「何なのよ、これは!?」
夕闇の迫る中、山から吹き下ろす風は肌寒さを増している。
「冷えるだろうが、姉貴。中で待っていろよ」
呆れ顔で、エースが声をかける。
「出迎えくらい、大したことじゃない」
肩を竦める女性の元に、アイの手を離してエムが駆け寄った。
「マリアお姉ちゃん!」
相好を崩して屈みこむと、エムを抱き上げる。
「この度は、無理なお願いを通して頂いて、ありがとうございます」
「決まりを守って貰えば、構わんよ」
几帳面なGの挨拶を、軽く受け流す。
「何なのよ、これは!?」
その、マリア・Bに対して、真っ直ぐに声がぶつけられた。
視線が、一人の少女に集まった。
彼女は、顔を真っ赤にしてそれを睨み返している。
最初に口を開いたのは、エースだった。
「ああ、悪い。これがうちの姉貴で、ブライアーズ孤児院の責任者の、マリア・Bだ。マリア姉、あの金髪のが、アイ」
「紹介されてないことを言ってんじゃないわよ!」
「これは随分と威勢のいい子だな」
うっすらと笑みを浮かべて、マリア・Bが独りごちる。
「慎みなさい、アイ!」
我に返ったGが、慌ててたしなめる。
「なにを普通の顔してんのよ、G! こ、こんな、はしたない女がいるなんて、聞いてない!」
「アイ!」
驚愕混じりに、Gは声を荒げる。
ポーチに立つマリア・Bは、普段の格好だ。肩を晒し、胸元を広く開け、太腿の中ほどまでしか丈のない、黒いレースのキャミソールしか着ていない。
「ここは私の家だ。無防備な服装でいて、何が悪い?」
しかし、それを恥じる様子もないマリア・Bの返事に、アイは更に激高した。
「男だっているのに、何偉そうに言ってるのよ! 露出狂なの?」
「そう言われても、マリア姉は昔からうちではこうだからな」
「マリアお姉ちゃんは、いつもこのお洋服だよ?」
「女性の装いに、文句をつけるものじゃない」
だが、兄妹から口々に言葉をかけられて、ぐっ、と、小さな拳を握りしめる。
「いいことを教えてやろう、若いの。『露出狂』というのはな、むしろこの上にコートとかを着て厚着するもので」
「ば……ッかじゃないの!?」
そして、諭すようなマリア・Bの解説に叫び声を上げ、踵を返しかけたアイの手首を、慌ててGが捕まえる。
「姉貴。あんまりからかわないでやってくれ」
呆れ顔で告げると、背後の騒ぎをよそに、エースはさっさと玄関をくぐった。
手にしたままの保温容器が、そろそろ重くなってきていたのだ。
「で、何でこっちに来るんだよ。寒いだろ。みんなと談話室にいろよ」
厨房の大きなテーブルに上半身を投げ出しているアイに、困った顔でエースが勧める。
「嫌よ。あんな人と一緒の部屋にいたくない」
「夕食は一緒に摂るけどな」
さらりと告げられて、声を詰まらせた。
一瞬も滞ることなく動くエースの手をぼんやりと眺める。今は細いナイフで器用にジャガイモの皮を剥いていた。
「あの人……」
「マリア・B」
「……マリア、さんって、本当にいつもあんな格好なの?」
問いかけられて、ため息を漏らす。
「拘るなぁ。ああ、俺が覚えてる限りはずっとだ。外に出るときはちゃんとした格好してるんだから、まあいいだろ」
「あんた、何とも思わないの?」
剥き終えたジャガイモを、傍らの鍋の中へ落とす。
「あのさ。この孤児院見て、ボロいとか思わなかったか?」
「え……。いえ、そんな」
逆に問いかけられて、アイはあからさまにごまかした。が、エースは片手を振っていなす。
「うちはずっと貧乏だったからな。マム・マリアは頑張ってくれてたけど、服とかは寄付されたものが殆どだ。子供は多い時で三十三人いて、いくらあっても足りやしない。マリア姉は、いつも他の姉貴たちに服を譲ってた。最低限、外に出るだけあればいいからって。あの格好は、そういう名残りなんだよ」
エースの言葉を聞くにつれて、アイの表情はどんどん曇っていく。
「そんな……。あたし、どうしよう……」
「だけどまあ、自分で稼ぎだしてからは好きに服も買えるんだから、今のあれはもう殆ど趣味なんだろうな」
「ちょっと、エース!」
一瞬でまた怒鳴りつけてきた金髪の少女に、エースはけらけらと笑った。
夕食は、親方のラタトゥイユをコンソメスープで延ばし、先刻のジャガイモで作ったニョッキを投入した。人数が増えたので、嵩増しだ。
「で、何でみんながこっちに泊まるって?」
ただ一人、事情を知らされていないエースが問いかける。
「うちの職員が、通り魔の被害にあっていることは言っただろう」
Gが、改まって話し始める。
「ああ。二人だっけ?」
「いや。五人だ。あれから、毎日一人づつ襲われてる」
少年は眉を寄せた。
あまり詳しく話して心配させても、と思ったのだろうが、蚊帳の外に置かれていた気分は消えない。
「ナレインフットは、大都市ではないとはいえ、数万人の人口を抱えている。その中で被害にあった五人が、全て同一の組織に属しているとなると、これは偶然だとは考えにくい」
「狙われてるのか?」
「心当たりなら少なくない」
ある意味で非人道的な研究を続け、そしてある程度成功している組織だ。色々な感情を向けられているだろう。
「今日から、職員はできる限り施設に寝泊まりしてもらい、街に出るのは昼間だけにするようにと通達を出した。全員がそれに従える訳ではないが、少しは自衛になるだろう。施設全体のセキュリティはしっかりしている。だが、万一のことを考えて、サー・ハワードは、私達〈被検体〉を夜間だけこちらに避難することを決定した」
「夜だけで大丈夫なのか?」
予想したよりも冷静に、エースが問うてくる。
「今のところ、襲撃があったのは夜だけだ。モノレールが〈神の庭園〉からアウルバレイに通じたことは知られているが、私達がブライアーズ孤児院と縁を持っていることは、あまり知られていない。ナレインフット側なら、尚更だ。朝になったら向こうで仕事をして、夕方こちらにお邪魔する。このまま何事もなければ、一週間ほど」
マリア・Bに話は通っているのだろう。静かに頷いている。
「しばらく迷惑をかけるが、宜しく頼む」
「部屋なら空いてる。気にしないでくれ」
Gの言葉に、エースは軽く返した。
夕食後、ばたばたと支度をしていたマリア・Bは、やがて厨房に姿をみせた。
「では行ってくる。後を頼むよ」
「おぅ。気をつけてな」
不機嫌な顔のまま、視線を戸口に向けたアイが、ぽかんと口を開けた。
長い黒髪を結い上げ、群青色のイブニングドレスをまとい、ゴールドのネックレスとイヤリングを光らせたマリア・Bがいたからだ。
Gが軽く立ち上がり、マリア・Bに歩み寄った。
「車庫までお送りしましょう」
「ありがたいが、ちょっと時間がない。気持ちだけで充分だ」
しかし、貴方に比べると、うちの小僧はまだまだ女の扱いが判ってないな、と義姉は笑う。エースが皿を洗いながら鼻を鳴らした。
ヒールが勢いよく床板を踏み、玄関ドアが軋みながら閉まる。
「……ねぇ、マリアさんて、何のお仕事してるの……?」
視線が少年の背に刺さるが、彼は振り向きもしなかった。
「俺は、このあと朝飯の仕込みなんだよ。話す余裕はない」
つれなく断られて、アイはGを睨め上げた。
「ええと……。確か、『夜の仕事』と言っていたような」
「はぁ!?」
「アイ、先刻から失礼だよ。職業に貴賎はないんだって、授業で習っただろう」
「だって、そんな人、周りにいなかったし……」
いつになく賑やかな厨房で、エースは一人、浮かんでくる笑みをかみ殺した。
椅子の中でエムが眠気に負けそうになっているのを、Gがそっと抱き上げた。
「寝かせてくるよ」
「え、お風呂は?」
少し驚いて、アイが尋ねる。
「エムは普段、朝に、姉貴と入ってる」
答えながら、エースも立ち上がった。
「部屋の案内もしとこう。来な」
軋む階段を上がり、二階の廊下を進む。
薄暗い照明に、アイは少し不安げだ。
Gが、慣れたように一つの部屋の中に入った。
「あんたの部屋は隣だ」
無造作に扉を開けて、エースが呼ぶ。
そっと戸口から覗く。
中には、壁に押しつけられたベッドが二台。他には小さな箪笥と、一人用のテーブルがあるだけだ。窓には、淡いオレンジのカーテンが下がっている。
「……ここ?」
「ああ」
「テレビとか、ゲームとかは?」
「テレビなら談話室にあるだろ」
「立体映像受信機じゃないじゃない!」
「当たり前だ。ここをどこだと思ってる」
流石に呆れて、突き放す。
「我儘を言うんじゃない、アイ」
エムをベッドに入れてきたGが、背後から口を挟む。
ぶつぶつ言いながら、アイは中に入った。小さな鞄を床に置く。
「Gはあっちの部屋だ。他はベッドが小さくてさ」
「ああ、迷惑をかけてすまない」
男たちが廊下に出ていくのに合わせて、アイが扉を閉めた。
次の瞬間、ばたんとそれが開く。
「ちょっと! 鍵は?」
「ねぇよ。孤児院を何だと思ってる」
眉を寄せて即答するのに、年頃の少女は酷くショックを受けた顔をした。




