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僕らは楽園《エデン》に生えている  作者: 水浅葱ゆきねこ
〈神の庭園〉

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20/57

「あんたが寂しがるのか」

 パンの焼ける香ばしい香りが満ちる。

 野菜は洗って切ってある。ドレッシングをかければ出来上がりだ。

 ハムエッグを作ろうと、卵を三つ割ったところで、はた、と手を止めた。

「……あ」

 今日からは、三人分の朝食を作る必要はないのだ。


 起きてきたマリアは、テーブルに並べられた皿に、眉ひとつ動かさなかった。

 普段よりも多めのサラダにも、文句はつけない。

 ただ、卵を二つ使ったハムエッグは断固として一つのものと交換されたが。




 親方は、自転車で近づいてくるエースに、顔を曇らせた。

「本当に、帰っちまったのか」

「電話しただろ」

 昨日、エムに同行する為に休みが欲しい、と前日の夜に話していた。帰宅してからも、一度軽く話せるところは話している。

「そりゃ聞いたが……。大丈夫そうなのか?」

「ああ。向こうの兄弟はエムのことを心配してたよ。大事にしてる」

 無造作に告げた言葉に、ならいいが、と、明らかに納得してない顔で呟く。

「親方は本当に子供が好きなんだな」

「でなきゃお前なんか雇わねぇよ」

 軽く揶揄したエースに、更に軽く返されて、絶句した。

「さて、ま、独りになったって言っても、前の通りだ。仕事に変わりはないな?」

「あ、うん」

 毒気を抜かれて、短く答える。

 そう、エムが帰ってしまっても、仕事に関しては特に不安は持っていなかった。

 今までは。



「ええー! エムちゃん、いなくなっちまったのか!?」

 驚愕する筆頭は、ギルバートだった。

 朝一番にテイクアウトを頼みにきて、店先で素っ頓狂な声を上げた男に、あからさまに眉を寄せる。

 熱したフライパンに、ガレットのたねを流しこむ。

「元いた場所に帰ったんだよ。俺がちゃんと見届けてきたから、心配いらない」

「心配いらないって、寂しいじゃんか」

 頬を膨らませる男に、呆れた視線を向ける。

「あんたが寂しがるのか」

「あ、お前は寂しくないなんて言うなよ。格好つけたって、子供なんだからな」

「格好つけちゃいないが……」

 むきになるギルバートに小さく苦笑した。

「あと、寂しがるのは絶対俺だけじゃないぜ」

 つけ加えられた予言は、的中した。



「帰った?」

「ええ」

 きょとんとするパーシヴァルに、頷く。

 幾度目かのやりとりで、既にエースは慣れたものだ。

「それでお前たちは昨日いなかったのか」

「来てくださってたんですか。すみません」

 予測はできていたが、連絡を取るのも違う気がして、彼には黙っていたのだからそれはまあ当たり前だが。

「いやいや、あの子がこれで安全だというならもう言うことはないさ」

 鷹揚に、青年は片手を振った。

 エムは、一度この広場で連れ去られかけている。

 この街を牛耳るマフィアの息子、パーシヴァルが管轄するこの場所で。

 その再発を防ぐために、彼は随分と気をかけていた。

 エムがいなくなって、その分の人手が浮くと考えても、責められるところではない。

 淡々と、エースは口を開く。

「だから、午後にマリア(ねぇ)が来る理由もなくなりましたからね」

「何だと!?」

 マリア・Bがここへ来ていたのは、午後には眠くなってしまうエムを連れて帰るためだ。エムがいなくなれば、来る理由もない。

 思えば当然のことに驚愕する青年だった。

「よし、そうだ、あの子を連れて帰って来い、エース!」

「そうだじゃないですよそうだじゃ」

 呆れて返す言葉にも、やや勢いがない。

「……何かあったのか?」

 ふいに真顔になって尋ねられる。

 時々、こうして鋭いところがあるのが、侮れない。

「いえ、特には。……若旦那」

 僅かに俯いて、表情を隠して。

「もしも、俺が、この街から出ていくってなったら、どうなると思います?」

「ん? 安心しろ、マリアのことは私がちゃんと幸せにするからな!」

「ありがとうございます。絶対出て行きません」

「何で!?」

 叫び声を上げるパーシヴァルの後ろで、ベンチに座ってガレットを食べていたケイトがくすりと笑った。


 マリア・Bが来ないと知って、早々にパーシヴァルがエースの元を離れようとする。

 それに従いかけて、ケイトは少年に近づいた。

「私は、あなたにいなくなって欲しくはないですよ」

「ありがとうございます」

 彼女が、自分の願望を表すのは珍しい。少しばかり驚いて、エースは礼を述べた。

「あなたがいなくなると、このガレットが食べられなくなりますからね」

「……やっぱりそれなんですか。一度ぐらい、直接親方のところに食べに行ってみたらいいじゃないですか」

 揶揄しようとして反撃をくらった金髪の女性が、僅かに頬を赤らめて怯む。

「え、いえでもそれは」

「一度やってみたら、案外簡単なことかもしれないですよ」

 訳知り顔で、エースは続けた。

 そうだ。どれほど難しく、辛く、恐ろしいことだと思っていても。

 一度やってみれば、簡単な、ことだ。





 結局、初日は、エムの不在に驚く常連たちが十数人いたぐらいだったのだが。

 その翌日には、明らかに売り上げが落ちていた。

「……てきめんだな」

 三日目、タブレットを手にして呟いた親方に、肩を落とす。

「すみません……」

「お前のせいじゃねぇよ」

 ぽす、と、帽子に手を乗せられ、つばが目の辺りまで落ちてくる。

「しかし思った以上にあの子は人気があったんだな」

 勿論、せいぜい数日しか滞在しない観光客への影響はないだろう。だが、常連である、この街の住人たちへの販売数が減っているのだ。

「……エムに戻ってきて貰うか……。週に一、二度とか」

 頼みこめば、それぐらいはできるかもしれない。

 エムはあの研究所で大切に養育され、自分の能力を開花させるために訓練している。

 だが、週に一日も休みがないわけではないはずだ。

 エースにだって、平日にとはいえ、休日はあるのだから。

 だが、呆れた顔で親方はこちらを見つめてきた。

「莫迦を言うな。そんなものにずっと頼っていくわけにはいかんだろう。結局、リピーターを掴めるかどうかは、味によるものなんだから」

「はい」

 安易に走るな、とたしなめられて、頷いた。

「まあ、ここでぶれると余計に下手をうつからな。焦ることはない」

 そう言って、安心させるように、親方はにかりと笑った。




「……ただいま……」

 それでも気を落として、孤児院へ帰る。

 マリア・Bは既に出勤の支度を済ませ、コーヒーを入れる準備もしていた。

「お帰り、エース。結果が出た、と連絡があったぞ」

 さらりと告げられた言葉に、少年の身体が強張った。


 無言で座る義弟(おとうと)の前に、湯気を立てるカップが静かに置かれる。

 マリア・Bは気を楽にしろ、と言える立場でもなく、エースも言われる側ではない。

 肩を竦め、マリア・Bはざっくばらんに口を開く。

「それで、結果だが」

 相槌も打てず、エースはただマリア・Bを見つめる。

「お前と、いなくなった子供との生体情報は、九十八パーセントの確率で一致したそうだ」

「……その、二パーセントは?」

 微妙な数字が気になって、尋ねる。

「人知を超えた何か不確定要素があるかもしれない、とさ」

 軽く責任転嫁されて、肩を落とした。

「あー……。まあ、期待はあんまりしてなかったけどな……」

 どっちの、とは言えない。

 自分は、いなくなった能力者ではないのか。

 あの研究所で会った者たちと、兄弟であるのか。

 どちらに期待すればいいのかなど、判らなかったのだ。

「まあそれで、お前の今後の話だが」

 とりあえず気落ちするエースなど気にもしない風に、義姉(あね)はさっさと続けた。

「明後日の夜、ホテル・ホワイトクレインで話し合いだ」

 その内容がまた予想外で首を傾げる。

「明後日の夜?」

「お前の仕事が終わったら、その足で来い。もうあまり休みたくないだろう」

 休むどころか、下手をすると辞めなくてはならないかもしれないのに。

「ホテルで?」

「下手な相手を、この敷地内に入れられるか」

 それに関して、決定権はエースではなくマリア・Bにある。存分に嫌悪感をあらわにして、孤児院の責任者は言い切った。

「姉貴は?」

「話し合いが終わったら、そのまま出勤する」

 ためらいもなく、全てに即座に返してくる。

 決めているのだ。彼女は、もう。

 自分は?

 マリア・Bが夕飯の催促を始めるまで、エースはじっと考えこんでいた。



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