「急に言われてもな……」
「ABSTRACTION?」
首を傾げつつ、読み上げる。
個人の特性としては、それこそ文字通り抽象的だ。
「ほら! ほらほら、私の言った通りでしょ? 面影があるもの」
が、突然エリノアが大声をあげたのに、びくりとする。
「む……。しかし、他人の空似と言う言葉もあるし」
ハワードは、渋面を作りながらも、慎重な構えを崩さない。
「そんな偶然があるものですか」
しかしぴしゃりとそれを断じると、エリノアは嬉しそうに来客を見つめた。
「ああ、本当に、もう一度会えるなんて。夢のようだわ」
「あの……」
この状況に、全く要領を得ないまま、一同を見渡す。
「そうね、お約束ですもの。説明をしましょうか」
副所長は居ずまいを正す。
Gは、何とも言えない顔をしていた。
「あなたは、超能力というものを知っている?」
いきなり、そんな言葉をかけられて、首を傾げる。
「超能力? 映画とかにでてきたのなら、何度か見ました。空を飛んだり、物を動かしたり、声を出さないで話をしたりするんですよね」
エースの返事に、この場の関係者はそれぞれ苦笑した。
「まあ、大体そんなものだと考えてくれていいわ。〈神の庭園〉は、簡単に言うと、その超能力を研究する機関なの」
「……え?」
意外な点は幾つもあった。
アウルバレイほどではないにしろ、ナレインフットも充分田舎である。そんなところに、研究機関などというものが存在するのか、という点。
そして、そもそも超能力というもの自体の信憑性だ。
「超能力そのものへ科学的アプローチが始められてから数十年経っているが、未だはっきりと解明されていない。一般の人々が、胡散臭く思うのも、無理はない状況だ」
知らぬうちに表情に出ていたか、ハワードがそう説明する。
自分の狭量さを少しだけ恥じて、エースは続きを聞くことにした。
この研究所ができたのは、ざっと四十年前。
その頃に研究対象だったのは、一人の男だった。
「彼の能力は、トリックなどではとても再現できないものでね。それをどのような理論で解明できるか、また、他の人間にも使えるようになるか、というのが命題だった」
だがそれは果たせなかった。困難な研究だったのは言うまでもなく、更に、その被験者がひどく非協力的だったのだ。
「彼は利己主義で、刹那的だった。何より粗暴に過ぎた。研究者たちは生傷が絶えない有様だったよ」
溜め息をつきつつ、ハワードは回顧する。
先ほど、エントランスで遭遇した研究者たちを思い返す。どう見ても、力仕事に向いているようではなかった。
四十年前も似たような人たちだったら、まあ無理もないな、とエースは思う。
「十年近く経って、当時の所長は彼の研究を一時凍結した。次の世代に引き継がせることに方向を変えたのだ」
「次の世代?」
エースの言葉に、研究者たちは頷く。
「彼の血を継ぐ子供だ。成功率は、そう高くない。大半の子供たちは、その機械に何も映さず、何の能力も持たずに去っていった。勿論、彼らは我々が責任を持ってきちんとした養父母の下で充分な教育を受けさせ、独り立ちするように導いている」
「はぁ」
気のないエースの返事に、エリノアが小さく首を傾げた。
「その、モラル的にどうとか怒ったりしないの?」
おそらく、今までそういった反応は珍しくなかったのだろう。
そう思えば、ハワードの口調は少々弁解じみていた。
だが、エースは軽く笑う。
「聞いてるかどうか知りませんが、俺は孤児だ。孤児院には、両親のことが全然判らない子供は珍しくない。貧乏で服や靴は誰かのお古を寄付で貰う。食料も足りないから、野菜を育てて少しでも足しにする。屋根が雨漏りしたら、マムや年長の姉たちが修理する。十六になったら、孤児院から出ていくことになる。仕事に就くか、結婚するか……。進学はできない。金がないからな。十六を越えてもあそこにいられたのは、俺とマリア姉くらいだ」
淡々と話す内容に、三人の大人たちはやけに真面目に聞き入っている。
「それに比べれば、その子供たちは恵まれてるだろう? エムの話からすれば、ここの衣食住はハイレベルだ。学ぶこともできる。俺がとやかく言うことなんて、思いつかないね」
言い切ったエースは、正面に座るエリノアにいきなり手を掴まれてぎょっとした。
「苦労したのね……」
「え、いや、俺は一番年下だったから、さほどでも」
ちょっとばかり腰を引けさせながら、答える。
所在なげに、所長は一度咳払いした。
「話を戻そうか」
エリノアが、薄く浮かんだ涙を拭いつつ姿勢を正す。
内心胸を撫で下ろして、エースはハワードへ向き直った。
「結果、〈神の庭園〉は、十数人の子供たちを得た。そのうち、今もここにいるのは、三人だ」
「……つまり、そのうちの一人がエムって訳だな」
ここまで内情を話した以上、エムが無関係な訳はない。
そう問いかけた相手は、それぞれ真面目な顔で頷いた。
「私もだよ。エース」
しかし、軽い口調で、隣に座るGは告げる。
いつの間にかその右手に持たれていた、例の名刺大の機械には、新たな文字列が映し出されている。
GRAVITY
「真面目さか。あんたらしい」
茶化すように言うが、Gは静かに首を振る。
「重力だ。これを、見ていて貰いたい」
彼が左手に握っていたのは、掌に隠れるほどの、木彫りのオブジェだ。Gは、そっと、手を開いた。
その濃いブラウンの物体は、ふよふよと浮き上がる。
「………………は?」
「重力はやや弱めに加減してる。方向は上向き。あれは、浮かび上がってるんじゃない。天井へ向けて、落ちているんだ」
かつん、と小さな音を立ててオブジェは天井にぶつかった。ごろり、と安定する面を上に転がると、停止する。
「判ったかい?」
「……いや。いやいやいや、何かのトリックかもしれないだろ。磁石とか、そういう」
「磁力で引きつけたのでは、あれほどゆっくり動かないよ。エース」
やんわりと、Gがエースの言葉を否定した。
「何か、細工をしていない、と君が確信できるものを貸してくれないか。それの重力を操作しよう」
「急に言われてもな……」
困惑して、ポケットを探る。ハンカチを一枚、取り出した。もう何年も使っている、くたくたになりかけた代物だ。
それを示すと、Gは頷いて受け取った。
「能力を浸透させるのに、三分ほどかかるんだ。ちょっと待ってくれ。どっちの方向に〈落とし〉たい?」
「じゃあ、あっちだ」
エースが示したのは、ガラス窓だった。何かが仕込んであるようには思えない。
判った、と返して、彼は黙りこんだ。ハンカチは、ただ、掌の上に置かれている。
「じゃあ、その間、エムのことを聞こうか」
二人の責任者に向き直ったエースの目は、真剣だ。
「エムに示された能力は、〈MEMORY〉だよ」
「〈記憶〉?」
眉を寄せ、エースは繰り返した。
「その……能力は、どういうものなんだ?」
それを尋ねるのは、実際ひどく勇気が必要だった。
エムが今までここで、何不自由ない生活をしていたこととは、また別の問題なのだ。
だが。
「それを知りたいと、我々も思っているよ」
苦笑いを浮かべながらハワードに告げられて、瞬く。
「超能力については、まだまだ不明点ばかりだ。この単語が何を意味するのか、どのように能力が働くのか、参考にできる前例は殆どない。能力名が判明しても、それを発現することもないままだった者たちも、多い」
「そう……なのか」
少々毒気を抜かれて、呟いた。
「判らないことだらけなのよ」
肩を竦め、エリノアが微笑む。
「あの日、エムがいなくなった時に、一番懸念されたのは、能力が働いたのではないか、ということだ。能力は、大きく心が動いた時、感情を抑え切れないときに発現することが多い。怒りや苛立ち、悲しみや絶望。そして、それを制御できないまま、自滅していく者もいる。……マム・レイラが亡くなって、あの子はひどく打ちひしがれていたようだったから」
「エムが無事で、本当によかった。独りにならなくてすんで、よかった。あなたのおかげね」
「いや、俺は何も」
まっすぐに感謝を伝えられて、怯む。
「君たちと一緒に暮らしている間、あの子にそういった違和感などはなかったかね?」
尋ねるハワードは、真剣だ。
「……いや。むしろ、少し気持ちの切り替えが早いな、と思ったことは、ある。それでも、個性の範囲だと思うよ」
あの小さな子供は、激しい感情を抑えようとしていたのではないか。
ふと、そんなことを思って、目を伏せた。