『そちらで変わったことはないか?』
アウルバレイへ直通するモノレールができたとは言え、〈神の庭園〉の生活基盤は、反対側の街、ナレインフットにある。
買い物や外食などに関しては、圧倒的に品揃えが豊富で、夜遅くまで開いている店も多い。
〈神の庭園〉は施設内で暮らしていけるだけの設備を有しているが、家族のいる職員などは、ナレインフットで暮らしている者も珍しくなかった。
最初の被害者は、そういった者の一人だった。
「通り魔?」
夕食の席で、エースが告げられた言葉を繰り返す。
「ああ。広報課の、ランディーなんだが。昨日、帰宅途中にショッピングセンターに寄って、その駐車場で切りつけられたらしい」
眉を寄せて、Gが詳しく話し出す。
「無事なのか?」
「怪我はしてる。が、二週間もしないで完治する程度だ」
「そうか」
よかった、と小さく漏らす。
彼とは面識はなかったが、それでも内心穏やかではいられない。
「物騒だからな。エースも気をつけて」
「こっち側は平和そのものだよ」
祭りも終わり、ざわついていたアウルバレイも、冬を前にして再び穏やかさを取り戻しつつある。
苦笑して、エースは兄を安心させた。
ケイト・ファーノンは、重厚な扉の前に立っていた。
両手を後ろで組み、微動だにしないで。
やがて、階段の方から足音が聞こえてきて、視線だけをそちらに動かした。
「よう、ケイト」
姿を見せたのは、大柄な男だ。スーツの上からでも、その盛り上がった筋肉が伺える。
「ゴードンさん」
しかし、ケイトは緊張を解かずに応じた。
「パーシー坊っちゃんは、中かい?」
「はい。業務中です。お取り次ぎしましょうか」
彼女の申し出に、男はいやいや、と手を振った。
彼は、パーシヴァルの兄、クリフォードの秘書の一人だ。普段なら、滅多にこちらには現れない。
「今日は、ケイトに用があったんだ。お前さん、祭りの日に、北の広場に来てたって?」
ケイトは、眉を動かしもしなかった。
「休憩時間に、少し」
「北側は、クリフォード様の縄張だってことくらい、判ってんだろう。休憩時間だろうが、関係あるか」
それを言うなら、アウルバレイという街それ自体がヒギンズ家の縄張である。兄弟は、それを任せられているに過ぎない。
だが、ケイトは慎ましく瞳を伏せた。
「すみません。知り合いの雇い主が、店を出していたので。挨拶しておこうと」
「知り合いね」
ゴードンは、軽く身を屈めると、低く囁く。
「ブライアーズの奴らには近づくんじゃない。子供の頃ならともかく、そろそろ分別もつく年頃だろうが」
なあ、と続けて、片手をケイトの肩に置いた。
「しかし、マリアは……」
反射的に声を上げかけたところで、すぐ背後に音が響く。
「おや。ゴードン。久しぶりだな」
扉を開き、明るい声を発したのは、まだ年若い青年だ。
「パーシヴァル、さま」
流石に気まずそうに、男はケイトから距離を取る。
「兄から何か言伝でも? さあ入ってくれ。今、茶でも運ばせよう」
「いえ、そういう訳では! 通りがかっただけです、パーシヴァル様」
慌てて、ゴードンは数歩後じさる。
「そうか。残念だ。祭りも終わって余裕もできたろうから、近いうちに食事でもどうかと兄に伝えてくれるかな?」
「勿論です、パーシヴァル様。承りました」
ではこれで、とそそくさと去っていく男の背を見送る。
「お手を煩わせまして、申し訳ありません」
「構わん。マリアのことだ」
ケイトの謝罪を、さらりと受け流す。
「あいつら、マリアたちに何かしないでしょうか」
「心配要らん。ブライアーズは、不可触だ。我々以上に。少なくとも、クリフォードはそれをよく知っているよ」
宥めるように、ぽん、とケイトの肩に手を乗せる。
ゴードンとは全く違う感情を起こさせるそれに、小さく頷いた。
「二人目?」
Gから電話がかかってきたのは、彼と夕食を共にした翌日のことだった。
『ああ。昨夜、ナレインフットで、またうちの職員が被害にあった』
苦々しげな表情が浮かぶような口調だ。
『暗がりで、死角からいきなり刺されてる。物は取られてないし、怪我で済んではいるが……』
「犯人を見たのか?」
『いや。意識を失っていて、見てないらしい』
見ていたら殺された可能性もある。無事と言えるだけ、まだましか。
『そちらで変わったことはないか?』
「全然。いつもの通りだ」
『夜になって外にでかけたりするんじゃないよ』
「心配症だな。ナレインフットとどれだけ離れてると思ってるんだよ」
そう言って、エースは一笑にふした。
二つの街の間には、険しい山が横たわっている。
だが、それはほんの数時間車に乗れば行き来できる程度の距離なのだ、ということを、数ヶ月経験しなかった彼らはうっかり忘れていた。
被害者は、次の晩、その次の晩と、増え続けた。
ブライアーズ孤児院に、〈神の庭園〉の最高責任者、サー・ハワードから直接電話がかけられたのは、最初の被害から五日後のことだった。
帰りに、モノレールまでお前の兄弟を迎えに行け。
マリア・Bから端末にメッセージが送られてきていて、エースは一人首を傾げた。
エムとGは、彼らだけで孤児院まで通うことができるのに。
不審に思いながら、夕闇の中、新しい橋を渡る。
所在なげにモノレール乗り場をふらふらしていた人影を見て、ようやく得心した。
「あんたか。アイ」
「……何よその言い方」
僅かにむっとした顔で、金髪の少女は返してくる。
「うちに来るのが初めての奴がいたな、と思っただけだよ。あんたはパス持ってないもんな」
柵にもたれ、川の流れを見ていたエムとGが、こちらへと歩いてくる。
「お帰り、エースお兄ちゃん!」
満面の笑みを浮かべる妹に、手を振った。
「別に、来たくて来た訳じゃ……」
「アイ」
長兄が、窘めるような声を上げた。
「歓迎するよ」
気にしていないと軽く返し、ナップサックの中を漁って、予備に持たされていたパスケースを取り出す。
「なに?」
「セキュリティを無効化するパスだよ。俺がついてたら大丈夫だが、まあ、離れることがあるかもしれないからな」
念のためだ、とアイに差し出した。
Gたちには、モノレールが完成した時に既に渡してある。アイは、今まで誘ってもこちら側には来ようとしなかったので、まだだったのだ。
孤児院からの遠隔操作でも、一時的な無効化はできる。普通の来客にはそれで対応している。
だが、彼らはエースの兄弟だ。安全を期したかったのだろう。
「職員が持ってるやつみたい」
ぽつりとこぼして、ネックストラップを首にかける。
Gが、僅かに眉を寄せた。
「で? みんな揃って、今日はなんの用事だ?」
自転車を押して、孤児院に通じる出入り口に向かう。エムとアイは手をつなぎ、Gと共にそれに続いた。
「いや。私たちは、しばらく、ブライアーズ孤児院に泊まらせて貰うことになったんだ」
「……は?」
前庭に自転車を停めた。
「わぁ……」
淡い黄色の石で作られた建物を、アイが見上げる。
彼女は、ここに来るまでの間も、空家となった沿道の家々を物珍しそうに見ていた。
「どうして、建物がどれも同じ色なの?」
「〈神の庭園〉だって全部白いだろ」
素朴な疑問に、肩を竦めて返す。
「あれはコンクリートの打ち放しだからじゃない」
やや得意げにアイは言い返した。
「この街の建物は古いだろう。この近辺の山から切り出した岩から作られてるんだ。黄色いのは、その岩の色だよ」
丁寧なGの説明に、へぇ、と呟いて、少女は再び建物に見入った。
窓枠のペンキが剥げかけてるのが、少々きまりわるい。
「冷えてきたな。入ろうか」
荷物を手に、促す。
全員が玄関に向き直ったところで、前触れなく扉が開いた。
「連れて来たか、エース」
堂々と立つその姿に、小さく息を飲む音がする。
「ようこそ、ブライアーズ孤児院へ。歓迎しよう」
長く艶やかな黒髪を流し、白い肌も露わな「普段着」姿のマリア・Bが、自信に満ちた笑みを浮かべて、そこにいた。




