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02

 厨房へ近づくにつれ、シェットの足は重しを外したかのように軽やかな足取りに変わり速度が増した。食欲をそそる匂いを漂わせるのは、ガルフの作る料理だろう。鼻が利くシェットにとって、それは涎を垂らす効果を高めるようなものだ。待ちきれないとばかりに口を開き、だらしなく舌を覗かせている。

 全くコイツは、食のことにしか興味が無いのか。

 今更ながら、この狼が自分の使い魔であることに呆れと情けなさを抱き、リゼルヴァーンは思わず溜息を吐いていた。

 出会った頃から、気分屋で横柄な態度が見え隠れするのは変わらない。主であるリゼルヴァーンを主であると思っているのかさえ疑わしい。逆に言えば、リゼルヴァーン自身に威厳が無い為だと捉えられなくもない。もしかしたら、その線が一番妖しい。しかし、自分で思い至ってしまってはかなり痛い。それこそへこむ。

 いや、これはシェットの気まぐれな性格の所為だ。主である俺を、尊敬していない訳ではあるまい。自分にそう言い聞かせ、威厳云々の考えは頭の隅に追いやってしまう。しかし、それが逃げていることと変わりがないということに、リゼルヴァーン自身気がついていたが考えないことにした。これ以上痛手を食うのは沢山だ。



 心に少々傷を負ったリゼルヴァーンに気付く筈も無く、シェットは厨房まで来ると素早い動きで中へと進入した。それにつられてリゼルヴァーンも部屋へ足を踏み入れると、目的の人物を発見し、声をかけようと近づいた。しかし、そこで足が止まった。

 ガルフは誰が見ても分かるくらい憤慨した様子でまな板を叩いていた。切り刻まれる食材は素早い速さで食べやすい大きさに切断されていたが、その余りの勢いに気圧される。

 元来睨んでいる様な表情がガルフのいつもであるが、いまのそれは遥かに限度を超えている。超絶、最高、めちゃくちゃに、キレている。

「ガ、ガルフ……?」

 とりあえず恐る恐る声をかけてみる。ゆっくりこちらに視線を向けた目が据わっていた。

「ああ?」

 こちらに何の非も無いのに思わず頭を下げそうになるのは、ガルフの憤怒の形相の所為か、はたまたリゼルヴァーンの強気のなさの所為か。

「な、何かあったのか?」

 初っ端から「山へ行こう」と切り出し難い雰囲気に、無難な言葉を選んだ。しかし、それはガルフの怒りを更に煽るだけにすぎなかった。

「何かあったかだと? あったに決まってんじゃねえかっ」

 ダンッ! と、勢い良く包丁がまな板へ振り下ろされる。

「あんの野郎……! いい加減なことばっか言いやがって!」

 何となく予想がついた。ガルフの言うあの野郎とは多分――

「ラースの野郎、一度ぶん殴らなきゃ気がすまねえ!」

 ――やっぱり。思い描いていた人物の名前が挙がったことに、リゼルヴァーンは頭を抱えた。

 何があってガルフが怒り心頭に発しているのかは分かりかねたが、これがラースの狙いであることは十分窺えた。こんな状態のガルフに山がどうこうなどと話しても、冷静に聞き入れてくれるとは思えない。

 やられた。完璧に先回りでやられた。もうこうなったらガルフを宥めるしか他ない。もしかしたら冷静さを取り戻してくれるかもしれないという一片の望みを託し、リゼルヴァーンはガルフの落ち着きを取り戻す為の行動を開始した。

「ガルフ、そう熱くなるな。いつものことだろう、ラースのあれは」

「だから余計気に食わねーんだよ! あの偉そうに、人を見下した態度も気に入らねえ!」

 包丁を握り締める拳が震えている。危ない。

「もうあれはラースの性格だから仕方がない」

「仕方ないだと!?」

 ガルフの瞳が更に据わる。堪りかねたとばかりにリゼルヴァーンの襟元を掴むと、逆上して息巻いた。

「お前はアイツのあれを仕方ないで割り切るのか!? あんな暴君を野放ししていいと思ってんのか、ああ!? そもそもてめえだってアイツの仕打ち食らってんだろ! なのに何でそんなに普通でいられんだよ! 腹が立たねえのか!? それとも、お前はそんなに気の弱え奴だったのかよっ! 昔みたいに戻るか、あ!?」

 完璧にラースから話がズレている。ああ、この調子は長くなりそうだなあと、長年の経験で悟る。

「落ち着け、ガルフ! 包丁! こっちに向けた包丁を下ろせ!」

 身の危険を感じる程接近する包丁を、とりあえず手から離そうと宥める。もう少しで奪うことが出来ると思った瞬間、場違いな声が聞こえた。

「ねーねー。そんなことどうでもいいからさ。とりあえず何か食べるものちょーだい」

 空気を読むということを知らないのかコイツはっ!

 ある意味自分の欲望に忠実なシェットの発言に、堪らず心の中で突っ込む。今まで黙って事を眺めていたと思ったらコレである。勘弁してくれと思わず項垂れそうになるのは、許されて然るべきものである筈だ。

「……おい。いま、そんなことっつったか。どうでもいいって言ったか、シェット?」

 リゼルヴァーンから手を離したガルフはシェットに向き直る。低く呟く声が怒りを表していた。しかしそんなガルフの言葉に返すシェットの発言は、信じられないようなものだった。

「言ったよ。だから何? 僕お腹空いてるんだから、早く作って」

 これではまるで火に油を注ぐようなものである。腹が減って機嫌の悪いシェットにとっては、ガルフとラースの諍いなど価値がないに等しいものだろう。それより早く飯を食わせろと思うのは、道理と言えば道理である。

 しかし、それで話が上手くいく訳もなく。頭に血が上った状態のガルフがまともに飯が作れるはずもなければ、話を聞き入れるはずもない。最悪の状態であるのは言うまでもなかった。

「言うじゃねえか。だったら、いまここでお前をぶった切って料理してやってもいいんだぞ?」

「出来るもんならやってみれば? そうなる前に、返り討ちにしてあげるけど」

 睨み合い、お互い牽制し合うガルフとシェットに、最早リゼルヴァーンは成すすべもない。このままでは山へ行くなど、夢のまた夢で終わりそうだ。ラースのあの余裕っぷりが、今になって悔しさを倍増させる。

 何か手はないのか? ガルフもシェットも、出来れば皆が山へ行けるような手段が……

 考えて考えて、そして一つの手段が閃いた。

「そうだ、これなら……っ!」

 絶対に失敗しない、最良の手が一つだけあった。最初からこうしていれば良かったんだと、悔やまずにはいられない。

 こうしてはいられない。さっそく、最良の手を獲得しなければ。

 リゼルヴァーンは対峙し合うガルフとシェットの脇をすり抜ける。足早に厨房から出ると、目的地に向かってリゼルヴァーンは駆け出した。

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