「いい加減なことを言うな!」
「すまん、エース!」
ヒギンズ家の次男坊、パーシヴァルが頭を下げたのは、その日の夕方のことだった。
「若旦那……? やめてくださいよ」
慌てて、エースは手を延ばす。
いくら義理の姉に惚れていて、そこそこ親しくしてくれているからと言って、相手はマフィアの息子だ。面子を潰すような真似はさせられない。
「いや、うちの者が何人もいたのに、むざむざお前の妹を連れて行かれたのは、こちらの落ち度だ」
しかし、パーシヴァルは頑なに言い張った。
困った顔で、傍に控えるケイトを見る。彼女は、表情を変えずに肩を竦めた。
「大丈夫です。幸い、大事には至ってないですし」
再度そう告げられて、ようやく青年は顔を上げた。
「あの子を連れ去ろうとした奴らは捕まえた。その事で、君とマリア・ Bに謝罪と説明をしたい。ご一緒してもいいだろうか」
その申し出に、エースはやや顔をしかめた。
「姉貴は入れてくれないかもしれないぜ」
「その時はドゲザでもするさ」
エースの砕けた口調に安心したか、さらりと告げられた内容に、肩を落とす。
「川のこっち側ではしないでくれよ」
「なに、いつものことだ」
「いつもやってんの!?」
エースの驚愕の叫びに、ケイトは真面目くさった顔で頷いた。
後ほど合流した親方は、明らかにうろたえていた。
店員の妹が誘拐されかけて、しかもそれについてマフィアの息子から謝罪されたのだ。
親方が自分で店を出しているのは、北側の広場。あちらを任されているのはヒギンズ家の長男で、弟ほど彼らに対してフレンドリーではない。しかも親方はこの街で産まれ育った訳ではなく、こういった状況には全く慣れていない。
「後で電話するよ」
こっそりと囁かれたエースの言葉を、彼はただ受け入れた。
パーシヴァルは、エースの自転車を共に運ぶため、普段乗っている物ではないワゴンを選んでいた。
その後部座席に、御曹司と並んで座るのは、少々気まずい。
街と自宅とを遮る川まではさほど遠くないのが救いか。
川向こうのシャッターは、エースがいるにも関わらず、車が直前まで近づいても開こうとしなかった。
まず、エースが降りようと動く。
それを制して、運転席のケイトが扉に手をかけた。
が。
「私が行く」
そう告げて、最終的にシャッター前に立ったのは、パーシヴァル自身だった。
「マリア・B! パーシヴァル・ヒギンズだ」
声を上げた後、数分の沈黙があった。
『……何をしにきた』
軋るような義姉の声が、インターフォンから響く。
マリア・Bには、エムを無事に取り返してすぐに連絡を入れていた。
彼女はすぐさま義妹を迎えにきて、家に連れ帰ったのだ。
正直、今日はエースでさえ真っ直ぐ帰宅したくない状況だった。
だが、パーシヴァルは怯まない。
「午前中に起きた不祥事について、ブライアーズ孤児院の責任者である君に、謝罪と説明をしに来たのだ」
ぴしり、と告げる内容には、つけ入る隙はない。
普通なら。
『どの面下げて、貴様がここにやってきたかと訊いている!』
しかし、怒髪天を衝いている長姉は、隙など自分でこじ開ける勢いだ。
「エースが一緒にいる、マリア・B。まさか、彼を一晩外に置くわけではないだろう」
静かに、パーシヴァルが続けた。
『……脅しか?』
「え?」
更に不快さを増した声に、青年はきょとん、と返す。
『……判った。開ける。エースに何かあったら、挽肉にしてやるからな』
やや諦めたような声音を滲ませ、彼女は告げた。
「ああ! ありがとう、マリア・B!」
ぱぁっと顔を明るくさせて、声いっぱいに喜びを滲ませて、パーシヴァルは返す。
「……今日はちょっと、よく昔を思い出しかけますよ」
「奇遇ですね。私もです」
やや疲れたようにエースが零し、ケイトは変わらず無表情で返した。
意気揚々と戻ってきたパーシヴァルは気づかないようだったが。
玄関を開けて、エースは肩を落とす。
「……姉貴。着替えてこいよ」
その場に仁王立ちしていた義姉は、いつもの普段着である黒いレースの下着姿だったのだ。
「ここは私の家だ。何故、そやつ如きを慮らなくてはならない」
「そうじゃなくてさ」
少年の後ろから入ってきたパーシヴァルは、気の毒に一気に顔を紅潮させ、そして青褪めさせて、視線をきょろきょろと余所へ向けている。
マリア・Bの、肢体を惜しげもなく晒す姿に、するりと扉から入ってきたケイトは珍しくむっとしたようだ。
「さあ、応接室へどうぞ、皆。今日は私は休みを取ったからな。じっくりと、全て、話してもらおうじゃないか」
くるりと背を向けると、大股に廊下を歩き始める。
「……どうぞ」
力なく、エースは促した。
「エムは?」
「眠っている。起きるまではそっとしておこう」
年代物のソファに腰を下ろしながら、姉弟は小声でそう交わす。
未だ顔色は悪いが、パーシヴァルは彼らの正面に座った。扉の傍の壁に寄って、ケイトは静かに立っている。
「さて、マリア・B。エース。この度は、私の縄張りで、実に不本意な事件が起こったのは、まことに申し訳なく思っている。君たち全員に不安な思いをさせたこと、心からお詫びしよう」
不機嫌な顔で、この孤児院の責任者は謝罪を聞いた。
普段の彼女への態度はともかくとして、このような場では流石にパーシヴァルは真剣だ。
しかも、彼はこちらへ好意を持っている。決して悪いようにはしないだろう。
正直、本来は状況は悪くない。
だが、それに甘んじないのがマリア・Bである。
「謝るだけなら、子供でもできるぞ。パーシヴァル・ヒギンズ」
白い脚を組み、胸の膨らみを更に強調するかのように腕組みする義姉に、エースは内心溜め息をついた。
まあ、パーシヴァルはよく耐えている。
「勿論だ。犯人の二人の男は捕まえている。地元の人間じゃない。旅行者だった」
「旅行者?」
眉を寄せて繰り返す。
「あちこちを渡り歩いて、子供を攫っていたらしい。男が子供に声をかけたら目立つし、警戒する。だから、女の子を使って誘い出したようだ。今までは、目的の子供を捕まえたら、すぐにその街を離れていた。エースが素早く発見してくれて、幸いだったな」
「……なるほど」
眉間に皺を寄せたまま、しかしマリア・Bは頷いた。
「子供は、もう一人の仲間が連れて街から出たらしい。うちの方で探している」
一緒に姿を消した子供を見つけても、攫った方の子供と一緒にいなければ、すぐには捕まらない。
綱渡りには違いないが。
「それで、今後のことだが」
この状況にも少し慣れたか、視線こそ手元に落としているが、金髪の青年は滑らかに続けた。
「上に進言して、旅行者へ向ける注意をやや強くしていこうと考えている。おそらく受け容れられるだろうが、決定までには時間がかかる」
一般の観光客などは、警戒範囲から除外していたのだろう。これからはそれを含めるとなると、単純に人手が必要になる。
その手配などで、手間はかかるのは確かだ。
更に、パーシヴァルは続ける。
「そして、エースとエム、二人には専属の護衛をつけよう」
「ちょっと、若旦那!」
その状態でさらりとつけ加えられて、エースは反射的に声を上げた。
「大丈夫だ、エース。こちらにいる間は護衛につけないし、君たちに意識されるようなあからさまなことはしない」
「そういう問題じゃなくて!」
やんわりと宥められるが、見当違いだ。
百歩譲ってエムだけならともかく、十六にもなって他者に護られるというのは、ばつが悪い。
だが、マリア・Bは違った。
「それで大丈夫なのか」
低く、そう問いかける。
「マリア姉……?」
僅かに驚いて、名を呼んだ。
しかし、義姉はこちらを一瞥もしない。
「それで、二人を護れるのか。絶対に、危険な目に遭うことはないと、確約できるのか」
「いやだからマリア」
「できる」
無茶なことを言い出したマリア・Bを止めようとした矢先、きっぱりと断言されて、口をつぐむ。
パーシヴァルは、まっすぐにこちらを見据えていた。
「絶対に? もう二度と? いつまで? 永遠にか?」
「できるとも」
言い募るマリア・Bに、静かに金髪の青年は返した。
「いい加減なことを言うな!」
だん、と、拳がテーブルに振り下ろされる。
反射的にエースは身を竦めたが、しかし、パーシヴァルはみじろぎもしなかった。
「できるに決まっている。私の大切なひとの、大切な家族だ。それを全力で護ることは、最優先かつ最重要だ。疑うべくもない」
扉の傍で気配を殺して立つケイトが、軽く宙を見上げた。
流石にマリア・Bも二の句が告げない。
「……姉貴の負けだな」
小さく呟くと、じろりと睨みつけられた。
「俺の負けでもあるんだぜ」
続けて囁く。孤児院の責任者は、長々と溜め息をついた。
「……いいだろう。お前の気概に、期待する」
「ありがとう、マリア・B!」
憮然として告げた言葉に、満面の笑みでパーシヴァルは返した。
人はいいんだよなぁ、と、エースは思わず苦笑した。
目をこすりながらエムが二階から降りてきたのは、とっぷりと陽が暮れてからだった。
パーシヴァルとケイトは、もう帰っている。
「おはよう、エム」
無造作に、マリア・Bは声をかけた。
「おはよ……」
ふぁ、と、欠伸をして、エムは返してくる。
「どこか痛いところとかはないか?」
気遣いつつ、エースが尋ねた。
「だいじょうぶ……」
しかし、かなりあっさりと頷かれた。
寝起きで、まだ頭がはっきりしていないのかもしれない。
基本的に、この後のエムについては、マリア・Bに任せることに決めていた。やはり、女性の包容力というものは、まだ子供の範疇にいるエースには真似できない。
ちらり、と顔を義姉に向ける。視線を交わして、二人は小さく頷きあった。
「あれ、マリアお姉さん、お仕事は?」
そういえば、普段の出勤前の慌しい雰囲気はない。不思議そうに、エムが尋ねる。
「ん? 今晩は休暇を貰った。エム、一緒にお風呂に入って、一緒に寝ようか」
「うん!」
ぱっ、と顔を明るくさせて、幼い少女は頷いた。
「あ、親方? 遅くなってごめん」
夕食後、独りになった時に、エースは約束していた電話をかけた。
独身貴族の親方は、深夜にでもならなければ、いつでも電話を取れる。
『構わんさ、エース。エムはどんな感じだ?』
街の人間から、色々と噂を聞いているのだろう。気遣わしげに、親方は尋ねてきた。
「……よく判らん」
『判らん?』
正直なところを答えると、更に問い質された。
「うちに戻って、一度眠ったら、けろりとして起きてきた。もう少し怯えているかと思ったんだが」
自分の時とは、状況は何もかも違う。それを考慮してもエムの感情が理解できなくて、エースは首を捻った。
受話器の向こう側で、親方も唸っている。
『まあ、考えても仕方がない。注意していくしかないだろう。仕事の方だが、流石にもう来ないんだろう?』
「それもなぁ……。ちょっと水を向けてみたんだが、また行きたいの一点張りで」
溜め息混じりに告げる。
『ううむ。余り怖い思いをしなかったから、楽しい方が大事なのか?』
親方にだって、小さな女の子の気持ちは判らない。それでも推測した言葉が返ってくる。
「救けた時には、ちょっと泣いてたけどな。まぁ、マリア姉の決断次第だが、若旦那も護衛をつけてくれるっていうし、エムがいいなら続けることになりそうだ」
『……お前たち、あの家とどんな付き合いだ?」
親方が、少しばかり用心深い口調で訊く。
エースは苦笑いを浮かべた。
「ただの腐れ縁だよ」