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僕らは楽園《エデン》に生えている  作者: 水浅葱ゆきねこ
アウルバレイの広場

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42/57

「誰かいるの?」

 マリアがブライアーズ孤児院に来て、二ヶ月ほどが過ぎた。

 秋の祭りも終わり、山裾の谷間にあるこの地は日に日に寒さを増してきている。



 孤児院は、ゆっくりと崩壊してきていた。

 マリアと、妹たちの絆は深まった。共に互いを、孤児院の存在を守ろう、という気持ちに嘘はない。

 しかし、子供というものは易きに流れる生き物だ。

 掃除はおざなりになり、洗濯物は溜まる。それに文句を言う者もいて、小さなごたごたが起きる。

 だらだらと生活する子供も、一人や二人ではない。

 サムウェルも、段々とそれに慣れつつある。

 元々、現役時代は激務で、家のことなど家政婦に一任していた。関心は薄く、この孤児院の状態にも、危機感はあまりない。





 それは、暗い嵐の夜だった。

 強い風が、窓枠をがたがたと鳴らし、魔物の鳴き声のような低い音と共に吹き抜けていく。

 不安に怯えながら、子供たちはいつもより早くベッドに入った。

 マリアも、温かい毛布の中でぼんやりと外の音を聞いていたのだが。

 ドアを、気弱にノックする音が聞こえた。


「泣き声?」

 きょとん、として、そう繰り返す。

「ベスが聞いたって」

「聞き間違いじゃないの?」

「聞こえた、って言い張って、怖いって泣くのよ」

 これは、真偽がどうこうという話ではない。

「判った。サムおじさんに連絡して、見てきて貰うから。安心してベッドに戻りなさい」

 電話をかけてくる、と言って、下階に降りた。

 固定電話は、修道女(シスター)たちの執務室にある。だが、一人になって彼女が取り出したのは、自分の携帯端末だ。

 他の子供に羨ましがられるため、普段は隠し持っている。

 両親の死後、解約されてしまっていて使えなかったが、サムウェルが再び契約してくれた。

 何か非常事態があるかもしれないから、と。

 そのサムウェルに電話をかける。

「おじさま? 遅くにごめんなさい。外で、子供の泣き声がしたっていうの。ううん、私は聞いてないんだけど。ちょっと、気を配っておいてもらえるかしら」

 話しながら、壁際のロッカーをそっと開く。

 僅かにかび臭い空気が漏れる。中には、雑多な道具に紛れて、懐中電灯や半透明の雨具が入っていた。

 通話を切ると、その雨具を羽織る。

 マリアは、勝手口から外へ出た。


 びゅうびゅうと吹き荒ぶ風は、想像以上に冷たい。

 寝間着に雨具を羽織っただけ、という服装に少しだけ後悔する。

 だが、マリアはそのまま足を進めた。

 ベスの部屋は、建物の西の端だ。

 風は、山から吹き下ろしてくる。

 暗闇の中、足元だけを頼りない懐中電灯の光で照らして、進む。

 爪先が、指先が、身体が酷く凍えてくるが、こんな嵐の夜に一人で外にいる、という状況に、気持ちはただ高揚する。

「コヴィントンのばかー!」

 悪戯心が生じて、大声で叫ぶ。

 おそらく遠くまで届くことはなく、少女の声は風に散った。

「ヒギンズのばかー! パーシヴァルのばか! ばーかばーか!」

 全く語彙の足りないまま、ただ衝動のままに罵倒する。

 ひどくすっきりした気分で、マリアは満足そうに息をついた。

 次は歌でも歌ってみようか、と思ったところで。

 左手の方向で、がたがたと何かが揺れる音と、か細い泣き声が、聞こえた。


 懐中電灯をそちらに向ける。

 照らし出されたのは、数メートル離れたところに建つ、小屋だ。農家が物置に使っていたものだろう。

 がたがたという音は、風が建具を鳴らす音かもしれない。

 泣き声も、風の通り過ぎる音かもしれない。

 しかし、マリアは足をその物置に向けた。

 そろりと周囲を歩いてみる。木製の扉を見つけ、ゆっくりとドアノブを回してみた。

 扉には、鍵がかかっていない。

 静かに扉を引く。小屋の中は、まっ暗闇だ。

 ぐるりと懐中電灯を回してみた。雑多な、農機具らしき機械や、木の樽、麻袋のようなものがぼんやりと浮かび上がる。

「誰かいるの?」

 声が、震えてなければいい。

 そう願うほどに、心臓は大きく脈打っている。


「女の子?」

 か細い呟きが、嵐の中で、確かに聞こえた。


「誰?」

 問いかけには、何も返ってこない。

 もう一度、懐中電灯で内部を照らす。しかし、不審なものは見えない。

 先刻(さっき)の声は、女性のもののように聞こえた。

 意を決して中に踏みこみ、扉を閉める。嵐の音が、格段に小さくなった。

 濡れて、額に貼りつく前髪を後ろへ撫でつける。身体を揺さぶる風雨がないだけで、随分と楽だ。

「ここはブライアーズ孤児院の敷地の中よ。嵐で迷ってしまったのなら、一晩、ベッドをお貸ししてもいいわ。こんな小屋、いつ吹き飛ぶか判らないもの」

 少しばかり、軽薄な少女の口調で話しかける。その(じつ)、彼女は目と耳に神経を集中させていたが。

 ニ、三分は、反応はなかった。

 マリアは、入り口近くで、落ち着きなく身体の向きを変え、懐中電灯の灯りをあちこちに向けていた。

 いつ見つかるか判らない、という焦りを誘えれば、と思ってのことだ。

 その思惑が当たったのか、か細い声が、小屋の奥から発せられた。

「黙って入ったことは、申し訳ないと思っているわ。お願い、明日の朝まで、ここに居させて貰えないかしら。電車が動いたら、出て行くから」

「朝まで? 無理よ、こんなところで。貴女、こんな天気の中にいたなら、びしょ濡れなんじゃないの?」

「大丈夫よ」

 その返事は、明らかに強がっていた。

「大丈夫じゃないわ。貴女には、乾いた毛布と、温かい紅茶が必要よ。それに、赤ちゃんにもね」

 相手は息を飲んだようだ。

「……どうして」

「泣き声が聞こえたのよ」

 ハッタリだ。自信満々に聞こえるように、と願う。

「……そうね。貴女の言う通りだわ。この子に、紅茶は必要ないけど」

 がたん、と、何かを押しのける音がする。慌てて、マリアはそちらの床を照らした。

 みるからにごつい靴が、光の輪の中に現れた。

 そして、暗い迷彩柄のズボン。

 上半身は、濃いグレイの、ポンチョのようなものを身につけていた。撥水性らしく、その表面を水滴がぽたぽたと流れ落ちていた。身体の胸部と背面が不自然に膨れている。

 フードの下から覗く顔立ちは、まだ若い。二十歳を幾らか過ぎたくらいだろう。

「赤ちゃんは?」

 戸惑って尋ねる。彼女は、苦笑して、片手をそっと胸部の膨らみに乗せた。

「ここよ」

 随分と静かだ。眠っているならいいが、と思って、マリアは携帯端末を取り出した。

「あ、私はマリア・ブライアーズ。貴女は?」

 その問いかけに、侵入者は僅かに目を見開いた。

「……マリア。マリア・エインズワースよ」

 同じ名前、と知って、マリアも相手をまじまじと見る。

「じゃあ、貴女がマリア・Aで、私がマリア・Bね」

 くすくすと笑って、マリア・Bはサムウェルを呼び出すために電話帳を開いた。



 車で迎えに来たサムウェルは、マリア・Aを孤児院へ連れて行くのには難色を示した。

 子供たちを起こしてしまうから、と言いはしたが、女性とは言え身元のはっきりしない相手を、眠っている大勢の子供がいる建物へ入れること、そして自分はその場に居られないことを考えたのだ。

 結果、彼らはサムウェルの家へ向かった。

 居間にはヒーターが入っていて、身体が冷え切っていたマリア・Bは、生き返った心地だった。

 一度席を外し、タオルや着替えを取って戻ってきたサムウェルは、ポンチョを脱いで、その下につけていたらしいスリングをゆっくりと揺らしているマリア・Aと目があった。

「子供は、そこに?」

「ええ」

 小声で言い交わす。マリア・Bが爪先立ちでスリングの中を覗こうとしていたが、少しばかり位置が高すぎた。

「私の服ですまないが、一晩我慢してください」

「ご迷惑をおかけして、すみません」

「決めたのはマリアですからね。インスタントだが、スープを作ってきましょう。ポタージュでもいいですか?」


 湯を注げばスープはすぐにできるが、サムウェルは居間に向かうまでに十分ほど時間を空けた。

 戻ると、マリア・Aは、椅子にかけたマリア・Bの髪をタオルで拭いてやっていた。スリングは卓の上に置かれ、乾いたタオルが一枚かけられている。

 マリア・Aは、サムウェルのトレーナーとズボンに着替えていた。どちらもサイズが大きく、袖と裾を捲り上げている。

 マリア・Bが身につけたのは、トレーナーだけだ。だぼだぼのそれは、膝下くらいの丈になっていた。彼女に穿けるサイズのズボンは、流石になかったのだ。

 どうぞ、と、赤ん坊から離れた場所に、カップスープを二つ置く。

「ありがとう、おじさま」

 二人のマリアが、嬉しそうに両手でカップを包む。

 ゆっくりとそれを飲んでいくのを、男は壁にもたれて見ていた。

 やがて警戒の色も薄れ、落ち着いた、と見たところで、口を開く。

「ところで、貴女はどうしてあんな小屋にいたんですか?」


 マリア・Aは答えなかった。

 その反応は予測できていたので、サムウェルは気にせずに続ける。

「法律上、貴女は不法侵入者だ。警察を呼ばれても当然なんですよ」

「おじさま」

 咎めるように、マリア・Bが呼ぶ。マリア・Aは、ふっと、吐息を漏らした。

「隠れる場所がなくて……。朝には出ていくので、見逃しては貰えませんか」

「ですから、事と次第によるのです。私は前職は弁護士でした。貴女が、犯罪を犯しているのであれば、見逃せない」

 弁護士、という言葉に、彼女は目を見開いた。

「例えば、その赤ん坊は、貴女が親権を持っている子供ですか? そうでないのなら、誘拐の容疑がかかってきますね」

 マリア・Aは、口を引き結んで、何も答えない。

「それに、どうしてここに来たんですか? 街からこちらにきても、周囲は山ばかりだ。行き場はない。どのみち朝になって電車に乗るなら、駅に近い街の中で隠れていた方がよほどいい。つまり」

 サムウェルは、視線を女性から離さない。


「貴女は、街からやってきたのではないのでしょう? マリア・エインズワース」


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