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僕らは楽園《エデン》に生えている  作者: 水浅葱ゆきねこ
〈神の庭園〉

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13/57

「お前も、そんな年頃になったのか」

 その男がブライアーズ孤児院へ続く橋の上に立ったのは、エムが孤児院に住んで二か月が過ぎた頃だった。

 あまり濃くはない、褐色がかった肌。撫でつけられた短いプラチナブロンドの髪が、陽の光にちり、と光る。目の色は鮮やかな青で、生真面目な表情を保っていた。

 背は高いが引き締まった肢体を包んでいるスーツはダブルの明るめの臙脂。淡いグレイのボタンダウンシャツ。ネクタイは暗い青に、細い銀のストライプが入っている。ライトブラウンの靴は、全体を磨き立てるような野暮な真似はしていない。

 彼は辛抱強く、インターフォンの応答を待った。


「どちらさま?」

 訝しげな女性の声が返ってくる。

「突然の訪問、申し訳ない。実は、私たちの探している子供が、こちらの孤児院に預けられているようだとお聞きしたので」

 礼儀正しい言葉に、相手は十数秒黙りこんだ。

「詳しくお話を伺おう」

 短い返答と共に、鉄格子のシャッターが耳障りな音と共に開き始めた。



 車を前庭に停め、外に出ると彼は木造の建物を見上げた。

 薄く曇った空と、そびえ立つ岩山を背景にした古ぼけた孤児院は、ややよそよそしく見えた。

 木が軋む音と共に、玄関扉が開く。

「ようこそ。私が責任者のマリア・Bだ」

 挑発的に、普段着で現れたマリア・Bに、しかし来訪者は表情ひとつ変えなかった。


「初めまして。G、と呼んでください」



 Gは、通された応接室で物珍しげに周囲を見回していた。

 古めかしいソファセットに、絨毯。壁にかけられた小さな絵や、片隅に置かれた花瓶などは、どこかちぐはぐだ。

 一件電話をかけてくる、と席を外していたマリア・Bが、トレイを手にして戻ってきた。純白のカップに漆黒のコーヒーを満たしている。

「お待たせした。職場に、休みを貰わないといけなかったので」

「お忙しいところに時間を頂き、感謝します」

 生真面目に、Gは軽く頭を下げる。小さく手を振って、マリア・Bはそれを流した。

「家族の大事(だいじ)だ。当たり前のことだよ」

「お仕事は、孤児院の経営かと思っていました」

 その言葉に、苦笑する。

「人が少なくてな。ここの維持は、家庭を維持するようなものだ。外から金を稼いでこないとならない」

 はぁ、と、青年は今ひとつ判っていないような声を上げた。

「お仕事は何を?」

 続けて尋ねられるのに、彼女は人の悪い笑みを浮かべる。

「夜の仕事だよ」

「それは大変ですね」

 あくまで生真面目な返答に、堪らずマリア・Bは吹き出した。





「あれ、マリア(ねぇ)からだ」

 遅い昼休みになって、エースは個人の端末にメールが来ていたのに気づいた。

 家族か仕事関係からしか連絡が来ないため、その頻度は酷く低い。

「マリアお姉さん、何て?」

 もぐもぐと、朝に親方から差し入れられたマフィンを頬張りながら、エムが尋ねる。

「今日は迎えに来れないって。仕事が終わったら、寄り道しないで帰ってこいってさ」

 肩を竦め、告げる。

 こんなことは、時々あった。

 エムが眠くなったら、助手席に移動してやればいい。少々寝心地は悪いが、仕方ない。

 いつものように午後になってやってきたパーシヴァルがあからさまに落胆していたが、それもいつものことであった。


 そこまでは。






 門扉を開き、自転車を押して前庭に入る。

 視界に、見覚えのない一台の車が飛びこんできた。

 無意識に足を止め、数度瞬く。

「エースお兄ちゃん?」

「珍しいな。エア・カーか」

 エア・カーとは、石油や電気、水素を燃料として動かすのではなく、圧縮した空気をエネルギーとする車のことだ。車体の各所に、噴出口が設けられている。

 しかし、現在はまだ百パーセント空気のみでの稼働はできず、他のエネルギーを併用している。それ故、未だデザインは四本のタイヤから逃れることができなかった。

「珍しいの?」

 きょとんとしてエムが尋ねるのに、苦笑する。

「石畳の道だと、空気(エア)が乱れるらしいからな。この辺では乗れないよ」

 ここに来るまでは、他燃料で走って来たのだろう。

 ばたん、と玄関扉が開く。

「……姉貴。客が来てるなら服を着ろよ」

 もう諦めた方がいいのかと思いつつ、しかし多分今日の客とは初めてだ。一応言っておこう、という義務感で苦言を呈する。

 マリア・Bは真面目な顔で二人を手招きした。

「その、来客だが。エムの保護者だと言っている」


 顔が強張るのを、自覚する。

 隣に視線を向けると、幼い少女は驚いた表情で固まっていた。

「……確かなのか?」

「書類と、エムの写った写真を持参している。産まれた時からのものだ。それが偽物ではないと言えるほど、私に知識はないが、まあ説得力はある」

 突然のことで、淡々と告げるマリア・Bの言葉に思考がついていかない。

 いつものように、一日が終わると思っていた。三人で夕食を摂って、義姉(あね)を見送り、エムを寝かしつけて。

 それが、こんなにも何の予兆もなく。

「うちは、子供たちを十六歳までは面倒を見ることになっている。例外は、引き取り手ができた場合だ」

 重々しく、マリア・Bが告げた。

「今までは、全て天涯孤独なのが判っていた。だが、エムの調査はしていない。新しく子供を迎えなくなって、伝手が消えたからな。エム、お前はまだ小さい。法的な保護者がいるなら、そちらに戻らなくてはならないだろう」

 ぎゅ、と、エースが唇を噛む。

「だが、お前は『うちに帰りたくない』、と言っていた。今もまだその気持ちでいるのなら、私はお前を帰したりはしないよ」

 驚いた顔で、弟妹は長姉を見上げた。

 さあどうする、とマリア・Bは二人を見つめている。


「……ぼく、その人に、会ってみます」



 マリア・Bが言うには、迎えに来たのは信用できそうな相手ではある、とのことだった。

「このところ、エムのことを聞き回る奴らがいる、とは、パーシヴァルから聞かされてはいた」

「何で俺に言わないんだよ」

 ややむくれて、エースがぼやく。

「一つには、プロのようだったからだ。事実、お前たちの職場に無理矢理押しかけたりはしていない。彼らの中に、今日やって来た相手はいなかったようだ。彼が依頼主なのだろう。そして、まず責任者である私に会いに来てる。話を通すために」

 勿論、それらが全面的に相手を信用する理由にはならないが。

 油断せずに、エースは応接室の扉が開くのを待ち受けた。


「お待たせした、ミスター。彼らが帰ってきましたよ」

 所在なげに座っていた青年は、こちらに視線を向けた瞬間に立ち上がった。マリア・Bの隣に立つ少女を見つめている。

「エム……!」

「G……」

 気まずそうに俯いたエムの前まで来ると、Gはためらわずに(ひざまず)いた。

「無事でよかった! 本当に、どれほど心配したか……」

 少女は、顔を覗きこんでくるGに、困ったような表情を浮かべる。

「ごめんなさい」

 小声で謝るのに、安心させるような笑みを浮かべ、青年はその小さい手を握った。

 どうやら、人違いでも詐称でもなさそうだ。

 エースは小さく溜め息を漏らした。



「私たちが住んでいるのは、こちらの西側の山上なのです」

 一同がソファに座り、Gが事情を話し始める。

 エムが彼の隣に座るのが、少し気に障りはしたが。

「山の上……って、あの白い建物?」

「ええ。あれは教会ですね。山の向こう側の斜面に、住居はあります」

 Gは穏やかに頷く。

「あの日、エムがいなくなったことには、夕方までに気づきました。門からの道はナレインフットに続いていて、そちらを通った形跡はない。ですが、記録に残っていなくても、何らかの手段で通ったのだろうと私たちは判断して、半月ほど前まではそちらを探し回っていたのです」

 まさかこちら側にいたなんて、と、彼は苦笑する。

 ナレインフットは、山向こうの街だ。かなり開けていて、鉄道や高速道路も通っていると聞く。山を迂回すれば車でも二、三時間かかるアウルバレイに目が向かなかったのも仕方がない。

 しかも山の斜面は険しい。こちらの街へ降りてくる道もついていない。高さはさほどでもないとは言え、しかし。

「あそこを降りてくるとか、お前、凄いことしてたんだな……」

 感心して呟くと、正面でエムが照れたように笑った。

「全く。上から見下ろすと、きっともっと怖いよ。よく降りていったものだ」

 来る、と行く。

 当たり前だが、エースとGの立場は違うのだ。

 あらゆる面において。

 そんなことを考えているうちに、Gは真面目な顔でエムに向き合った。

「お前がここへ来た経緯は、大方レディ・マリアから伺った。エム。まだ、うちへ帰りたくないのか?」

 彼の声は充分に柔らかだったが、しかしエムは俯いた。

「ぼく……」

「マム・レイラは亡くなった。それは動かせない。私たちは、共に悲しみ、慰めあえた。全て捨てて、逃げ出したくなるほど、私たちはお前に寄り添えなかったのか?」

「……ごめんなさい」

 エムが呟く。

「ミスター……」

 堪らず声を上げかけるが、青年は静かにこちらを向いた。

「どうぞ、Gと呼んでください。責めているつもりではないのですが」

 困った顔で、ストロベリーブロンドの髪を撫でる。

「判りますよ。そちらも大変でしたでしょう」

 マリア・Bが、ゆっくり頷く。

 頼りにしていたマム・マリアを失った時に、彼女は孤児院での最年長だった。

 慌ただしさと喪失感の中、全ての責任が彼女の背に負わされたのだ。

 Gと、全く同じ立場ではないが。

 その時に最年少だったエースと、現状まだ幼いエムは、二人の大人を似たような表情で見つめた。

「どうしたい、エム。まだここにいたいなら、私が責任を持ってお前を預かろう」

 マリア・Bが促す。

 言いたいことはあるのだろうが、Gは静かにエムの答えを待った。


「ぼく……。うちに、帰ります」


 Gが、長く、安堵の息をついた。

「それじゃあ、エム……」

「もう!?」

 促しかけるのに、慌てて声を上げる。

 驚いたように目を開いて、そして青年は穏やかに笑んだ。

「出発は明日の朝にするから、準備を済ませるように、と言おうとしたんだよ」

「え、あ、すみません」

 気持ちが抑えられなかった自分に、恥じ入る。

「これからすぐ、とはいかないだろう。お二人は、エムと二か月共に過ごされたのだから。それに、今から出ても、向こうに着くのは深夜だ。夜に、石畳と山道を走るのは遠慮したい」

 冗談めかして、続ける。

「明日の朝、八時に迎えに来ます。いいね?」

 そう告げて、エムの肩にその大きな手を置く。

「貴方も泊まっていってくださっていいのですが。部屋だけは、沢山ある」

 マリア・Bの申し出に、しかしGは首を振った。

「アウルバレイに宿を取っています。お気遣いなく」

 気遣われているのはこちらなのだと、流石にエースも判っている。

 Gは立ち上がり、そして頭を下げた。


「エムを護ってくださっていたこと、〈神の庭園(ガーデン)〉を代表して、感謝いたします」





 その後は、彼らは殊更陽気に振る舞った。

 とっておきのハムを切り、冷たいレモネードを作り、親方直伝のクッキーを焼く。

「いつでも遊びにきていいぞ。私が迎えに行ってやる」

 年代物のガソリン車を所持するマリア・Bが、機嫌よくそう請け合った。

 そして家長の主張で、二人部屋のベッドを寄せ、三人で眠りにつく。

 一般家庭の子供は、産まれてすぐに一人で寝かされる。

 孤児院では、部屋と人数の関係上、複数人で部屋を使うことが多かったが、一人だけ男児だったエースはずっと一人部屋だ。

 エムも、ここに来てからはほぼ一人で寝ている。

 楽しさと寂しさを抱えて、子供はすぐに寝入った。

 窓からは、薄く、月の光が差している。

「……マリア(ねぇ)。頼みがあるんだ」

 静かな部屋に、決意を決めたエースの声が放たれた時に、マリア・Bはしばらく沈黙した。

「お前も、そんな年頃になったのか」

年齢(とし)は関係ねぇだろ!」

 エムの髪を撫でつけながら、しみじみと告げられた言葉に、エースは反射的にそう返していた。


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