寄付は、勿論、そのシーズンに買ったものが来ることなどは稀だ。
義姉たちは、いつも流行から外れたものを着ていたのかな、と、ふと思う。
今、彼女たちは全員自立した。好きな服が買えていればいい、と、エースは願う。
『これは?』
不思議そうな声を、しぃが上げる。
『ああ、これは……』
説明しかけて、アイが口をつぐんだ。悪戯っぽい視線を、伏し目がちにこちらへよこす。
『じゃーん!』
張り切った声と共に現れた姿に、兄弟は揃ってジュースを吹いた。
『わーい! やったやった!』
「おま……、なに」
『どう、エース……。ぐっとくる?』
「待て、ちょ、っと、待て」
『エースお兄ちゃん! 可愛い?』
「あーうん、エムは可愛いな、うん」
律儀に一通り対応して、エースは俯いたままむせている兄の背を叩いた。
きゃあきゃあと騒ぐ妹たちの服装は、一変していた。
フリルやレースがふんだんに使われた、ミニスカート。揃いのトップスは、半袖。肘から先の手袋は、フェイクファーで覆われ、掌にはピンクの肉球がついている。同じデザインの足首までのブーツ。頭の上には、ふわふわのファーが三角形に立っていて、背後にはゆらゆらと長い尻尾が揺れている。
色は、白、黒、ピンクと、三者三様だ。
「……で、何の格好だそれは」
『えっとねー。[ゴスロリ☆にゃんにゃん]? 企画ページにあったの』
「何の……企画なんだ……」
ようやく持ち直したGが、呟く。
『だって、もうすぐハロウィンじゃない!』
ああ、と、男衆が得心の声を漏らす。
Gはもう成人している。ハロウィンを心待ちにしていなくても不思議はない。
『でも、何でエースがぴんとこないの?』
不思議そうに、アイが訊いた。
「うちは教会が経営母体ってことになってるからな。ハロウィンを楽しんだことなんてないよ」
肩を竦めて、エースは告げた。
ハロウィンの起源は、キリスト教が広まる前の風習からきている。死者たちの霊がこの世に戻ってきて、数多の魔女や悪霊、怪物たちが騒ぎ立てると言われている。
それらから身を隠すために人々は仮装し、死者の霊を慰める菓子を乞うて回った。
しかし、現地宗教を否定する立場であった教会は、ハロウィンを祝祭として認めない。
「それに、まあ、俺たちは街の皆には受け入れられてなかったからな」
ハロウィンにわく学友たちを横目に、まっすぐ帰宅した日々を思い返す。
孤児院にいるのがマリア・Bとエースだけになり、二人が街で仕事を始めて、ようやく黙認されたようなものだ。
自嘲気味に話し終えて、周囲の空気の変化に気づく。
「……どうした?」
『G。今年のハロウィンパーティーの規模は?』
「稟議を上げておく。大丈夫だ」
「おい?」
『エース。私も、始めてだから。……一緒に楽しもう?』
「ん? おぅ」
『一緒にお菓子、貰いにいこうね!』
「ああ。そうだな」
何となく、の気遣いを感じ取れない訳でもなく、エースは戸惑いつつも、笑んだ。
「でも、そうか。ハロウィンか……」
「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!」
ハロウィン当日の夕方、子どもたちは職員寮の部屋を巡っていた。
この日ばかりは、異性の寮への立入禁止は解かれている。
「あらあら、可愛いおばけさんたちね」
図書室の司書のモニカが笑う。
流石に、例の[ゴスロリ☆にゃんにゃん]の衣装を三人が着ることはなかった。稟議が下りなかった、とも聞いている。
「もう、おばけじゃないわよ! 魔女と、吸血鬼と、ジャック・オ・ランタンよ!」
膨れて、アイが抗議する。モニカがごめんごめん、とまた笑った。
アイが箒を持った魔女、しぃがマントを纏った吸血鬼、そしてエムが紙製のカボチャのランタンを持っている。
「……で、エースくんは?」
「おばけだ」
目の位置に穴を空けただけの白いシーツを被ったまま、胸を張る。
「いえ、それじゃなくて、何を持ってるのかな、って」
「これか?」
エースは、首にベルトをかけ、浅い箱を体の前に下げていた。その中には、可愛らしく包装された小袋が沢山積まれている。
「ハロウィン用の手作り菓子だ。もしも用意してなくても、これで悪戯は怖くないぜ?」
「エースくん……」
「まさか可愛い子供たちをがっかりさせないよな?」
「そういうお小遣い稼ぎはやめなさいってば」
モニカは疲れたように肩を落とした。
「じゃあ、三人分ちょうだい。で、こっちはエースくんに」
苦笑して、彼女は子供たちにそれぞれお菓子を手渡した。エースに、と渡されたのは、あらかじめ用意されていたものだ。
「……俺もか?」
「当たり前でしょ」
全員から温かい視線を向けられて、少々いたたまれなくなる。
顔が露出していない仮装なのが幸いだった。
「ありがとう、モニカ。また、本を貸して」
しぃが、まっすぐに顔を見て、告げる。
「勿論よ。いつでもいらっしゃい」
しぃが今までいた研究所には、同じような年頃の子供はいなかった。そして、想像力を養うためとして、本は大量に与えられていたという。彼女は、〈神の庭園〉でも、自然と図書室に通うようになっていた。
モニカも、しぃが来た最初の頃は腰が引けていたが、割と早く彼女と仲良くなった一人だ。
「さ、早く行かないと、みんなパーティーの準備を始めちゃうわよ」
夜には、職員全てが参加するハロウィンパーティーがある。
急かされて、四人は次の部屋に向かった。
「ハッピーハロウィン!」
パーティー会場には、大人げないクオリティの仮装が集結していた。
「みんな、ずるーい」
予算を抑えざるを得なかったアイがむくれる。
「彼らは自分のお金で用意してるんだから、我慢しなさい。稼ぐようになってから、豪華にするんだね」
タキシードを着て、顔の半分ばかりを包帯で巻いた男が宥める。
「G」
「楽しんでいるかい?」
手に手に料理の皿とジュースのグラスを持った子供たちを見渡す。
「ああ。結構な売上だったぜ」
「……君が楽しんだなら何よりだよ」
まんまと彼から菓子を買うことになった兄が返す。
流石にパーティーでシーツを被ったままという訳にもいかず、エースはそれをマントのように羽織り、首元で端を結んでいた。
既に仮装ですらない。
「Cは?」
「任務完遂。みんなと話した」
心なしか満足そうに、吸血鬼はばさり、とマントを翻す。
各部屋を回る時に、しぃが職員たちと個人的な会話を交わす。
それが、今日の彼らの課題だった。
しぃを避けている職員たちは、彼女に関する情報が古い。
どれほどここに馴染んだか、どれほどこの施設の人間に気を許しているか。
それを、個別に、イベントの高揚感に紛れて彼らに印象づけたのだ。
手応えは悪くなかった。時々声をかけてくる職員たちからは、警戒心が少し抜けている。
「まだ、これからだけどね」
水を差すように、アイが口を挟んだ。
「頑張る。アイ。色々ありがとう」
正面からそう告げられて、金髪の少女は目を見開いた。
「え、そんな、あたし大したことしてないし……」
慌てて否定するが、周囲の兄弟や傍にいた職員たちの視線に顔を赤らめる。
「もう! エム、あっちのケーキ取りに行きましょ!」
そっぽを向いて早足で去っていくアイの後ろを、当たり前のようにしぃはついていった。
 




