04
「シェットー。シェットも一緒に行くよね?」
ルルムンの問いに、つまらないとでも答えるように尻尾を振ってみせる。そして未だ機嫌の悪い目つきでこちらを睨んだ。
「だいたいさ、何で山になんか行かなきゃいけないの? もうさ、四人で行けばいいじゃない」
「ダメー! シェットも一緒に行くの!」
怒鳴りながら近づくと、ルルムンはシェットの身体を引きずりだした。
「うわっ!? ちょっと、何するの!?」
「シェットも一緒に行くのー!」
「やめてってば! 何言われても、僕は絶対に行かないから!」
引きずられるのを、爪を立てながら必死に耐える。そうまでして山へ行くのを頑なに拒否するのは単に面倒くさいからなのか、それとも腹が減っているからなのか。そのどちらも当てはまりうる狼に、リゼルヴァーンはほとほと呆れかえった。この出不精の狼を、何としても山へ連れて行ってやる。こうなったらもう意地である。
「シェット、山へ行くといいことがあるぞ」
リゼルヴァーンの問いかけに、シェットは耳をぴくりと動かす。
「……いいこと?」
訝っているが、興味を持たせることは出来たみたいだ。リゼルヴァーンはなおも言葉を紡ぐ。
「ああ、いいことだ。山へ持って行くガルフ手製の料理は、全てシェットの好みにする!」
「え!? 本当に!?」
よし、作戦その一、成功!
食に飢える狼には、食で対抗するまでだ。シェットがガルフに懐く理由は、単に腹が膨れる飯を出すからだけではない。それに見合った味を提供するからなのだ。それを逆手に取れば、恐れるに足りない。しかし、ここでまた問題が発生する。
「おい。全てって、本気で言ってんのか? コイツの好きなもん、お前も知ってるだろ」
やはりガルフが納得いかない様子で口を挟む。確かに、シェットの好きな料理は癖のある料理ばかりで、味の偏りが激しい。出来れば色々な種類の料理を食べたい。となると。
「それは、あれだ。そこで、料理人たるガルフの腕が試される訳だな。うん」
腕を組んで、尤もらしく踏ん反り返って口を開く。「はぁ?」と呆れた声が聞こえたが、無視を決め込む。そして忘れた頃にこの攻撃。
「ガルフ。ルムもレムも、ガルフの作った料理なら何でもいいよ! だって、どの料理も美味しいもん!」
ルルムンの発言にレレムンも隣で頷く。リゼルヴァーンの意図を察しなくても、純粋無垢な彼女達はただひたすらに真っ直ぐだ。この攻撃をガルフがかわせるはずがなかった。
双子の攻撃に痛手を食らうガルフを横目で見つつ、シェットの反応を窺う。
「うーん。確かに魅力的だけど……何かが足りないんだよねー」
やはりそう来たか。しかし、まだ作戦は残っている!
「シェットに新しい寝台を新調しよう。安眠出来る、良いやつをだ!」
食の次に好きなのは眠ること。シェットの好みを熟知したリゼルヴァーンにとって、これ以上の選択はなかった。さあ、来い!
「……分かったよ。しょうがないから行ってあげる」
渋々といった感じが態とらしさを醸し出していたが、矜持の高いシェットらしい態度だと、リゼルヴァーンは苦笑した。
これで、二人(匹)目、攻略!
ルルムンとレレムンの影響力はやはり侮れない。ここまで説得するのに色々な苦労があったが、あともう一歩である。最後は宿敵の登場だ。
「あとは、ラースだけか?」
重い傷からようやく復帰したガルフが口を開く。あとはラースさえ山へ行くと言えば、これで全員である。
やっと山へ行ける。リゼルヴァーンの胸は期待と嬉しさに満ち溢れていた。既にこのような気持ちを抱くのには、正当な理由があった。
ラースが妹の頼みを断るはずがない。この勝負、貰った――
◇ ◇ ◇
予想の通り、ラースは広間に居た。本を片手に優雅に紅茶を嗜むその姿は、いつもラースがとっている格好の一つだ。ラースはこちらに気付くと本を読む手を休め、紅茶を一口する。
「おや、皆さんお揃いで。いかがしましたか?」
冷めた笑顔のラースに、リゼルヴァーンは不適に微笑む。そうやって余裕でいられるのもいまの内だ。
「ルム! レム!」
リゼルヴァーンの声に反応して、双子がラースの前に躍り出る。それでもラースの表情は変わらない。
よし、行くんだ! 必殺の剣!
「お願い、ラース! ルム達と一緒に、山に行って?」
「……お願い、ラース……」
どうだ、双子の波状攻撃は! この攻撃を受けてまともでいられるはずがない。ましてやラースの妹達への猫可愛がりは、屋敷でのいつもの光景になりつつある。否とは言わせぬぞ、ラース!
勝ち誇った笑みを浮かべるリゼルヴァーンだったが、ラースの表情はそれ以上の笑みを浮かべていた。
「当たり前じゃないですか。もちろん、同行しますよ」
即答して、そして双子の頭を優しく撫でた。
あ、あれ……。予想していた反応と、違うぞ。確かに拒否もしていないし、同行すると言ったが……。なんだ、このもやもやとする気持ちは。
胸中に渦巻く謎の感情の答えを探るリゼルヴァーンに、ラースが静かに近づく。その表情は悦に入ったような、黒い微笑みだった。
「まさか、勝った、などと思っていたのではないでしょうね?」
どきりと心臓が跳ねる。まともに直視出来ないほど、ラースの微笑みは黒い。
「さ、最初は、結構だとか、言っていたではないか!」
震える声で反論する。その様子を面白そうに見つめて、ラースは口を開いた。
「“ルルムンとレレムンのおかげで”、行く気になったのです。人の感情というものは、ころころ変わるものですしね」
だから、これは勝ったわけではないと。もともと自分の試合だったと言いたい訳か、ラース。
そもそも、山へ行きたいと言った時、最初は行かせるつもりが無いのだと思っていたが、それこそが間違いだったのだ。
リゼルヴァーンがルルムンとレレムンに山の話をするであろうことは、容易に想像がつくことだ。そして、二人が行きたいと言い出すのも。
となれば、ラースが同行しない訳がない。彼女達の身の安全を一番に考えるラースが、山を拒否する理由は一つも無いのだ。最初の断りは、ラースの仕掛けた罠だった――
リゼルヴァーンは愕然と頭を抱えた。今までの苦労は何だったんだ。そう考えた瞬間、一気に疲労が噴出した。
「うう、酷いぞラース。初めから賛成しろ」
項垂れるリゼルヴァーンにラースは追い討ちをかけるように微笑み、口を開いた。
「すみません、性分なもので」
ガルフに言った言葉を思い出す。「もうあれはラースの性格だから仕方がない」などと、どの口が言えた。ガルフの怒り狂った様子を思い出し、深く同意した。
やっぱり、この暴君は野放ししておいていいものではない。
「いつまでぼーっとしているつもりですか? 山へ行くのでしょう?」
ラースの声に我に返る。
そうだ、何にしても山へ行けることには変わりない。それも皆で行けるのだ。これ以上の楽しみはなかなか味わえるものではない。今はそれで満足するとしよう。
リゼルヴァーンは勢い良く拳を振りかざすと、声を上げる。
「よし、今日は皆で山へ出かけるぞ! 準備を怠るなよ!」
それはまだ、異世界の少女が召喚される前の、ある日のお話――