05
青の欠片を集めて結晶にすると、一つだけ願いが叶う。
確かに童話に出てきそうな、何とも“可愛い”話である。子供にとって、それは興味をそそるに十分な文句なのだろう。リゼルヴァーンやドラゴンの子供が夢中になるのも無理はないと思った。
しかし、問題はそんなことではない。“願いが叶う”というそれを集めて、リゼルヴァーンは一体何を願うつもりなのだろうか。
ラースの脳裏に、以前の言葉が蘇る。
――黒にして――
リゼルヴァーンの苦悩が全て消え去るこなど、無いのかもしれない。もしかしたら、黒髪にすることで、リゼルヴァーンの気持ちも変わるのではないか。前を向いていくことが出来るのではないか。だったらあの時、素直に願いを叶えてやればよかったのではないか。
そう思った瞬間、後悔に似た感情が押し寄せていた。
故に、リゼルヴァーンの手中の石ころを取り上げ、呪文を唱えたのは単なる気紛れからではなかった。手に力を込め、石ころを変化させる。開いた掌には、夜の月の光に輝く、青い小さな結晶が出来上がっていた。
「あ……」
リゼルヴァーンは目を瞠り、結晶に釘付けになる。それを目の前で翳し、促した。
「貴方の望んだ物です。それで、願いを叶えればいい」
躊躇う様子を見せながらも、リゼルヴァーンは結晶を手にとった。喜び、笑顔を見せるかと思ったが、表情は変わらなかった。
実際、あれはただ術を使っただけで、石ころであることに変わりない。完全に結晶化したのではなく、結晶として見えるよう、細工を施し形を騙しているに過ぎない。いくらリゼルヴァーンが子供だからといっても、騙されることはないようだった。
しかし、それでも。嘘だと知りつつ、それでもなお、リゼルヴァーンが願うというのであれば。
今度こそ、叶えてあげたいと思った。躊躇うことなく、聞き入れようと。
ラースはただじっと、リゼルヴァーンが声を上げるのを待ち続けた。
「……願いは」
目を逸らすことなく、ゆっくりと紡がれる言葉に耳を傾ける。
「願いは……僕の願いは……母上を、元気にしてほしい」
予想していた言葉と全く違ったことに驚き、ラースは咄嗟に返事を返せなかった。
リゼルヴァーンの瞳は真っ直ぐラースを見つめている。それは、本心で願っているのだと簡単に分かるほどの、真剣な眼差しだった。初めて見るその眼が、ラースを痛いくらいに突き刺す。逸らすことは出来なかった。
「最近、また、体調が悪いみたいだから……だから、良くなるように」
ミゼリアは元々身体が丈夫では無い。近頃は起き上がり、ギルヴァーンとともに業務をこなしていたが、倒れることも度々あった。女王が寝込むのは“白の災厄”の所為だと、噂する声を聞いたことがある。しかし、実際はそういう声を上げる側に問題があるのだと、当事者達は考えもしないのだろう。
「それが、リゼルヴァーン様の願いなのですか?」
ラースの言葉に、深く頷く。それを見て、許されたような気がした。
だからなのか、口を衝いて出る言葉に驚きながらも、ラースはそれを止めなかった。
「女王陛下を元気にする為には……貴方と“ガルフィン”が仲よく、時には喧嘩をしながら、遊ぶこと。それに、貴方が女王とともに泣いたり笑ったり、時間や想いを共有しながら日々を過ごすこと。それが一番の良薬になるのだと、私は思います」
ミゼリアが健やかでいられる理由は、王以外にはリゼルヴァーンしかいないのだから。リゼルヴァーンが幸せであることが、彼女の一番の望みなのだから。
我ながらこんなことを口走るのはどうかしていると思いつつも、ラースは後悔していなかった。一番の理由はミゼリアの為を思ってのことであったが、少なからず、リゼルヴァーンを案じる気持ちがあったのも嘘ではなかった。それはロネットの言う、似た部分があるからかもしれないと思った。
――だから、気になっていたのかもしれなかった。
リゼルヴァーンが手の中の結晶をしっかりと握り締めるのが分かった。気付くと、笑っていた。初めて見せる、そのぎこちない笑顔が返事の代りなんだろうと思った。笑い返すのは何だか癪に障るので、ラースは目線を逸らしただけにとどめた。
「……黒にするのは、もういいのですか?」
結局気になって、これだけは聞いておこうと思った。
もう、本当に望んではいないのだろうか。もしもまだ、それを願っているのなら――
「いいんだ、それは。……解ったから」
思わず視線をリゼルヴァーンに戻す。
「ちゃんと解ったから。白髪でも……母上と父上は僕のことを嫌わないって」
リゼルヴァーンの悩みや苦しみがどれほどのものなのか、窺い知ることは出来ない。それはリゼルヴァーン自身にしか知りえないことだからだ。まだ、彼の心の闇は深くて暗いのかもしれない。簡単に消え去るようなものでないことだけは、確かなのだから。
それでも。それでも、リゼルヴァーンは見失っていなかったのだ。思い至ったのだ。彼は困難を乗り越えようとする力を、いつの間にか会得したようだった。いや、それは初めからリゼルヴァーンの中にあったものなのだろうと、ラースは改めて思い直した。
「……貴方が言ったから、気付いた」
俺が言ったから?
思わぬ台詞に驚いた。そんなことを言われるなんて、思いも寄らなかった。
「僕は、独りぼっちなんかじゃないんだって」
ラースとリゼルヴァーン様の似てる点なんて、これしかないじゃない。そんなの――
自分が孤独だって、思い込んでるところよ。
思わず笑ってしまっていた。
まさか、本当にロネットの言う通りだったとは。それに、こんなにむず痒い気持ちになるのも、全くもって自分らしくない。
こんなちっぽけな子供に興味を抱くなんて、本当に、らしくない。
「……貴方も、笑うんだね……そんな風に」
二回目に見た笑顔は、もうぎこちなさは消えていた。細められた瞳はやはり、澄んだ色をしていた。
「これ……ありがとう」
掌を広げて見せる結晶は相変わらずの偽物だったが、リゼルヴァーンは大切そうにそれを上着のポケットに仕舞いこんだ。そして立ち上がり、服に付いた埃や砂を払う。
「もう、行くよ」
「部屋まで送りましょうか?」
「ううん……一人で帰れるから」
そこまで言って、リゼルヴァーンは躊躇うように口を開いたり閉じたりを数回繰り返した。
何だ? まだ何か言いたいことでもあるのか?
そう思ったと同時に、リゼルヴァーンは回廊に向かって駆け出した。そしていくらか離れたあと、僅かに振り向きラースに声をかけた。
「またね。ラース」
今度こそ振り向くことなく、足を止めることなく、リゼルヴァーンは歩廊を駆けていった。
後に残されたラースは立ちすくんだまま、リゼルヴァーンの背中を見つめていた。
「……また、置き土産か」
ぽつりと呟き、苦笑した。
今度の置き土産は嫌な気はしないなと、真上に傾く夜の月を見つめながら思った。
また、お守りを頼まれるかもしれないなと、淡い期待を抱きながら。