「この二人に、見覚えは?」
その後、Gはエースから預かったハンカチを、見事に窓ガラスへと〈落下〉させ、とうとうエースも白旗を上げた。
そっと持ち上げた時に、ハンカチが横へ〈垂れ下がる〉光景に、色々と諦めたのだ。
十数分で効果は消えるから、と言われ、畳んでポケットに入れた。
引っ張られるかと思ったが、そうでもない。思えば、普段、下方に引っ張られる感覚はないのだから、当たり前か。
「さて、納得して貰ったところで、次の話だ」
「次?」
不審に思って、繰り返す。
エムの生い立ちは聞いた。施設の成り立ちも。
あとは、ここでのエムの様子と施設の環境を見学して、それくらいで終わるかと思っていたのだ。
「ここで生まれた子供たちの大半は、能力が発現せずに、ここから去っている。だが、その理由でなく、〈神の庭園〉から消えた子供たちがいるのだ」
不穏な単語に、眉を寄せた。
「消えた、というのはどういう……」
「子供たちだけではない。研究員二人も、同時に姿を消した。十五年前だ」
エースの言葉を遮るように、強い口調でハワードは告げる。
困惑するエースの前に、普段仕事で使っているものと同サイズのタブレット端末が差し出された。
「この二人に、見覚えは?」
流石、こんな研究所で使われている端末は、性能が桁違いだ。
生まれて初めて見る立体写真を前に、エースはぼんやりとそんなことを考えていた。
驚いたのは、そのせいばかりではない。
映しだされた、あまりにも見覚えのある、その姿にも。
「……マム・マリア……?」
それは、彼の、ブライアーズ孤児院の母親だった。
複数の、大きな溜め息が漏れる。
「もう一人の方は?」
「いや。見たことはない」
そちらに視線を向け、少し気楽になって答える。
マム・マリアは、記憶にあるよりも少々若い。
その隣に映し出されているのは、四十代ほどの男だった。痩せぎすで、落ち窪んだ目が、ぎらぎらとこちらを見据えてきている。
「その男は、セオドア・ラッカム。名前を聞いたことも?」
「ないな」
ハワードとエリノアは、顔を見合わせて頷きあう。
問い質さない方がいい気がして、口をつぐむ。
だが、研究者たちはあくまで現実的だった。
「彼は、十五年前、研究所の方針と対立した。彼の主張はあまりに合理的かつ強引で、我々にとってすら、最低限のモラルさえも踏み越えようとしていた」
自嘲的に、ハワードは告げる。
「ある嵐の夜、彼とマリア・エインズワースは姿を消した。今ほどのものではないが、当時としてはかなりのセキュリティに守られていた、この施設から。しかも、二人の子供を連れて、だ」
しかし一転して、苦々しげに続ける。
「その子供の能力は、〈ABSTRACTION〉。A、と名づけられて、いた」
「……………は?」
流石に、彼の言うことが、彼らが何を言いたいのかが判って、間抜けな声を漏らす。
「もう、会えないと思ってたわ……。無事で、よかった」
エリノアが、瞳を潤ませて見つめてきた。
「いやいやいやいやいや、そんな、まさか」
背中に、嫌な汗が滲む。
ここへは、エムのつき添いで来たのだ。
それが、自分の出生について聞かされることになろうとは、考えもしていなかった。
控えめに言っても、心の準備ができていない。
「乳児だったが、〈エース〉の身体データは、まだ保存されている。君さえよければ、そちらと照合させて貰いたい」
人違いを避けたいのは、こちらも一緒だ、とハワードが軽口を叩く。
「でも、マリアが育てていたのでしょう? しかも、幾ら彼女でも、全くの他人があの機械に触れて、同じ能力を示すような小細工は無理よ」
非難するように、副所長は所長の腕に手を置いた。
「我々は科学者だ。確実を期さなければならない。……エース」
「あ、はい」
思わず真面目に返事をする。
「君は、今までに、周りで何か不思議なことが起きたことはないかね?」
今ここにいるのが、多分、人生で一番不思議な出来事だ。
そう確信してはいたが、無言で首を振る。
「どんな些細なことでもいいんだ」
「そう言われても……。具体例でも上げてもらわないと」
「詳しいことは判らない、と言っただろう。まして、君は我々の下から十五年も不在だったのだ。どう、人格が形成されたかも知れないのに」
不満そうに、ハワードは零す。
困った顔で、エースは隣に座るGを見上げた。無言の訴えに、少々怯む。
「ああ、ええと……。私のことしか話せないが」
が、彼はそれでも応じてくれた。
律儀だ。
「その時は、確かに酷く苛立っていた。世界の全てに不満があって、壊し尽くしてやりたいと思っていたよ」
「あんたが?」
少しばかり驚く。
「Gは、反抗期が凄かったものね」
面白がるエリノアに、Gが苦笑した。
「若い頃のことですよ。……それで、そうだな、試験対象……、紙で作られた鳥だったが、それを全力で拒否したんだ。手の中でぐしゃぐしゃにして、罵倒の限りを尽くしてから、放り出した。そしたら、それは、天井に向けて落ちていったのさ」
「へぇ……」
穏やかで礼儀正しいGの想像できない行動に、僅かに笑う。
「そっか。それじゃ、多分俺は違うな」
しかし、そう続けた言葉に、その場の一同は困惑した。
「違う?」
「俺は、世界に不満を持ったことがないからさ」
「……一度も?」
「ないね」
「いや、流石にそれは」
「覚えていないだけではなくて?」
口々に口を出す人々を一瞥する。
「俺が孤児院で早々に学んだことは、希望は持たないことだ。隙を作れば、皿から肉やパンがひと切れ消えるのは当たり前だった。欲しい服や靴や鞄は絶対に手に入らない。炎天下に畑に行くのが嫌だからって、見逃して貰えはしない。俺が学んだのは、諦めと、代替手段と、交渉術だ。まあ、子供のするレベルだけどな。世界を憎んでる奴は、何人か知っているけど、正直、それで何も手に入りゃしなかったよ」
Gを見上げ、悪戯っぽく笑う。
「まあ、だから、あんたは貴重な経験をしてるんだろうな」
「フォローをありがとう」
〈反抗期〉というものを揶揄されて、青年は苦笑する。
「……未だ発現していないだけで、可能性が無いとは限らない。ともあれ、君が我々の研究所にいた〈エース〉と同一人物かどうかの検査は受けてくれないだろうか」
ハワードの申し出は快諾する。
どのみち、はっきりしないのは気持ちが悪い。
そこで、ふと思いついて、口を開いた。
「あのさ。その、超能力者って、みんな最初の一人の能力者の子供なんだよな?」
「ああ」
「て、ことはさ。もしも、俺がそのいなくなった子供だったとして、だけど。俺と、エムと、あんたは兄弟、ってことになるんじゃないか?」
Gはきょとん、とした顔で見返してきた。
数秒の沈黙の後、思い出したように瞬きする。
「あ……、ああ、そういうことに、なるだろうな」
そして、全く意表を衝かれたように、呟いた。
彼からずっと視線を外さなかったエースが、へらり、と笑う。
「俺、兄貴ができるの、初めてだ」
「……私も弟は初めてだよ」
Gは不器用に笑むと、その大きな手をエースの肩に乗せ、軽く揺さぶった。
「そろそろ、エムの検査も終っているところでしょう。みんなでお昼ご飯にしましょうか」
にこにことその様子を見守っていたエリノアが、そう促した。




