「座られるといい。長い話になる」
ブライアーズ孤児院へのインターフォンが通じたのは、警報が鳴り始めてから三十分以上が経過した頃だった。
侵入者は確保したこと、迎えを出すので、所長と副所長に来て欲しい、という連絡を受けて、更に十五分。
フェンスに近づいてきた相手は、モノレール乗り場に詰めかけた警備員の人数に怯んだ顔をした。
「あー……。お疲れ様です。とりあえず、入ってもらえるのはハワードさんとエリノアさんだけなんだけど」
困った顔で、エースは口を開いた。
「了承しているよ。ただ、万が一に備えて、いくらかはここに待機させておいても構わないだろうか」
「まあ、ここはお貸ししている土地だから……」
ハワードの言葉に、まだちょっと困った声で、エースは答えた。
柵の内側にあるコントロールパネルに、少年がパスワードを入力する。小さな電子音と共に、ロックが開いた。
〈神の庭園〉の所長と副所長の前に、初めて、孤児院への道が開かれた。
彼らが足を踏み入れ、再びセキュリティが作動したことを確認すると、エースは傍に停めていた自転車に手をかけた。
「車が使えないので、五分ほど歩いてもらうことになるんです」
「構わないよ」
「道から外れなければ危険はありませんが、念のため、俺から三メートル以上離れないでください」
彼らはほぼ無言で夜道を進んだ。
エースの押す自転車が、車輪が回るたびにきぃきぃと軋む。
一度だけ、道路の真ん中に放置された、ボンネットの切り裂かれた自動車を目にした時は、二人ともが驚いた声を上げたが。
手慣れた様子で、自転車を前庭に停める。
物珍しそうに周囲を見回している来客を、促した。
「お帰りなさい、エースお兄ちゃん!」
ぱたぱたと廊下の奥から、小さな足音が向かってくる。
エムは二人の男女に気づくと、足を止めた。
「こんばんは、サー・ハワード、マム・エリノア」
小さな少女は、礼儀正しく会釈する。
普段、エムは研究者たちともう少し気安く接していた。流石に、この二人とはそうでもないのか。
「元気そうね。怪我はない?」
「はい」
少しばかりもじもじして、エムはくるりと向きを変えた。
「エースお兄ちゃん、こっち」
彼女は、廊下の途中で進路を変える。
「談話室じゃないのか?」
「マリアに追い出されてね」
厨房から半身を出したGが、苦笑して答える。
「ご足労おかけします」
上司に向けて一礼すると、ハワードは鷹揚に手を振った。
厨房に入ると、アイが膨れっ面で椅子にかけていた。
「Gがしつこく怒ってくるからよ」
「あらまあ。何をしたの?」
しかし、続いて現れたエリノアにそう尋ねられて、ばつの悪い顔になる。
「一通り、お二人に状況を飲みこんで頂くまで来ないように、と言われた。あの子を刺激して起こしたくないんだろう」
「あの子?」
Gがエースにマリア・Bの意図を説明するのに、横から口を挟まれる。
「こんなところで悪いけど、適当に座ってください。G、先刻あったことを話しててくれ。夕飯は食べられました?」
「夕飯?」
予想しなかった問いかけに、怪訝そうにハワードは返す。
「いい加減、腹ぺこなんですよ。俺はここで夕飯を作ってますから、よかったら一緒にどうですか?」
その申し出に、〈神の庭園〉の所長と副所長は顔を見合わせた。
人数が増えたから、最近、パンは多めに焼いている。
いつものメニューに、ベーコンとほうれん草、きのこをバターで炒めて、手早く一品増やすことにした。
エムが皿の準備をするなど、エースの手伝いをしている姿が微笑ましい。
だが、話題は、微笑ましさとは無縁のものだった。
「その少女は、確かに、『C』と名乗ったのか?」
眉間に皺を寄せ、ハワードは問いかける。
「はい。私が見た限りでも、離れた場所からシャッターを破り、銃弾を防ぎ、車を破壊しています」
ここへ来る途中に見た、放置された自動車を思い出したか、低く呻く。
上の空でほうれん草を一掬いし、口に含んだところで瞬く。
「美味いな」
小さく呟いたのに、エースとアイが笑みを含んだ視線を交わした。
「複数の能力を使い、『C』と名乗り、十代半ば、ですか」
不安げに、エリノアが情報をまとめる。
「心当たりが?」
エースの問いに、しかし年長者たちは顔を見合わせる。
「本人を見てもいないのに、憶測でものは言えんよ」
簡単に食事を終わらせて、一同は場所を変えた。
エースが、小さく扉を叩く。
「姉貴。いいか?」
数秒して、中から扉が開かれた。険しい顔だったマリア・Bが、エースの持ったトレイに目を止めて、少しばかり和らぐ。
エースの明日の昼食になるはずだったサンドウィッチと、コーヒーを持ってきたのだ。
静かに、と警告されて、彼らは談話室に入った。
長椅子に、少女が一人横たわっている。
淡いブラウンの、短い髪。
華奢な肢体を包む、ボディスーツ。
しかし、彼女の手足は拘束され、目隠しまで施されていたのだ。
二人の来客は、軽く息を飲む。
「意識は戻っていません。おそらく脳震盪だと思われます。そのうち目を覚ますでしょう」
「この格好は、どうして?」
エリノアの問いかけに、マリア・Bは肩を竦めた。
「奇妙な能力を持っていましたからね。目が見えなければ、こちらに攻撃しようにも、照準も合わせづらいのではないかと思ったんですよ」
「妥当な判断ね」
非難するかと思いきや、あっさりとその説明に同意する。
「ところで、お心当たりはおありですか?」
ハワードとエリノアは、そっと少女に近づいた。眉を寄せて見入る中、マリア・Bは長椅子の正面に置いた椅子に座り、サンドウィッチを頬張った。
「……きちんと検査をしなくては、確実なことは言えない」
ややあって発せられたのは、そんな言葉だった。
続きを待つように、若者たちの視線が集まる。
「だが、能力を使う、十五、六歳の、『C』と名乗る少女の心当たりなら、ある」
ハワードは、痛ましげな視線を、少女から引き剥がした。
「おそらく、彼女は、十五年前に、セオドア・ラッカムとマリア・エインズワースによって連れ去られた、二人の子供のうちの一人だ」
「連れ去られた子供……」
「君と一緒にな、エース」
名前を呼ばれて、びくりと身体を震わせる。
「『C』が、君に執着していたのも、頷ける。産まれたばかりの彼女が示していた能力は、〈具象化〉。君の、〈抽象化〉と、対を成すように産まれてきた。実際、ラッカムは、君たち二人に酷く執着していたよ」
未だ発現しない、自分の能力名は、ついつい他人事のように感じてしまう。
「でも、どうして今、ここに?」
アイが、複雑な視線を、意識を失った少女に向けたまま呟く。
「それは判らない。彼らが姿を消してからの足取りは、我々には全く掴めていないのだから。多少なりと、知っているとすれば」
ハワードの視線が、動く。
自然、その場の皆が、それを追った。
いきなり注目されて、食後のコーヒーを飲んでいたマリア・Bが、口角を僅かに上げる。
「かいつまんで話した方が?」
「できれば詳しくお願いしたい。彼女が起きるまで、することは何もないからね」
苦笑して、マリア・Bは、手を広げた。
「座られるといい。長い話になる」
「さて。貴方がたは、コヴィントン商会、という名前を聞いたことはあるか?」
話の切り出し方に、首を捻る。
「そりゃまあ。有名だからな。食品やら日用品やら、医療機器まで、手広く扱ってる会社だろ」
「あとね、〈神の庭園〉の上位組織なのよ」
エースに続けて、アイが得意げにつけ加える。
「そうなのか?」
予算が潤沢だと思ってはいたが、それなりの資本がついていたのか。
「うん。その会社だ。ではそれが十五年前までは、コヴィントン&ブライアーズ商会、という名前だったことは?」
エースとアイが、目を見開く。
「おうちの名前と一緒!」
エムが、無邪気に兄姉の真似をして言い当てる。
「そうだな。ここは、昔、そのコヴィントン&ブライアーズ商会の関連施設だったんだ」
僅かに優しい目になって、マリア・Bは説明する。
「私は、マリア・ブライアーズ。当時、コヴィントン&ブライアーズ商会の最高経営責任者だった男の、一人娘だ」




