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僕らは楽園《エデン》に生えている  作者: 水浅葱ゆきねこ
アウルバレイの広場

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30/57

「まだ帰りたくない」

「あなたが、エース?」


 そんな言葉をかけられたのは、祭もたけなわとなった正午を回ったあたりだった。



 想像していた通り、昼時になれば客は増えてくる。

 だが、今日は普段と違って、他の露店もある。勿論、客の絶対数は多いが、混んでいれば他の店に流れて行ってしまうものだ。そもそも、並んでまでその店で買おうという人間は少ない。

 待たせている、という焦りが少ないのはありがたいが、当然、数をこなさないと売上が伸びないってことか、と汗を拭いながらエースは考えた。

 彼がこの仕事に就いてから、初めての祭だ。仕事には慣れてきたし、手際は悪くないが、親方には遥かに及ばない。

 失望させたくはないな、と思っているところに。

 彼女は、現れた。


 年齢はエースと同じくらいか。

 淡いブラウンの髪はショートカットで、僅かな風にそよいでいる。

 瞳は鮮やかな青。

 やや小柄な身体を、上から下まで民族衣装に包んでいた。ベースが黒いせいか、顔色が悪く見えそうなほどに、肌は白い。

 だが、見覚えはない。小さな街だ、同年齢の子供の顔ぐらいは大体見知っている。

 観光客なのだろう。

「ああ。注文かい?」

「ここにきたら、食べて行けって言われたの」

「そいつは嬉しいね」

 人懐っこく笑って、何にする? と促した。

「どれが美味しいの?」

「どれも美味いさ。好きな食べ物を選べば間違いないだろうな」

 そうでもない食材を選んで、新たな味に目覚めるのもいいだろうが、初めて食べるなら好きなものが無難だ。

 できるだけ、嫌な思いはさせたくない。

「そう。じゃあ……チーズを」

 少女は頷いて、あっさりと決めた。

「あいよ」

 チーズのトッピングは、難しい注文ではない。

 ささっと作り上げて、紙皿を手渡す。

「よかったら、また来てくれよ」

「来るわ。また」

 当然のように肯定して、少女はその場を去った。きょろきょろと周囲を見回して、食べる場を探しているようだ。

 次の客の注文を焼き始めたところで、少し離れた場所から、熱さに驚く声が上がった。




 脈が早い。

 胸がぎゅう、と痛む。

 怖くて、足が動かない。


 でも、ここまできたのだ。

 少ない時間を使って、見つかる危険を冒して。


 彼女は意を決して、楽しげに話す親子連れの後ろに、やや俯いたまま並んだ。


「いらっしゃい……おや」

 髭の大男は、何かに気づいたように笑いかけた表情を止めた。

「こ、こんにちは」

 顔を上げきれず、やや上目遣いで見つめてくるのは、短い金髪の女性だ。

 黒のパンツスーツは少しばかり大きめで、身体のラインを隠している。

「ええと、確かパーシヴァル・ヒギンズさんの……」

 その言葉は少しばかりおぼつかなかったが、しかし彼女は素早く顔を上げた。

「覚えていてくださったんですか?」

「いつもエースがお世話になっています。ええと……」

「あ、ケイトです。ケイト・ファーノン」

「ケイトさん」

 にこり、と無骨な男はそれでも営業用の笑顔を浮かべる。

「今日はお休みですか?」

「いえ、あの、休憩時間です」

 こんなに長く話していることが信じられない気持ちで、そう答える。

「休憩時間……。じゃあ、食べやすくてあまり熱くないメニューが良さそうですね」

 エースが親方と呼ぶ男は、タブレット端末を傾け、お薦めのトッピングを指差していく。

 ケイトは、ぼぅっとその大きな手を見つめていた。

「ケイトさん?」

「え? あ、はい、ではそれ全部で!」

「全部、は多いと思いますが」

 苦笑して、親方が諌める。

「大丈夫です! 私、結構食べる方なので」

 折角来たのだ。できるだけ、ここにいたい。

 トッピングが多ければ、焼き上げるのに時間がかかるだろう。

 それに、売上にも貢献できる。

 じゃあ、と呟いて、親方は熱した鉄板の上に、塊のバターを滑らせた。

 芳醇な香りが、立ち昇る。

 エースの動きは、親方の教えを受けただけあって、そっくりだ。だが、やはり師にはまだ敵わない。

 無駄がないどころか、余裕のある手つきで、ガレットを作っていく。

「そのネクタイ」

 脈絡なく話しかけられて、瞬く。

「この街の、民族衣装のデザインですか?」

 彼女は警護の仕事中だ。普段の格好から、大きく外れる訳にはいかない。

 だが、今日は同じ黒でも、幅広で鮮やかな花の刺繍が施されたものを締めてきたのだ。

「あ、はい。あの、お祭りですし」

 そして、ここに来る、と決めていたのだし。

 もう一つの理由は口にできなかったが、親方は頷いた。

「綺麗ですよね」

 ここの民族衣装、と続けられた言葉は、ケイトには半ば聞こえていなかった。

「はい、どうぞ」

 はっと気づくと、紙皿に乗せられたガレットが差し出されていた。慌てて代金を払う。

「それから、これを」

 親方は、バンに作られたカウンターの上から、小さな包みを取り上げた。可愛らしくラッピングされたそれは、彼手作りの焼き菓子だ。

「どうぞ」

「あ、えっと、お幾らですか」

 慌てて財布を探りかけるが、彼はそのまま手を突き出した。

「サービスですよ。エースのこと、これからも宜しくお願いします」

「……勿論です! お任せください」

 普段の彼女からは想像できないほど感情的な声で返すと、ケイトは足早にその場を離れた。

 北の広場は、自分の担当ではない。姿を見られては厄介だ。とりあえず手近な路地へ身を隠した。

 フォークでガレットを一口分切り分ける。

 ふわり、と豊かな香りが立ち昇って、ふとガレットの大きさに違和感がないことに気づく。

 頼んだトッピングを全部乗せていたら、かなり膨らむ筈なのに。

 多分、一つ一つの具材の量を減らしてくれていたのだろう。そう言えば支払った値段も、普段食べている、トッピングなしのものとあまり変わらなかった気がする。

「もう……やだ……」

 男の、さり気ない気遣いに、金髪の女性はただ頬を染めた。




「エース!」

 弾む声に、視線を向ける。

 午後をかなり回って、客足も途切れがちになってきた。合間を縫って食べていた昼食を口の中に押しこんで、少年は笑う。

「おう、お帰り」

 しかし、彼らの全身が目に入った瞬間、その笑顔は引きつった。

 Gに抱き上げられてうとうとしているエムと、その隣を歩くアイは、服を全て着替えていた。白いブラウスと、黒地に鮮やかな花の刺繍のあるベストとスカート。

 Gは、ネクタイを幅広の、やはり刺繍のあるものと替えている。

「どう? 似合う?」

 嬉しげに、アイがくるりと回ってみせた。二つに結った長い金髪と、スカートがふわりと広がる。

「あ、ああ。似合ってるよ」

 冷汗が滲むのを自覚しながら、頷いた。

 兄妹の欲しいものは自分が全部負担する、と告げた気持ちは、本気だ。

 だがしかし、二人分の民族衣装一式とネクタイなど、一体どれほどの代金になるものか。

 不吉な桁の数字が頭をよぎる。

 しばらく、苦笑してその様子を見ていたGが、口を開く。

「心配しなくていい。流石に衣料品はうちの予算で賄うから」

「え、あ、いや」

 気がかりなところを言い当てられて、うろたえる。

「もう、Gったら! もう少しバラすの待ってもいいじゃない」

 アイがむくれた顔で、しかし明らかに笑いを堪えながら口を挟む。

 最初から彼らの共通認識なのだ、と理解して、肩の力を抜いた。

「脅かさないでくれよ」

「いい格好しようとするからよ」

 意地悪く言うアイは、楽しげだ。

 〈神の庭園(ガーデン)〉では、エースは大抵の場合、彼女の仏頂面しか見ていない。

 気分が晴れたのならいいな、と、兄妹たちを眺めながら、思う。

「じゃあ、私はそろそろエムを連れて帰るよ。アイはどうする?」

「まだ帰りたくない」

 即答した妹に、頷く。

「三十分ほどで戻るから、この辺りで待っていてくれるか? あまり一人でふらふらしないように」

「子供じゃないのよ。それに、ちょっと足も疲れたし、どこかで座ってるわ」

 Gはエムを抱え直すと、踵を返した。すっかり慣れた足取りで広場を横切っていく。

「座るんなら、中に来いよ」

 どこか休むところはないか、ときょろきょろし始めたアイに、声をかける。

「後ろのドアから入れるから」

 判った、と、軽い足取りでバンを回りこむ。がこん、と音がして、扉が開いた。

「あ、思ってたより広い」

 自分が初めて入った時と同じ感想がこぼれる。

 片隅に置いてあるパイプ椅子を広げ、勧めた。

「あー! 疲れた」

 少女は、どさり、と両足を投げ出して座りこんだ。

「普段、こんな歩くことないもの。足いたーい」

 ヒールのある靴で、のんびりとはいえ数時間歩くのは確かに辛いのだろう。

 何となくそう推測して、エースは肩を竦めた。

「お疲れさん。何を買ったんだ?」

「えっとね、焼栗でしょ。焼りんごでしょ。かぼちゃのタルトにスイートポテトに、あと、フルーツを飴に絡めたやつと」

「食べ物ばっかりだな」

 エースにからかわれたか、と、少し膨れて見上げる。

「美味かったろ」

 だが、得意げな笑顔に、思わずアイも笑った。

「うん!」


「あんたはお祭り回ってこないの?」

 しばらく足を休ませながら、エースの仕事ぶりを見ていたアイが尋ねてくる。

「ここは一人だからな。夜まで仕事だ」

 普段は夕方には店じまいするが、今日は特別だ。終わるのは、九時頃になるだろう。

「つまんなくない?」

「去年まで、充分楽しんだ。今年は、こっちが楽しませる番さ」

 当然のようにそう返す少年に、大きく息をつく。

「あんたのそういうとこ、よく判んない」

「どういうとこって?」

「人に、楽しんで貰うとか、美味しいって言って貰うとか。それよりも、自分が楽しんだりするのがいいんじゃないの?」

 嫌味なのではなく、ただ素直にそう言っているらしい。

 改めて尋ねられて、少し考える。

「そうだな。……それが、なりたい自分だから、かな」

「なりたい自分?」

「俺は、マムみたいな、血の繋がってない俺たち孤児の為に生きた人生って、凄ぇと思う。親方みたいに、美味い食べ物で人を幸せにするのもだ。人が幸せで満ち足りてるってのは、見てて嬉しいだろ。それに、俺の手が加わるんなら、凄く満足するんだと、思うんだ」

 アイは、話が進むにつれて、どんどんと眉間に皺を寄せていった。

「やっぱりよく判んない。……けど」

 ただ、目の前のエースが、瞳を輝かせ、それこそ『凄く』嬉しそうだったから。

「それが、あんたの『幸せ』なんだ?」

 その、嬉しそうなエースの『幸せ』に、自分が介在するのも、まあちょっとはいいかな、と、そう思ったのだ。


「でも、ダンスできなくてつまらなかったりしないの?」

「去年まで充分楽しんだって言ったろ」

「……へぇ」

 突然不機嫌になったアイを、エースは半ば持て余し、半ば放置してGの帰りを待っていた。


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