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「全く、これだから男兄弟は判ってないよな」

 六時を回った辺りで、表にエンジン音が響いた。

 エースが背後を振り向く。エムは退屈なのか、台所の中を物珍しげにうろうろしていた。

「姉貴が帰ってきたな。出迎えてやってくれよ」

「え、でも……」

 マリア・Bとは、昨日、十数分程度しか顔を合わせていない。少しばかり怯む少女に、笑いかける。

「きっと、喜ぶ」

 その言葉に、照れたような顔をして、エムはぱたぱたと廊下を玄関へ向けて走った。薄暗いエントランスに、彼女にとっては大きな扉が立ち塞がる。

 だが、ドアノブは少女でも掴める高さにあった。色ガラスの嵌めこまれた扉は、ぎぃ、と音を立てて、更なる光を呼びこんでくる。

 朝日の下で見た庭は、昨日、夕闇の中で目にしたよりもはっきりと見えた。

 エムの背丈ほどもありそうな雑草が一面に生い茂っている。一部、通路のように草が切れているところがあり、その中を人がこちらへ向けて歩いてきた。

「おお、エム。おはよう」

 マリア・Bは、こちらに気づくと艶やかに笑んだ。

 深い藍色のイブニングドレスを身に纏い、髪を綺麗に結い上げている。イヤリングにはめこまれた石が、朝日を反射してきらめいていた。すらりとした足を納めるハイヒールの踵が、通路に敷かれた煉瓦を踏みつけるたびに鋭い音を立てた。

 エムはぽかんとしてそれを見上げていた。このようなきらびやかな女性を目にするのは、初めてだったのだ。

 おひめさまみたいだ、とぼんやりと思う。

「出迎えに来てくれたのか? エムはいい子だな」

 だが目の前まで歩いてくると、マリア・Bはその長い裾を気にもせずに屈みこんだ。無造作に、エムは片手で抱き上げられる。

 少女はやや照れた顔で笑った。

「お帰りなさい、マリアお姉さん」

「今日の服は、エースが出してきたものか?」

「うん」

 そうかそうか、と、嬉しげに呟いて、マリア・Bはエムを抱き上げたまま玄関をくぐった。


「エース」

 台所の戸口から声をかける。

「お帰り、マリア(ねぇ)。もうすぐ朝飯できるから」

「お前、エムの靴を忘れてるな?」

 振り返りもせずに返したエースは、言葉を遮られ、きょとんとして視線を向けた。

 長身の姉は、片腕でエムを抱いて立っている。

「靴?」

「葬儀用の革靴を履かせているだろう。これは普段履くものじゃない。ちゃんと磨いてしまっておかないと。何より、今朝の服には合わないだろうが」

 立て続けに言い立てられて、肩を竦めた。

「悪かったよ。気が回らなかったんだ」

「全く、これだから男兄弟は判ってないよな」

 私が何か見つけてやろう、と、踵を返して二階へ向かうマリア・Bに判らぬように、エースは小さく笑みを浮かべていた。



 朝食は簡素だった。

 焼きたての丸いパンに、ハムエッグ。野菜サラダ。そして少し温めた牛乳だ。

 エースたちに比べるとエムの皿の上のサラダの量はやや少なめに見える。

 意味ありげにマリア・Bが料理人に視線を向けるが、何食わぬ顔でスルーされた。

 懸命にそれを口に運ぶエムには判らなかったが。

「今日はどうするつもりだ?」

「仕事に連れて行こうかと思ってる」

 姉の問いかけに、エースは決定事項だというように告げる。

 マリア・Bは、その形のいい眉を僅かに寄せた。

 彼女は既にイブニングドレスを脱ぎ捨て、膝丈の黒レースのキャミソール姿になっている。真冬でもなければ、この姉は家では大体この姿だ。

 その服装にも表情にも慣れたように、エースが続けた。

「マリア(ねぇ)は、昼過ぎまでは寝ないとだろ。子供を一人で、よく知らない家に置いて行く訳にはいかないよ」

「それはまあそうだが……。お前は女の子を育てるには向いてないようだからな」

 靴の件を根に持っているように言い放たれた。

「マリア(ねぇ)だって、男を育てるのには向いてねぇよ」

 小さく笑って、エースは行儀悪く姉をフォークの先で指し示す。

「まあ、あの頃はマムがいてくれたからな……」

 少しばかりしんみりと、マリア・Bは呟いた。

「マァム?」

 きょとん、とした顔でその単語に反応するエムに笑いかける。

「俺たちを育ててくれた人だよ」



 談話室は、少々薄暗かった。

 庭に向けて窓は取られているのだが、あまり大きくないからだ。

 その窓から差しこむ鮮やかな陽だまりは古めかしい絨毯を際立たせ、静かに舞う埃をちらちらと光らせている。

 マリア・Bは、幼い少女を連れて一方の壁へと足を向けた。

 そこには一面に小さな額がかけられ、写真が飾られている。

「私たちの家族だ」

 ひょい、と抱き上げられて、エムはそれらに見入る。

 その中でも目を引いたのは集合写真だった。この建物の正面玄関前に、大勢の子供たちが並んで立っている。

 ほぼ全員が少女だ。照れくさそうな表情で笑っている。

 一人だけ黒髪の少年がいて、その半ズボン姿が酷く目立つ。

「これがエースだよ。五歳の時だ」

 目を細め、マリア・Bは教えた。

「右端に立っている女の人がいるだろう。彼女が、マム・マリア。この孤児院で、私たちの世話をしてくれた」

「マム・マリア……」

 小さくエムが呟く。

「まあ、マリアがかぶるから、私はマリア・Bで通すことになったんだけど」

 嬉しげに、かつての少女は笑う。

「子供は、一番多い時で三十三人。男はエース一人だけだ。一番小さいのもエースだった」

 集合写真は幾枚かあるが、人数がごそりと減っている。

「皆、仕事に就いたり結婚したりで、ここを出て行ってね。一番最近撮ったのがあれだ。四人になってしまった。今年は、エースと二人きりかな」

 僅かに寂しそうな声が漏れる。

 その他は、スナップ写真のようだった。屈託なく笑い、はしゃぐ姿が殆どだ。

「マムは、今日はいないの?」

 エムが不思議そうに尋ねる。

「マムは……、五年前に亡くなった。病気でね」

 硬い声に、エムの表情が歪む。

「大丈夫だよ、エム。マムは、天の国で安らかにいらっしゃる。今は辛いだろうが、大丈夫だ」

 涙を浮かべる小さな子供を、マリア・Bはそっと両手で抱き締めた。

 幼さは、口当たりのいい(さか)しらな言葉を受け入れない。温かさを、安心を得る事でしか、癒されない。

 いつかの彼女たちがそうであった、ように。



 庭の、まだ雑草の侵食を食い止めてある一角に、エースは立っていた。

 木々の間に紐を渡し、そこに洗いたての洗濯物を干している。

 普段の洗濯はエースの服ぐらいなのだが、今はそこに色とりどりの小さな服がはためいていた。

 懐かしさに、ふと笑みを零す。

 紐にかけたシーツの縁を持ち、ぱん、と広げる。

 いい天気になりそうだった。



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