「嘘ばっかり……!」
マリア・ブライアーズは、その人生で、信じるものを尽く失ってきた。
両親と叔父を亡くした。
最も親しい大人であるべき、父親のパートナーは、彼らを裏切った。
人の力も、金の力も、権力も、全てが当てにならない、と思い知らされた彼女が、最終的に縋った力とは。
武力、だった。
「強くなりたいの」
サムウェルがそう相談されたのは、彼女が十ニになる歳だった。
さて、と男は考えこむ。
格闘技を教える場所など、この田舎町には存在しない。
しかも、マリア・Bは、その時点では街から外には出ることができなかった。よって、他の街に習いに行くこともできない。
そもそも、肉体を鍛えて、彼女の望みは満たされるのか。結局のところ、マリア・Bが何に打ち克ちたいのかが大切なのだ。
サムウェルには、若い頃、軍にいた経験があった。
彼は、不可触であることをいいことに、孤児院の敷地の奥に射撃場を作りだす。
まずは拳銃の扱いから、マリア・Bに教えこむ。女性向けのものから始めたが、それでも彼女の手には大きかった。
勿論、体力もつけない訳にはいかない。
子供に合わせて加減はしたものの、まだ幼い少女には過酷なトレーニングだった。
しかし、マリア・Bは、弱音も吐かずにそれに従った。
拳銃に続き、アサルトライフル、ショットガンなどの銃器も仕入れ、扱いを学んでいく。
やがて彼女は、孤児院の防衛のため、対人地雷を設置したり、最新のセキュリティを導入し、ここを文字通り触れることのできない土地に作り上げたのだ。
そういった志向から、マリア・Bは、十六歳になった年に、アウルバレイにある警備会社に就職した。
今は、ヒギンズ家の警備を夜間に担当していたりする。
顔を合わせる度に、当主は少々嫌な顔をするが、マリア・Bの知ったことではなかった。
サムウェル・ダルトンは、マリア・Bが独り立ちするのを見届けるように、彼女が十六歳のその冬に亡くなっている。
長い話が終わり、室内は沈黙に包まれた。
「夜の、仕事って……」
小さな呟きが漏れる。
「夜の仕事だな。夜勤だから」
「違うと思う……」
アイが、騙されたと声高にも言えず、眉を寄せる。
「大体、警備員としてのお仕事に、どうして毎日あんなに着飾っていくの?」
腑に落ちない、という顔で、更に尋ねる。
真顔で、マリア・Bは口を開いた。
「趣味だ」
「何の!?」
即座に問い質されて、完全武装した女性はうっすらと笑む。
「まあ、それは半分冗談だ。女なんかにこの仕事は勤まらない、と言った奴への嫌がらせと、あと、普通はドレスアップした女が警備員だなんて考えないからな」
まあ、街の人間にはバレてるんだが、と、続ける。
「……ブライアーズ家が失脚して、確かに組織は随分変わった。ラッカム教授と、マリア・エインズワースが子供を二人連れて失踪したこともあって、方針がかなり緩和されたのだ。今では、あの頃のような研究はされていない」
言い訳のように、サー・ハワードが口を開く。
「ブライアーズ家の一人娘が、アウルバレイの孤児院にいることも、あの当時に情報は流れてきた。決して、関わってはならない、と。思えば、ラッカムたちの捜索時にこちらを考えなかったのは、そのせいもあったかもしれん」
「今は、関わってもいいのですか?」
不思議そうに、Gが訊く。彼は、エムを捜索する時と、エースを〈神の庭園〉に連れて行く時に、孤児院との交渉を担当した。研究所の思惑に、疑問を持つのも無理はない。
「あれから十五年だ。我々も、また随分変わった。……貴女が、約束を守っていてくださるおかげですよ」
視線をマリア・Bに向けて、つけ加える。
相手は、訳ありげな笑みを崩さない。
年長者たちにだけ判る会話に、他の者たちが首を傾げた時に。
「嘘ばっかり……!」
押し殺した声が、漏れた。
視線が、一点に集中する。
ソファに横たえられた少女が、僅かに顔を上げていた。
目隠しをされているために、完全に表情は見えないが、とても好意的であるとは思えない。
「何が嘘だ?」
照準を合わせてはいないものの、拳銃を両手で握って、マリア・Bが問いかける。
一気に緊迫した空気に、その場の大抵の人間は怯んだ。
「主は、私を救ってくれたのよ。神の庭園は、私たちを実験動物としか思ってない。薬で思考を奪ったり、身体を切り刻んで、クローンを作ったり!」
「いや、十五年前でもそこまではしておらんが」
少し呆れたように、ハワードが返す。
「他人に私たちの肉を食べさせて、能力を感染させたりとか」
「やる訳がないだろう、非科学的な!」
今までは冷静に対処してきた男も、流石に激昂する。
こちらに矛先が来ないと踏んだか、マリア・Bは片手を銃から離した。
「嘘よ、だって、マスターは……」
それでもまだ言い募るしぃに、近寄る人影があった。
彼女は床に膝をつくと、そっと少女の肩を抱きしめる。
「なに……!?」
驚いて身じろぎするが、マム・エリノアはその腕を離さない。
「C。貴女、そのマスターが大好きなのね」
「……私……、だって、マスターは恩人だから」
「ラッカムは、貴女に優しかった?」
「マスターは、私を救けてくれたもの。酷いところから救い出してくれて、酷い人たちから護ってくれたもの」
ハワードの眉間の皺が深くなる。だが、彼は口を出さなかった。
「だから、私、その恩返しをしなくっちゃ……」
言葉が、詰まる。
マム・エリノアは、ゆっくりとしぃの髪を撫でた。
「貴女はとても、真面目で責任感のある、いい子ね。C。でもね」
「恩人だからって、嫌いになっちゃ駄目ってことは、ないのよ」
しぃの身体が、びくりと竦む。
「駄目……、そんな、恩知らずな」
「嫌いになっていいの。嫌なことは嫌だって、言っていいの。違う場所で、生きていいのよ」
「だって……、だって!」
自由の効かない身体で、しぃは無理矢理顔を背けた。
元より、表情は見えない。
だが、なんとなく予想がついた。
「……エースに、会いたかった、のは、ほんとう……」
やがて、掠れた声で、小さく呟く。
そっと、マム・エリノアは、更に少女を抱きしめた。
「お帰りなさい、C。貴女のことを、私たちはずっと探していたのよ」
すすり泣きの漏れる中、マリア・Bは視線をもう一人の責任者へ向けた。
「サー。今夜の事故による被害の損害賠償について、ちょっと話し合いましょうか。別室で」
ハワードが、小さく肩を竦める。
「よかろう。お手柔らかに頼むよ、マリア・ブライアーズ」
「エース!」
翌朝、仕事場であるアウルバレイの広場で、エースは唖然として自転車を停めた。
親方のバンのすぐ傍に、金髪の青年が立っている。
「若旦那……。何で」
「何でも何もないだろう、昨日は一体」
「あー、その話ならちょっと待ってください」
尋ねておきながら、あっさりと返事をあしらって、視線を親方に向ける。彼は、酷くいたたまれない顔でパーシヴァルの近くに立っていた。
「ごめん、親方」
「いや。いつもの通りでいいな」
一言で伝達事項を終わらせると、男はエースから自転車を奪い取った。
「あ、親方!」
エースの声に反応も見せず、ぎいぎいと漕ぎながら去っていく。
「……自転車、ちょっと調子悪いんだけどな」
昨夜、橋の上に投げ出していった時に、どこか歪んだらしい。まあ、いきなり壊れはしないだろう、と決めつけて、パーシヴァルに向き直る。
エースの要請通り、うずうずと待っていたパーシヴァルの側には、いつの間にかケイトが控えていた。
変わらないな、と、まるで長い間会っていなかったような感慨が湧いて、苦笑する。
「すみません、若旦那。で、何ですか?」
「いや、だから昨日の話だ、エース! 警報が鳴り響いて、爆発音も何度も聞こえたぞ! 何があった?」
勢いこんで問い質す言葉を、バンのドアを開け、仕事の準備の片手間にエースは聞く。
「あちらで何があっても、ヒギンズは関知しないんでしょう?」
珍しく、やや冷たい表情で、エースは突き放した。
「う、や、それはそうだが、しかし」
もごもごと言葉を濁すパーシヴァルに、そんな顔も長くは保たず、小さく笑う。
「心配いりませんよ。みんな、無事です。……ああ、でも、姉貴の車が壊れちまったから、出勤が大変になりそうですね」
ぱっ、と、青年の表情が明るくなる。
「そうか! よし、じゃあ、私が迎えに行くことにしよう! ケイト、車を出せ!」
「マリアの出勤まで何時間あると思ってるんですか」
踵を返し、広場を突っ切ろうとするパーシヴァルの後ろから、呆れた顔でケイトが進む。
今夜、ヒギンズ家で、マリア・Bが色々問い詰められるだろう事を思って、少々気持ちが沈む。
何より、昨夜の騒動の原因は自分だ。
だが、まあ、マリア・Bなら詰問や嫌味は慣れているし、上手く対処もできるだろう、と、エースは薄情にもすぐに気持ちを切り替えた。
 




