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僕らは楽園《エデン》に生えている  作者: 水浅葱ゆきねこ
アウルバレイの広場

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38/57

「何がどうなっているの、おじさま」

 黒い、明らかな高級車が、孤児院の門の前で停まる。

 前庭で植物の手入れをしていたシスターが、車から降りた人物を出迎えた。

「サムウェル・ダルトンというものだ。孤児院長にお目にかかりたい」



 古ぼけた応接室で、十分ほど待たされる。

 来客は、特に焦れた様子も見せず、静かに座っていた。

 やがて現れた孤児院長は、にこやかに口を開く。

「お久しぶりです、ミスター」

 ソファから立ち上がった男は、滑らかに会釈した。

 年齢は、六十を超える頃。若い頃は濃いブラウンだった髪も髭も、ちらちらと白いものが混じっている。目尻に皺は見られるものの、たるみはない。淡いグリーンの瞳は、静かではあるが鋭い。

 威圧的な雰囲気を和らげようとしてか、スーツは薄めのグレイ、ネクタイはネイビーの地に世界的に人気のキャラクターが散りばめられていた。

「お元気そうで何よりです、マザー。退職してから、こちらに来る機会もなくなりましたからね」

 今は来る理由があるのだ、と、そう匂わせる。

 どれほど居丈高に振る舞えようが、孤児院長は彼に太刀打ちできはしない。

 それでも、何気ない様子で再び座るようにと勧められる。

「お仕事を引退されたのは、三年前でしたかしら。私たち、皆寂しく思っていましたのよ」

 あからさまな社交辞令に、微笑む。

 探り合うような沈黙は一分も保たず、孤児院長は性急に口を開く。

「それで、今日はどのようなご用件で?」


「こちらに、マリア・ブライアーズさんがいらっしゃいますね?」


 数秒迷って、孤児院長は、つん、と顎を上げた。

「ええ。おりますわ」

 サムウェルは、小さく息をつく。

「マザー。ことは、誘拐事件になってもおかしくないのですよ」

「あら、大袈裟ですこと」

 微笑む相手に、畳みかける。

「ブライアーズ家の一人娘が、両親と叔父の葬儀のあと、行方不明。これは、問題になりますよ」

「問題になってはいませんでしょう?」

 その言葉に、サムウェルは口をつぐむ。

「マリアがここにいるのは、法に則っております。我々は、親族からの同意書を受け取っていますから」

「親族? どなたです」

 彼が現役だった頃、ブライアーズ夫妻の血縁については調査済みだ。莫大な財産を所有する彼らは、そういったことに敏感で、一定期間毎に調べていたのだ。

 結果から言えば、現在、亡くなった三人以外にマリア・ブライアーズに親戚らしきものはいない。

 得意げに、孤児院長は一冊のファイルを机の引き出しから取り出した。

 手渡されたそれを性急に捲る。

 通常、個人情報を保護するため、このような書類は滅多に他人の目に触れることはない。

 待ち構えていたかのように取り出したことといい、ある程度、誰かがくることは予見していたのだろう。

「……夫人の、しかも姻戚の方ですか」

「それでも、マリアを養育する責任がある方です」

 姻戚ならば、遺産を相続する立場にはない。調査で頭数に入っていなかったのは当然だ。入っていない、ということだけで、相続争いからは突っぱねられる。

 だが、血は繋がっていなくても、孤児の養育が認められなくはない。

 そして、その怪しげな責任を、この孤児院に委託した訳だ。

 難しい顔で、サムウェルは書類から視線を上げた。

「マリア・ブライアーズと面会はできるのでしょうね?」



 孤児院長室に入ってきた少女は、こちらを認めて目を見開いた。

「サムおじさま……!」

 勢いよく飛びついてきた身体を抱きとめる。艶のある髪を、ゆっくりと撫でた。痛みがあるような反応はない。

「サムおじさま、私、わたし……」

「よしよし、泣きやみなさい、おちびさん。凄腕サムがやってきたからね」

 マリアの祖父から呼ばれていた名前を出すと、少女は泣き笑いのような顔を上げた。


 サムウェル・ダルトン。

 彼は三年前に引退するまで、ブライアーズ家の顧問弁護士だった男である。



 数分後、マリアはようやく落ち着いて、くすんくすんと鼻を鳴らしながらサムウェルの隣に座っていた。

 三日前、葬儀に参列したものの、彼はマリアには近づけなかった。あの時、上品な喪服に身を包んでいた少女は、今は薄っぺらい、量産品の服を身に着けている。

「この子はまだ喪に服している期間だというのに、何故このような格好を?」

「規則です。家族を失い、すぐにここに預けられる子供は珍しくありません。早く馴染むように、という配慮です」

「そうですか。では、彼女の着ていた衣服は保管されているのですか?」

「寄付されたものとして扱われます」

「なるほど。収支報告を、後ほど見せて頂くことになると思いますよ」

「貴方にそんな権利は……」

 孤児院長は、声を荒げかける。

「権利を得るかどうかは、彼女次第だ。貴女こそ、前任者としてこの要求を拒否する権利はない」

 マリアの無事を確認し、礼儀正しさを最低限にまで減らした男の声に、孤児院長は声を詰まらせた。


「何がどうなっているの、おじさま」

 涙声で、マリアが尋ねる。

「どうして、私はここに連れて来られたの? どうしておうちに帰ることができないの?」

 痛ましげに見つめると、再び視線をこの施設の責任者に向ける。

「席を外しては貰えませんか」

「なりません」

 頑として譲らない返事は、まあ予想できていた。肩を竦め、マリアに向き直る。

「マリア。君のご両親と叔父さんが亡くなって、彼らの財産は君一人が相続する筈だった。だが、実は、そうではなかったんだ」

「どういう……?」

 マリアは幼く、遺産のことなどよく判ってはいなかったが、サムウェルの表情はこれが一大事だと告げていた。

「彼らの財産、つまり現金、株券、貴金属、不動産などは、殆ど全て、コヴィントン氏のものとなった。ブライアーズ家は彼に借金があって、その担保だったと説明されている」

「借金……?」

 戸惑って、マリアは繰り返す。両親はそれらしい素振りなど何も見せていなかった。

 勿論、子供に知らせないということは充分ありえるのだが。

「借金の証書の日付は二年前からだ。私がいなくなって、新しい弁護士を雇って、一年ほどしてから」

 苦い顔で、サムウェルは続ける。

 法的に、間違いはないのかもしれないが。

 だが、あまりにも対応が早すぎる。

「私のおうちは……?」

「コヴィントンが所有している」

「帰れないの?」

「……ああ」

「誕生日にお父様たちから頂いたネックレスは?」

「昨日、コヴィントンの娘がつけていたのを見たよ」

 その娘は、まだ五歳だ。

 あの夫妻は、やがて自分のものになると思って、あの美しい宝飾箱を贈ったのか。

 何一つ、くまのぬいぐるみすら持ち出せないまま、あの邸宅はとても遠い存在になったのだ。

「君に残されたのは、君の名義になっていた財産のみだ。会社の株、現金、そして不動産」

「不動産?」

 では、少なくとも、住む場所はあるのだ。

 そう、救われた気持ちになった瞬間、サムウェルは告げた。

「ブライアーズ孤児院だよ」


 ああ、だから。

 だから、ここに連れて来られたのか。

「明後日にはマザーたちがいなくなって、私が経営者になるって」

 掠れた声で、マリアが呟く。

「契約の更新も待たずに、性急に過ぎますな、マザー」

 青褪めたマリアの肩を励ますように抱いて、サムウェルは孤児院長に向き直った。

「私たちは教会から派遣されてきています。異動も、今後修道女(シスター)たちが派遣されないことも、私の権限ではありません」

「一体どれほどの金を積まれたものですかな」

 男の揶揄に、顔を背ける。

「いいかい、マリア。君に、孤児院の経営は無理だ」

「ええ、だけど……」

「君が困った時点で、コヴィントンは声をかけてくるんだろう。自分に、譲渡するように、と」

「でも、きっと、その方がみんなのためにはいいわ」

 置いていかれる、孤児たちのためには。

 しかし、サムウェルは静かに首を振る。

「あいつが欲しがっているのは、こんな孤児院じゃない。ここの維持は、正直奉仕活動のためだからね。あいつは、君の持っている株券が欲しいんだ」


「株券……?」

「君の所持しているものは、家族のものよりは少ないが、それでも大株主といえる量だ。ブライアーズ家とコヴィントン家が、百年以上もかけて共に積み上げてきた成果を、あいつは独り占めしたいんだよ」

「侮辱にもほどがありますよ、ミスター!」

 怒りに顔を赤くした孤児院長が怒声を上げる。

 マリアは身を竦めたが、サムウェルの肩は揺れもしない。

「コヴィントンの名誉を気にかける理由がおありですかな、マザー?」

「い、いえ、そんな……」

 一瞬で勢いが弱まる孤児院長を、目を丸くしてマリアは見つめた。

 そんな少女に向き直って、初老の男はにこりと笑む。

「さて、ここで提案なのだけどね、マリア。君がここの経営者になったら、私を雇ってくれないか?」

「……サムおじさま!」

 歓声をあげて、マリアはサムウェルの首に抱きついた。

「三年ほどのんびりしたからね。そろそろ、再就職しようと思っていたんだよ」


「許可できません」

 固い声が、響く。

「お辞めになる貴女に止める権限は……」

「ここは、尼僧院を母体とした孤児院です。面会に来られるのは許可ができますが、日常的に男性が出入りすることはなりません」

「でも、シスターたち、いなくなるんでしょう」

 やや強気になって、マリアが言い返す。

 睨みつける孤児院長を、まあまあと男は宥めた。

「それは何とか考えましょう。街に住んでもいいですからね」


 また明日やってくる、と約束して、サムウェルは孤児院を辞した。



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