03
ガルフとルルムンが屋敷を出発してから一時間程経過した。ようやく昼の月が真上に傾いた頃だ。
シェットは相変わらず不機嫌な表情を宿したまま、レレムンの掃除を見守っていた。今の掃除場所は二階で、レレムンは無言のまま廊下を掃いている。レレムンとは距離を置き、伏せて尻尾を床に叩く姿勢は先程と変わらぬままで、シェットは思考する。
レレムンの考えが全く読めない。あれ程ルルムンと行動を共にしているのに、何故今回に限って一緒ではないのか。何か理由があるのか? だとしたら、それは一体……?
考えれば考える程、その真意が掴めない。頭を悩ませる間も、レレムンは沈黙を貫いたまま箒を動かしている。
そしてシェットは、はたとあることに気が付いた。レレムンと二人だけになるのが、実は初めてであるということに。
双子達とは数十年の付き合いになるが、こうやってレレムンと二人きりになることは今までに一度もなかった。一緒に出かけたことは殆どなく、屋敷に居る時も他に誰かが必ず居た。
気まずく思ってしまうのは、その所為かもしれない。レレムンの行動を窺うように見つめながら、シェットは黙るしかなかった。
レムとはあんまり話をしないしなあ。それに何より、得意じゃないんだよねー、レムのこと。
嫌っているわけではないが、あまりにも自分とかけ離れた存在の彼女とは、どこか一線を引いていた。種族や性別だけでなく、性格やら趣味やら思考やら、全てが違いすぎている。
故に共通の話題があるわけもなく。こちらから話しかけても口数は少なく、そしてレレムンからも話をすることは滅多にない。必要以上のことは口を開こうとしない彼女との会話は、シェットにしてみれば歯痒いものであった。
合ってないんだろうなあ、多分。僕とレムの波長はさ。
長い付き合いの中でシェットが導き出した答えがそれだった。今更、レレムンと仲良くお喋りしたい、などとは思わない。しかしこの微妙な空気の中、黙りで過ごすというのは中々に疲労するものであった。
……そろそろ、部屋に戻ろう。
このまま何の進展もなく二人きりで居るのははっきり言って耐え難い。疲労困憊するのは目に見えていた。
シェットはゆっくり立ち上がると、極力足音を出さないように用心して歩く。しかし爪が石畳を弾く音は、意に反して辺りに響いた。しまったと思った時には既に遅く、廊下の向こう側で箒を持って佇むレレムンがシェットを熟視していた。
「……えっと、僕部屋に戻るから」
つっかえながら口にするのが余計に気まずさを表していることに気付いていたが、今となってはもう遅い。こんな思いをするなら逃げるように立ち去らなくても良かったと、あとになって後悔する。
返事が無いことは承知で、シェットはそのまま去ろうと足を前進させかけて、止めた。
じっと見つめる瞳が、貫く光線を放っている。このままでは火傷して、終いには焼き殺されてしまうかもしれないと錯覚してしまうほど、熱の籠もった視線である。
「何?」
返答に期待を抱いてはいなかったが、尋ねずにはいられなかった。
「行くの……?」
程なくして、レレムンが口を開いた。か細い声でぽつりと呟く。
何で、そんなこと言うの? 何で、そんな悲しそうな声で、引き止めようとするの?
口を開いたものの、何と答えていいものか思案してしまう。思わず視線を逸らしてしまったのは、返答があるとは思わず驚いたからだ。動揺なんか、していない。
「……戻るよ。ここに居ても、何もすることないし」
レレムンはその言葉に今度は何も答えなかった。ただ、目線だけはシェットを捕らえて離さなかった。
シェットは沈黙するレレムンを一瞥してから歩みを進めた。注がれる視線をひしひしと感じつつ、今度こそ足を止めることなくシェットは先にある自室を目指した。
◇ ◇ ◇
部屋に着いて早々寝台に寝そべり目を閉じたが、一向に眠気はやってこなかった。あんなに眠いと思っていたのに、たったあれだけのことで目が冴えてしまうとはどうかしている。
シェットは必死に眠りにつこうとしたが、本人の意思などまるでお構いなしに、先程のやり取りが頭に浮かんで邪魔をする。
あの瞳が、声が、頭から離れない。別にどうということのない言葉である。レレムンが何を思っていたかなんて、何を考えていたかなんて、関係ない。シェットには、全く以て関係のないことだ。
――本当に? 全然関係ないのか?
僅かな疑問が頭を過ぎったが、慌ててそれを振り払う。
駄目だ。こんなことを考えたいわけじゃないんだ。僕は眠たいんだ。だから寝るんだ。
それがまるで義務であるのだと言い聞かせるように、懸命に頭の中の雑念を排除する。そう、これは雑念だ。眠りを妨げ、惑わすこの存在は取り払わなければならない。
しばらく悶々としてから、シェットは瞼を開いた。影が濃くなっていた。
部屋が暗いのは自分の気持ちからくるものかと思っていたら、覗いた窓の外は本当に暗闇になっていた。もともと外は暗いが、月も星も遮る黒雲が、更にその闇を深めていた。
雨が降る予兆だ。この辺りに雨が降るのは久しぶりのことである。
ガルフとルムはもう直ぐ帰ってくるかな。
別段心配しているわけではなかったが、雨が降るとなると辺りは一層闇に包まれる。そうなればいくらドラゴンだ悪魔だといっても、多少の灯りがなければ帰途に苦労する。夜目がきくシェットならまだしも、ルルムンを連れたガルフには雨と暗闇は多少厄介になることだろう。
迎えには行けないし、ここはガルフに頑張ってもらうしかないね。
窓の外を見つめ、もう一度瞼を閉じようとした時、閃光が走った。次には地を揺るがすような激しい轟きが耳を打つ。近くで雷が落ちたようだ。
女王陛下の防御壁に守られたこの屋敷に、雷ごときで破壊される心配は毛頭ない。
だからこの胸を占める、もやもやとしたものの原因は分かっていた。
心配しているんじゃない。これはただの気まぐれだ。そうに決まっている。
「……見に行くだけだし」
呟いて、シェットは部屋を後にした。




