愴
ぎゃん泣きシークゼン、思考力は変わらず。
ラプーツェの夜は酷く冷え込む。
魔法石は辺りを強く照らすが、かがり火のような熱はない。どこよりも明るいゴテル神殿はより冷えきってるようにも感じる。
この神殿には様々な種類の先視に長けた巫女がおり、日々予言をする。今日も仕事の一環として報告を聞きに来たものの、目立った情報はなかった。いや、ゴテル神殿にて重要な知らせが入る場合は災害の予知が大半なので何もないのが一番なのだが。
シフナースの中心にある神殿はかのラプンツェル妃が砂漠の主たる砂竜と出会ったとされるオアシスにある。
この砂漠で唯一花が咲き誇る庭園をぼんやりと眺める。
ジュリアン大帝の為に彼女が育てたとされるサリアの花を見ていると、遠くに何かが落ちる音がした。
完全な鮫族の魚人ではないが、大分鼻は利く。
落ちた何か、が人間だと気付いて思わず身体が動いた。
シフナース砂漠の砂はオアシス付近で地面が固まってないかぎり、どこもかしこも底無し沼状態だ。ただの人が無事で済むわけがない。
魚人や獣人はともかく、身体能力の低い種族なら自力での脱出は不可能だ。
何故か砂に沈むのに身じろぎひとつしない人影に強い焦燥感を覚えつつ、水よりずっと重い砂を掻いて泳いでいく。
真白な砂に半分身を埋めたその人はまだ年端もいかぬ少女に見えた。
肩口くらいしか見えないが、同じく黒い服を着ていた。
月下の白砂に映える黒髪黒眼。
満月を抱く漆の瞳から、目が離せなかった。
いまわの際でもないのに、走馬灯が過る。
未だに頭のどこか深いところで『ロリコン』という言葉が尾を引いて響いていた。
3半年前の出会ったその夜から、その半年後に過ちを犯して拒絶された日、この2年間の勝手な期待をして無駄な努力をしていた時。
そして、時間が巻き戻ったかのように脳裏に浮かぶ二度目の拒絶。
薄々自覚はしていたものの、『ロリコン』という言葉は心の深い場所に毒を持った澱の様に沈んでいたらしい。新しく落とされた異国の拒絶の言葉の持つ毒が底の澱をかき混ぜて浮かび上がらせる。
冷静な部分では、求婚を拒絶されることなど珍しくもないと言う声がする。
なのに身体か強張って、知らずに息が止まっていた。
陸にしろ水にしろ少しばかり息を止めるのは何の痛痒ももたらさないはずなのに、どうしようもなく苦しい。
求婚を断られたのなら詫びなり礼なり言って立ち去るべきだとわかっていても動けなかった。
とりつく島もないほど拒絶したはずの彼女の茶の浮かぶ黒い瞳が真っ直ぐにこちらを見る。その瞳には驚きと確かな心配が浮かんでいた。
その視線に縫い止められたように…いや、その視線にすがりついて動けない自分は酷く惨めだろう。
なのに、ロリは。
「…どうかなさったんですか?」
こちらを気遣い、近寄り目を合わせようと腰を下ろす。
そんな他人行儀に話して、私の想いを無慈悲なまでにはね除けて。
貴女は差し出した手を迷いなく振り払うのに、振り払ったその手で私に迷いなく差し出すのか。
鼻はツンとすると言うよりは痛い。
目が溶けそうに熱くて多分自分は泣いているのだろうと思った。
正視に耐えない様子になっているとわかっていても、身体がピクリとも動いてくれない。
どうして、どうやって、ロリを諦めればいい?
魚人で混血の私は伴侶を得ることは叶わないだろうと諦めていたのに。
全身全霊で拒まれてもう望みも何もないと諦めようとしていたのに。
誘惑して、油断させて、期待させて、拒んで。
こんなのはもう、わからない、しらない。
私には、わからないんだ、ロリ。
家族になりたいと惜しみ無く優しい愛情のキスを降らせてくれたその唇で、私の知らない異世界の言葉で否定する。
やめくれと言っても強引に伸ばして抱きしめてくれたその手で、私が触れようとすれば過敏なまでに拒絶する。
もっと年齢が近いならば結婚していいと言って私を蕩けた視線を送ったその目で、死に物狂いでその姿を取り戻した私を拒否する。
駄目なら駄目と突き放して避けて遠ざけてくれたらいいのに、貴女は私から離れてくれない。甘えて心配して気遣ってどこまでも期待させる。
頭が心が思いが考えが気持ちがぐちゃくちゃで何をしていいか思い付かない。
じり、とロリがこちらを伺うような視線をそのままに後退ろうとした。
それは多分目の前の生き物が逃げようとしたら追い縋る生き物の性で反射のようなもの。
何かを考える間もなく、気が付いたら声を上げてロリに飛び付いていた。
重みと衝撃に耐えきれず大きく傾いた彼女をなんとかかばって前のめりに倒れこむ。
なんとかロリに怪我をさせないようにできただけの理性が残ってるのがいっそ不思議に思えるくらいに号泣していた。
顔を見られたくなくて、何故かされるがままにしてくれるロリに顔を埋めた。
男としてという問題ではなく、こんなの、成人として異常だ、おかしい。
こんなに泣くなんて馬鹿だ。
でも、やっぱり考えがまとまらなくて、自分の声とも思えない啜り泣くようにひきつれて情けはい。
「ふっ…くっ、ろ、ロリっ、なん…っでっぐ、ぅうぅああああ!!!」
はっきりしない混乱したままの胸中の思いがそのまま声帯を揺らして、しゃくりあげてるのに何度も詰まりながら溢れだす。
「ロリぃ、ロリっぐぇう、なんでっ、…どうして、貴女はっ…希望があると、いつも…っぐ。ほんとうに、駄目なら、っぇく、いっそ、切り捨でっ…うぅ」
ああ、本当に何を言っているんだ。
二度も求婚を断られてみっともなくすがる阿呆なんてそうそういるものじゃない。
どうしてそんなことをするのか、自分でも訳もわからず首を左右に振る度に覗くロリは唇を噛み締めて不安げにこちらを見ているのがわかった。
「ふぐぅ、ひっ、ろり、おねがっ…ぇ、ろり、ろっ、ろり、ろりぃぐふっ、ぅええええ」
そんな顔をさせたいわけじゃない。
お願いだ、受け入れられないなら見限って捨ててくれて構わない。
「だ、大丈夫?」
彼女が宥めるように声をかけてくれても、もうまともに言葉が出なかった。
「ぐ…すっ…うぅ」
不意になんとか呼吸を整えようと試みる私にロリが優しく微笑みながら話しかけてきた。
「ねえ、そんなに泣いたら干からびちゃうよ?」
ひから、びる。
熱に浮かされたように正常に働いてるとも思えない脳にもはっきり届くその言葉。
この数年間、『ロリコン』と同じく恐怖をもたらしてきた言葉だった。
「ひぐっ?!」
しゃくりあげるのと同時に上げかけた悲鳴で情けない声が出る。
元の容貌に戻すに当たって一番の課題となったのは水分をどうやって留めるかだった。
地獄のような2年間を思い出して身が震える。
「干からびるの、嫌だよね?」
諭すような、優しい声音が逆に恐怖を煽った。
視界が揺れて認識できないほど必死に頷く。
あの、あの2年間の苦痛はもう懲り懲りである。
「じゃあ、これから、ハーブティーいれてあげるから一緒に飲もうよ」
ロリに捨てられる恐怖というより、この2年の劇的前後な肉体改造体操を思い出して痙攣するように首を縦に振る。
最近は慣れてきて平気になったと思っていたのだが…今は精神が安定してないからなのか、色々と思い出してはいけないことが脳裏を過る。
ロリに誘導されて長椅子に腰掛け、彼女を抱え込むようにした状態のまま、香草茶を飲む。
香草茶には気を沈める作用があるフィアガでも入っていたのか、段々と落ち着いてきた。
いや、落ち着いてきたと言うよりは意識が遠くなっているような。やはり混乱が続いているのか、頭がぼんやりして上手く考えられない。
私を宥めてくれようとしているのか、離れずに傍にいてくれるロリ。
くらくらして、眠くもないのに寝る直前の意識が途切れかけるような感じがする。涙で水分を流しすぎてしまったのか。
不意に意識が引き込まれるような感覚に抗いつつ、なんとか瞼を持ち上げる。
「う…」
首がかくりと曲がった拍子に声がもれた。
「どうしたの?眠いなら寝ていいんだよ」
もう起きているのか夢見ているのかも判然としない。
ロリが優しく声をかけてくれているから3年前くらいの夢でも見ているのかもしれなかった。
それならもう少し彼女といてもいいじゃないか。
どうせ彼女は私から離れていってしまうのだろうけれど。
「…ぃえ、ね…たら……くなる…」
呂律の回らない口でもう少しと最後になるだろう彼女との一時を乞う。
ここが夢でも現でも寝て目を覚ましたらきっと貴女は私の隣からいなくなるだろうから。
なのに、私の努力を嘲笑うかのようにロリは眠りを促す。
あと、あと少しだけでいいから傍にいたいのに。
いつの間にか全く力が入らなくなっていた身体に歯をくいしばって鞭をうつ。
焦点の合わなくなってきた目を凝らしてロリを見る。
安心して寝ていいと言うように背中をさすり続ける彼女は、ごねる幼子を慰める母親めいた一抹の嘘を含んだ優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、ずっと一緒だから」
本当にはならないとわかっていても。
糸が切れたように瞼が落ちて、身体が脱力するのを感じた。
ああ、本当に私は馬鹿だなぁ。
嘘と知っていても、こんなにも嬉しい。
とぷりと意識が暗闇へと潜り込むのを他人事のように思いながら寝てしまった。
一応、彼の美容体操…というか修行について後日譚要素込みで説明します。
どんなのをやったのか、と言われたら筆舌に尽くしがたいで終わってしまうので。
後に、シークゼンはこの2年間を書物に纏めて出版します。
売れに売れました。
軍事組織や格闘家、マッドな気のある医療関係者に。
所謂、魚人傭兵組織の黎明期を作り上げ、魚人医療を大躍進させました。
「軍人ってなんで美形多いの?!」
「知らないの、あのシークゼン博士が作った訓練してるからに決まってるでしょ」
「それは美容が戦闘力の副産物なの、戦闘力が美容の副産物なの???」
という声が上がりつつも、傭兵は副産物的に見目麗しくなるので、世界垂涎の的へ。
…悪ふざけが過ぎましたが、それくらい大変ってことです。