02
ミゼリアとギルヴァーンが下城してから数時間。ラースとリゼルヴァーンは未だ一言も言葉を交わしていなかった。
同じ部屋に居るというのに、二人の距離は随分離れていた。リゼルヴァーンはじっと窓の外を見つめ続け、ラースにいたっては我関せずと優雅に紅茶を啜りながら本を読んでいた。
いや、我関せずという訳ではない。じっとリゼルヴァーンの行動を観察していた。何かあちらから行動が起こればこちらも動きやすいのだが、リゼルヴァーンは一切近づこうともしなかった。
当然、子供と触れ合う機会もなく過ごしてきたラースにとって、どういう風に接すればいいのか分かり兼ねていた。こういう時に何をすればいいのかが分からないのだ。その結果、いつもと同じように紅茶と本で時間を潰すしか方法がなかった。
女王陛下にはああ言ったが、相手も何もあったものじゃないな。
ちらりと視線をリゼルヴァーンに移し、目を眇めた。依然、身体をこちらに向ける様子は無い。
このままではこの状態で女王を迎えることになりそうだ。やはりがっがりするだろうか。ミゼリアの悲しい瞳を思い浮かべ、それだけは何とか阻止したいと思った。しかし、この状況を打破する方法など思いつかなかった。ラースはこの問題を解く答えを持ってはいないのだ。
ふと、見知った気配があることに気がついた。その人物は部屋に近づいているようであった。
ああ、アイツがやってきたのか。丁度いいかもしれないな。
呟いた次の瞬間には、扉が放たれていた。
「うっわ。何この空気。重っ」
長い金髪を払いながら部屋にやってきたのはロネットであった。ロネットは辺りを見回してラースを視界に止めると、鋭い視線を投げた。そして一直線にリゼルヴァーンに近づく。
「初めまして、リゼルヴァーン様。ロネットと申します。私も、リゼルヴァーン様とラースとともに、城の留守を任された者です。よろしくお願いしますね」
微笑むロネットを、同じく無感情な目でちらりと見ると、リゼルヴァーンはまた窓の外に視線を向けた。さして気にする様子もなく一礼すると、ロネットはラースに歩み寄った。目はまた鋭いものに変わっていた。
「ちょっと! 一体何やってるのよ!」
「何って、見れば分かるだろ」
言って紅茶を啜った。すると隣から、怒りと呆れの中間くらいの溜息が聞こえた。
「紅茶を啜るのと本を読むのが、ラースの任された仕事なの?」
「生憎、俺は子供の相手は向いていない。女王は俺を過信しすぎなんだ」
「過信なんてしてないわよ。だから私もここに呼ばれたんだから」
なるほど。俺だけでは役不足だと感じてのロネットの投入か。意外に、女王はしっかりしている。よく部下のことを把握してくれていると言っても過言ではないかもしれない。
「リゼルヴァーン様の様子はどうなの?」
「ずっとあの調子だ。こっちに見向きもしない」
ラースとロネットが会話している間も、リゼルヴァーンは窓の外を見つめ続けていた。面白い物があるわけでもなし、気になるような物があるでもなし。外を見つめ続けるような物は何もないはずである。
ただ、彼の視線は景色を見ているようで見ていないようであった。物を捉えている視線ではないのだ。どこか別の、違う何かを見ているような、そんな眼であった。
「このままじゃ駄目だわ」
強い口調のロネットは拳を握り締めている。とりあえず、ラースは黙って次の言葉を待つことにした。
「リゼルヴァーン様に、私達に興味を持ってもらいましょう!」
そう来るだろうとは思っていた。だが……
「どうやって?」
ラースの問いに、ロネットは不敵に微笑んだ。
「リゼルヴァーン様はラースの術に興味があるんでしょう? だったら術を披露すればいいのよ」
何を言い出すかと思えば。そんな不確かなものに頼るのか。術に興味があると言ったのは、女王の嘘の可能性が高い。現に、リゼルヴァーンはラースと一言も喋ろうとしないし、見向きもしない。そんな状態で術に興味があると言われても、俄かには信じがたい。
しかし、他に手が無いのは確かである。こうなっては頼るほか無さそうなのは事実だ。女王の希望的観測を、現実のものとすればいいのだ。ロネットの考えに乗ってみる価値はあるような気がした。
「しかし、披露すると言ってもどんな術がいいんだ」
こればかりは全くと言っていいほど思い浮かばない。女王付きの術士という実力の持ち主なだけあって、ラースの術の数は豊富だ。そしてそのどれもが高度な術ばかりである。攻撃を主体とするが、細々とした小さな術にも定評がある。それは『言の葉』であったり、浮遊の術であったり、物を作りだす術であったり。そのどれもが完璧なまでに完成度が高いのである。
「ここはやっぱり、派手な攻撃術でもぶっ放せばいいんじゃない?」
意気揚々と話すロネットに、ラースは透かさず突っ込んだ。
「馬鹿か。城を壊すつもりか」
「あーら。自分の術で城が壊れるとでも思ってるわけ? ラースの術ごときで壊れるような、そんな柔な造りじゃないわよ」
「ふざけるな。頑丈だったとしても、こんな所で出来るわけないだろう」
ラースの言葉に、「分かってるわよ」と拗ねてみせる。本当に分かっているのか甚だ妖しい。
「訊けばいいんだ、こういうことは。本人に」
そうだ。いくらここで二人で話していても、結局はリゼルヴァーンの好みでないといけない。彼の興味をそそるような術でなければ意味がないのだ。
その為にも、本人に尋ねるのが一番である。口を開いてくれるかは、いちかばちかであったが。
ラースは静かに窓際に歩み寄ると、リゼルヴァーンの隣に佇んだ。未だ、リゼルヴァーンは窓の外を見つめたままだ。
「リゼルヴァーン様。私の術を披露したいと思うのですが、何かご要望はございませんか?」
視線の先では、小さな白髪が微動だにせず、月の光を浴びてきらきらと輝いていた。辺りには沈黙だけが流れている。
やはり本人から聞き出すことなど無理なのか。口を開くことは無さそうだ。
そう思った矢先――
「…………黒」
僅かにだが、ぽつりと零れる声を聞いた。聞き逃してしまいそうなほど、それは小さな声だった。
「黒にして……」
ラースを見上げる瞳は初めて色を宿し、強い懇望を覗かせていた。