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「卑怯者だと……?」

 その朝、マリアは緊張気味に孤児院を出た。

 三十人近い子供たちが、ぞろぞろと連れ立って、街の一角にある小学校へと向かう。

 紺色の上着に、白いブラウス、ベージュのスカートという制服は、皆と同じく新品ではない。街の住民たちからの寄付品だ。

 鞄は、心許ないほどに軽い。

 小学校は、小さな建物だった。街自体が小さく、子供も数が少ないからだ。後で知ったことだが、一学年一クラスしかなかった。

 尤も、マリアは今まで自宅で家庭教師に教わっていたために、小学校というもの自体が初めてだ。

 孤児院の子供に教えて貰って、まずは教師の控室へ行く。

 マリアの担当教師だという女性は、簡単に挨拶し、教科書の山を手渡してきた。そして、すぐに教室へ向かう。

 ざわざわと、声が漏れてくる廊下を進む。

 そして、ある扉を開く。ざわめきが一瞬大きくなって、そして徐々に静まった。

 教師はすたすたと壁際に設けられた棚にマリアを連れていき、教科書や荷物はここに置くように、と告げた。

 背後から、視線とくすくす笑いが聞こえる。

 教師はくるりと生徒たちに向き直り、おざなりにマリアを紹介した。

 教室には大きな机が五卓あり、それぞれに五、六人の生徒が座っている。

 そのうちの一つに加わるように、と指示して、あっさりと授業が始まった。




「どうだったね?」

 夕食後に二人きりになった時に、サムウェルは問いかけた。

「今までとは全然違ってて、よく判らないわ。基本的に、グループで学習するの。話し合って、皆の意見をまとめて、発表して。グループごとに採点されて、減点されたりもするから、ちょっと怖い」

 マリアは、集団生活に慣れていない。

 自分の、何も判らない状態からの行動で減点されたら、と思うと、ぞっとする。

 実際、同じグループになった二人の男子生徒には、あからさまに睨みつけられたりしている。

「大丈夫。すぐに慣れるよ。子供は順応性が高い」

「だといいけど」

 マリアが溜め息をつく。



 孤児院は、少しづつ破綻しかけてきていた。

 原因のひとつは、まさにその順応性だ。

 子供たちは、修道女(シスター)の監視のない生活に、あっと言う間に慣れた。

 就寝時間はほぼ守られず、夜遅くまでおしゃべりして、翌朝起きられない子供も多い。

 サムウェルの目があるうちはまだましだが、彼が自宅に帰ってしまうと、もう無礼講だ。

 マリアが注意をしてはいたが、あまり聞き入れられない。

 彼女自身、誘われたらそれに応じて一緒に騒いでしまうこともしばしばだった。

 食事は劇的に改善した。しかし、菓子を禁じられず、そちらを食べすぎてしまって食事を残す子供もいる。

 掃除も、手を抜きがちだ。

 洗濯に関しては、当初から上手く行かなかった。

 そもそも、物干し場が、子供たちにとっては高すぎるのだ。

 それについて、サムウェルは初日に決断した。

「洗濯機を買い替えよう」

「買い替え?」

 驚いた顔のマリアに、頷く。

「乾燥機つきのものにすれば、外に干さなくてもいい。大体、今あるものは古すぎる」

 サムウェルはうんざりしたようにそう評した。

「でも、お金があるかしら」

 今でさえ、洗濯機は五台ある。食事を外注することで、かなりの出費が出ているはずだ。

「この古いのに比べたら、性能は良くなってる筈だから、台数は減る。今年の予算はまだ残っているし、孤児院の設備に関しては、控除も効くだろう。あまり心配はいらないよ」

 明らかにほっとした顔のマリアに、男は続ける。

「だが、来年からの支出は、完全に君の資産からの持ち出しになる。この先のことについて、常に考えておくことだ。切り捨てるなら、早い方がいい」

 その、冷徹にも聞こえる言葉に、当時のマリアはややむっとした。




 昼休みは、生徒は食事を終え次第、校庭に追い出される。

 残念ながら、全校生徒が全員思うまま遊べるような広さではなく、大抵は寄り集まっておしゃべりしている。

 共に話す相手もなく、マリアは所在なげに片隅に立っていた。

 ぼんやりと校庭を眺めていると、そこここで生徒たちが揉めているのが判ってくる。

 そのうちの一つのグループで、小さな子供が突き飛ばされたのに、はっとする。

 それは、孤児院の子供だ。

 慌てて駆け寄りかけたところで。

「何すんのよ!」

 甲高い声が、遠くに聞こえた。

 ソニアが、また別の揉め事に対し、つっかかって行っていた。

 助け起こした子供は、マリアの腕の中で泣き出しそうな顔をしている。


 これは。



「ソニア。ちょっといい?」

 その日の就寝時間近くに、マリアは少女を自室に呼び出した。

 マリアは、ここに来た日に入れられた部屋を、そのまま使っている。僅かにむっとした顔で、ソニアが呟く。

「一人部屋とか、生意気……」

「おばけが出る部屋がいいの?」

 問い返すと、そうじゃないけど、と、もごもごと言う。

 ずっとごたごたしていて、誰かと合い部屋になる機会を逸しただけなのだが。

「何の用なの?」

「昼休みのことを、聞きたくて」

 その言葉に、ソニアは更に険しい顔になる。

「あんたには関係ない」

「関係なくはないわ。私だって、孤児院の一員なんだから」

「そんな訳、ないでしょ。あんたは『経営者』なんだから。あたしたちとは、全然違う」

 眉を寄せ、睨みつけるその目は、ひどく遠くて。

 マリアは、一瞬、言葉を失った。

 が。

「そう。じゃあ、経営者として訊くわ。私は、私の孤児院に起きたトラブルを見過ごす訳にはいかないの」

 次の瞬間には、それを逆手に取っていたのだ。




 くすくす笑いが、絶え間なく聞こえる。

 投げつけられたどんぐりが、肩に当たった。

 聞こえよがしに溜め息をついた男子生徒の前に、マリアはだん、と手をついた。

「な、んだよ」

「言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいじゃないの」

 苛立ちに眉を寄せ、凄む。

 相手が無言なのに、ぐるりと教室内を見渡した。

 クラスメイトたちは、落ち着かなげに視線を逸らせていく。

「あなたは?」

 一際大人しい少女に問いかけた。びく、と身を震わせるのを、隣の少女が庇う。

「私の孤児院のことで、誰に何を言われたの」

「私……」

「あんたに関係ないわよ」

 よく聞かされる言葉に激高しかけるが、何とか抑えこむ。

「聞こえなかった? 私の、孤児院なの。あなたたちに、それと同じくらい背負うものがあるなら黙っているがいいわ。そうでないなら、ただの卑怯者よ。卑怯者は卑怯者らしく、訊かれたことにべらべら喋りなさい!」

 論理的にはかなり強引だが、迫力でマリアは押し切った。

「私、ただ、お父さんに」

 気弱な少女が漏らすのを、()めつける。

「……孤児院の子とは遊んじゃ駄目だって」

 また、聞いたことのある言葉。

「……パーシヴァル・ヒギンズ……」

 クラスの注目を集めていたマリアは、そんな小さな呟きすら拾われてしまう。

「パーシヴァル様が、お前は邪魔だって言ったんだよ!」

 あげつらうように、男子生徒が大声を上げた。

「そう」

 短く呟いて、身を翻す。

「おい、お前、どこに」

 そのまま教室の扉を開けたマリアに、慌てた声がかけられた。

「パーシヴァルに話をつけに行くのよ」

 言い置いて、扉を閉める。

 一瞬の後、教室の中は驚愕の声に満たされた。



 街路を五分ほど歩いたところで、背後からばたばたと足音が響いてきた。

「おい! お前!」

「待てよ!」

 気にせずに歩いていると、二人の人影に回りこまれる。

「待て、って、言っ、て」

 ひどく息を切らしているのは、学校で同じグループになった男子生徒たちだ。

 するりと横をすり抜けようとするが、腕を掴まれる。

「離しなさい。大声を出すわよ」

「誰も、お前には関わら(UNTOUCHA)ない(BLE)さ」

「あらそう。でも、誰かに見られることは確実ね。女の子一人に、男が二人がかりで手を上げようとした、って、学校に連絡が行ってもいいの? 減点だけじゃ済まないわよ」

 ぐっ、と言葉に詰まって、少年は手を離した。だが、行く手を塞いだままだ。

「学校に戻れよ」

「用事があるの」

「パーシヴァル様の迷惑になるだろ!」

「こっちはもっと迷惑よ!」

 怒鳴り返して、そのまま直進する。ぶつかりそうになって、少年たちは慌てて避けた。


 数分間、脅し賺しを続けながら街を歩いて、少年たちはようやく折れた。

「判った! 判ったよ、パーシヴァル様を呼んでくるから、ちょっと待ってろ」

「いいわよ、自分で行くから」

 素っ気なくその提案を蹴るが。

「お前が行ったって、取り継いで貰えないだろ。結局騒ぎになるだけだ」

「あんたたちなら連れて来れるの?」

 まだ不審さを隠さないマリアに、胸を張る。

「俺はパーシヴァル様の一の子分だからな! こっそり離れに入る隠し通路も知ってるんだ」

 男の子たちの単純さに少々冷静になる。

 直接、館に行くのが嫌がられるなら、その手は次の機会に取っておいてもいいだろう。

「判ったわ。でも、どちらか一人は残って。あなたたちが私を騙していなくなるかもしれないでしょ」

「莫迦言え。約束は守る」

 胸を張って、少年は言い切った。

 そもそも、女の子に嫌がらせをする時点で信用は全くないのだが。

 とりあえずそれを指摘するのも後に回して、マリアは駆けていく少年を見送った。


 十数分ほど待っただろうか。

 一人残った少年は、ややのんびりとした印象で、ぽつぽつと話をしていた。

 パーシヴァルは学校に通わず、自宅で家庭教師の教えを受けていること。それでも、時々、放課後に一緒に遊んでいたりすること。この街の子どもたちから慕われていることなど、専ら、パーシヴァルの自慢話のようなものだったが。

 やがて背後からぱたぱたと足音が聞こえて、振り返る。

 どことなく薄汚れ、髪に木の葉などをつけた少年が、得意げな表情で走ってきていた。

 そして、後ろからついてくるのは。

「パーシヴァル」

「マリア」

 近くまで来て足を止め、確認するように、名前を呼ぶ。

 彼は、いつものように綺麗な服を着ていた。柔らかな金髪は撫でつけられ、血色のいい頬は柔らかそうで、指先まできちんと整えられている。

 ほんの一月前までは、自分だって。

「……何の用だ。グレゴリーがどうしても、と言うから来たんだぞ」

 尊大に問いかけられて、我に返った。

「あの、あなたに、要求があるの。ブライアーズ孤児院の子どもたちに酷いことをするの、やめてちょうだい」

「酷いこと?」

 意外なことを聞いた、というように、パーシヴァルは瞬く。

「意地悪をしたり、叩いたりしないで、ってことよ。みんな小さな子たちなのに」

「俺は、ブライアーズ孤児院には関わるな、って言ったんだがな……」

 パーシヴァルは眉を寄せて、小さく呟いた。

 だが、と声を大きくする。

「それは、父様の決定だ。俺が取り消すことはできない」

「子供に嫌がらせするとか、卑怯者のすることよ!」

「卑怯者だと……?」

 ぐっ、と拳を握り、パーシヴァルは詰め寄る。

「取り消せ!」

「なによ、本当のことじゃないの!」

「ヒギンズ家の名にかけて、侮辱は許さない!」

「ヒギンズ如きが何だって言うのよ! 私は、ブライアーズ家の名にかけて、あの子たちを守るって約束したんだから!」

 深く考えることもせず、パーシヴァルは鼻で笑う。

「落ちぶれたブライアーズ家に、どんな名誉があるって言うんだ?」

 反射的に、マリアは、パーシヴァルの頬を張り飛ばした。

 一瞬、その場の全員が言葉を失う。

 マリアは、唇を引き結んで、謝る意思がないことをあらわにしている。

 パーシヴァルは、力任せに少女を突き飛ばした。

 殴らなかっただけ、彼にはまだ理性があったと言える。その時は。

 倒れこむ身体を支えようとした掌が、ざらついた石畳に激しく擦れる。

 だがそんなことは気にも留めず、素早く身を捻ると、マリア・ブライアーズはパーシヴァル・ヒギンズに飛びかかった。




 マリアが学校を飛び出した、とサムウェルのところに連絡がきたのは、ことが起こってからたっぷり一時間以上は経った頃だった。

 幼い子どもたちさえいなければ、罵声を吐き出しつつすぐさま車に乗っていただろう。

 しかし、その両方を堪えて、彼は子どもたちの帰宅を待った。

 とぼとぼと、一人ほこりっぽい道を歩いて、学校が終わる時間よりもずっと前に帰ってきたのは、マリアだ。

「学校に戻らなかったのか?」

 怒りと苛立ちと安堵の混じった声で、尋ねる。

 玄関をくぐったマリアは、無言で頷いた。

 長い髪は土に汚れてぼさぼさだし、手足には擦り傷や引っ掻き傷が幾つもついている。

 頬や額にも小さな傷を認めて、男は溜め息をついた。

「おいで。他の子たちに見られないうちに手当しよう」

 厨房で、蒸しタオルを作って髪や肌の汚れを取っていく。

 マリアは目を伏せて、何も言わないままだった。

「勝ったのか?」

 何を言われるか、は、幾らか予測していた。だが、全く思いもしなかった問いかけに、傷だらけの少女は視線を上げる。

 サムウェルは真面目な顔でそれを見返してきた。

「……負けたわ」

「残念だ」

 淡々と返されて、却って何か言い訳しなくてはならない気持ちになる。

「だってだって、パーシヴァルは年上だし男の子だし! 卑怯だと思わない?」

「彼は武器を持っていた? 何人かががりだったのかい?」

「そうじゃ、ないけど」

 勢いを失って、むくれる。

「勝てない喧嘩はするものじゃないよ、マリア。君に、何か取り返しのつかないことがあったら、私はどうやってお祖父様やお父様に詫びればいいんだい?」

「……ごめんなさい」

 両親や祖父を出されると、弱い。マリアは渋々謝った。

 まあ、マリアと喧嘩をした、とばれれば、パーシヴァルの立場もないだろう、と思って少しだけ溜飲を下げる。



 勝てる戦いしかしない、というのは、弁護士の戦い方だ。

 マリアに、それは向いていない。





 孤児院の子どもたちに遠巻きにされて一夜が過ぎる。

 翌朝、登校したマリアは、まっすぐに放送室に足を向けた。

 全校のスピーカーをオンにして、マイクに顔を寄せる。

 そして、深く、息を吸った。


『……私は、マリア・ブライアーズだ! 今後、ブライアーズ孤児院の妹たちに文句がある奴は、まず、私に言って来るように!』



 前代未聞の宣戦布告をした少女は、そのすぐ後、教員の控室に連行され、たっぷりのお説教と減点を食らった。

 ようやく解放されて控室から出ると、廊下にずらりと女子生徒が立っていた。

「あ、マリア!」

「マリア姉さん!」

 彼女たちに一斉に群がられて、目を丸くする。口々に礼を言ってくるのは、孤児院の子どもたちだ。

「……まあ、あんた一人に全部任せる訳にもいかないでしょ」

 一歩、輪から引いて照れくさそうにそう言ったソニアは、この後、対ヒギンズ戦において、マリアの右腕と目されるまでの存在となる。


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