走
やっぱりコメディ…
ついにサジェンラに到着した。
長い、長い3年だった。
この移動期間にロリへの想いを絶とうと決意してラプーツェを出たものの、開始1年で挫折したことも懐かしく感じるほどだ。
件の日からロリに嫌われ、もう望みはないのだと諦めていたが、彼女の態度の根幹は変わらなかった。
行商人と行動を共にするにあたって、彼女の計算能力や事務能力の高さが明らかになり、日雇いではない正式な雇用の申し入れがあった。
今までロリが私のもとから離れないでいてくれたのは、単に他の選択肢が無かったからだ。
そう思っていた私は「ロリの自由にしていいよ」と余裕ある対応をできたのが奇跡と感じるほど焦っていた。
振られたのだから潔く諦めろと自分でも思うが、もともと3年もかけて諦める算段だったのだから仕方がない。…仕方がないのだ。
けれど、それに対するロリの第一声は「シークゼンから、離れる?」だった…ッ!!!
後で「シークゼンいないとアデーラいない、から!」と慌てて訂正していたが、あれは照れ隠しと見ても大丈夫だったのではないだろうか?
そう言えば、愛情のキスはしてくれなくなったが…何かあれば私の側に駆け寄ってくるし、実年齢はともかくロリと見た目の年齢が近い少女と話せば引き剥がされたし、アデーラ以外で自分から声をかけるのは私くらいのような。
厳正なアデーラ率いる家人と友人での討論から「未だ脈アリ」との判決が出た時は思わず拳に力が入った。
だが、決定打になったのは2年前だろう。
その日、私は亡き父と母の唯一の遺品であるロケットを落とした。
元々、ロケット自体は父親の物だったのを母が成人した時に渡してくれた物だった。
父親が早くに亡くなり、記憶に有る限りたった一つの家族の思い出である。探さないわけがない。
いつ、どこで落としたのか。
前の宿場町を出る時にはあったが、ロリの出身国のように『ケイサツ』なる組織はないし、落とし物など手に入ったら嬉しい物…つまりは拾った時点でその人のものになってしまうことが多い。
そうでなくとも、日に町を幾つか経由することもある道中のこと。
同行する商隊か家人の誰かが拾っていてくれなければ絶望的な状況だった。
母は姿絵を作るのを時間の無駄だと言い切る人で、後にも先にもあの一枚しか肖像画はない。
亡くなってから大分経って、思い出すことも稀になった今だからこそ、そういった思い出の品は大切な物だと改めて思うようになっていた。
休憩の度に訊いて回っていると、何かを覗き込んで百面相をしているロリがいた。
遠目で見てわかるほどうっとりしていたかと思うと、驚愕したというのが一目でわかるくらいに口を開けてみたり、困ったように顔をしかめたり。
ロリの手にすっぽりと収まっているのは私のロケットだった。
思わず頬が緩むのを感じる。
驚いていた理由はわからなかったけれど、あのロリのうっとりとした表情がロケットの肖像画に起因するものならば少しうれしい。
私と母のどちらを見ていたかはわからないが、母と私は似ているらしいので、私が本当に嫌いであればあんな表情はしないはずだ。
今後の討議でこれはいい報告になるだろう。
「ああ、私のロケット…!ロリが見つけてくれたのか…ありがとう、助かった」
けれど、ロリは私が声をかけると苦いような顔をした。
「シークゼンのだったの?」
その声がいつもより冷えていて、驚いた。
一体なんでロリはそんな顔を、声をするのだろう。
前よりずっと滑らかになった言葉がより冷ややかさを強調していた。
「…ああ、家族の思い出はこれだけだからね。大切にしていたんだ」
眉が下がるのがわかった。
どうしていいのかわからなくて、ロケットを受け取り素早く確認して手早く閉じる。
何かロリの気にさわることがあったのだろうか。
そう言えば、彼女は家族の話を「もう、いない」以外したことがない。家族にいい思い出がないのか、それとも…。
「…この、女の人、もう…?」
心配そうな目をしてロリが尋ねてきた。
どうやら、彼女はまた私なんかに気を使ってくれるらしい。
思わず苦笑して答える。
「ええ、4年ほど前に。今思えば、こうしたのにと言う後悔ばかりですけれどね」
口を閉じれば沈黙が訪れた。
ロリはまた気を使って、何か喋ろうと口をパクパクさせていた。鉢の小魚のようでとても微笑ましく思えてしまったのは私だけだろうか。
いや、きっとアデーラもいたなら存分に共感してくれただろう。
彼女が真剣にこちらのことを案じているのに、笑う訳にもいかず表情筋と格闘しているとロリの口からとんでもない言葉がこぼれ落ちた。
「そう…その、隣の息子さんは…?」
…。
驚き過ぎて、目がこぼれ落ちそうなほど見開いてしまった。
「は…?」
掠れた声で辛うじて聞き返すのがやっとだった。
息子?
ロリは何を言っているんだ?
「あ、あの、ごめんなさい。奥さんや息子さんのことをいきなり訊くなんて不躾でした、ごめんなさい」
青ざめたロリの顔とその台詞に呼吸が止まって、顔が固まった。
ロリはさっきまで、私と母のロケットを見ていたはずだ。
それがなんで、どうして、私の妻と子だという発想に至るのだろうか。
私に年上の趣味があるとでも思っているのか?
いや、それ以前に、私に同い年の子供がいるとでも?
とてつもなく嫌な予感がして、顔から音を立てて血が引いていった。
今度は私が口を意味もなく開閉することになったが、これはどういうことなのか。
「ろ、ロリ…」
呂律が回らないほど動揺するなんて、久々のことだった。
そんな私の様子を見て、今度はどんな勘違いをしたのやら…ロリは慌てて頭を下げてきた。
「…っ、ごめんなさい!」
泣きそうなロリに胸が痛むけど、冷静ではいられなかった。この誤解を解いておかないと、絶対に後悔するという確信めいた予感があった。
「い、い、いや、違う、そういうことじゃないんだ」
みっともなく声と手が震えているのを感じながら、自分もロリも落ち着くようにと彼女の肩に手を乗せて、伏せられた顔を上げさせた。
ゆっくりと、深く息を吸う。
それと同じくらい息を長く吐いてから、間違っても誤解やら勘違いが生まれないようにゆっくり話しかける。丁寧語になってしまうのは愛嬌だ。
「ロリ、これから訊くことに正直に答えてくれませんか?」
私の真剣な様子にロリは息を詰まらせつつ、コクリと頷いた。
「このロケットの肖像画の二人と私はどのような関係に見えますか?」
「親子」
崩れ落ちそうになる膝に激を飛ばす。
まだだ、まだ、そうと決まったわけじゃない…!
母と私が、親子に見えたのなら問題はない!
「誰と、誰が…いや、家族関係はどうなっているように見えますか?」
まさか、と質問を重ねれば
「シークゼンとオレンジの女の人が夫婦で、青年が息子さんでしょう?」
という無上に無情な返事が返ってきた。
今度こそ、膝どころか、全身から力が抜けた。
地に伏して我思う。
何為れぞ、其の言を出だすや!
どうして、そんな結論に至るのか、わからない。
ロリには私は一体いくつに見えているのだ?!
「シークゼン?!」
驚いたロリに揺さぶられる。
なんとか捻り出した声が弱々しくなってしまったのは仕方がないと思う。
「ロリ…貴女は、私、いくつだと…?」
何を今さら、と困惑するロリに地に伏せたまま、返答を催促する。
「え…40歳過ぎてる、くらい…?」
う、うわあああああああああああああ!!!
40、という言葉が胸に染み込むのと同時に、気が付いたら頭が地面にめり込む勢いで突っ伏してしまった。
同い年とは言えなかった。
いつも年齢を上に見られて立腹する婦女子の方々を不思議に思っていたが、これはきつい。
これは、つらい。
これは、泣ける。
もしかして、ロリに求婚したときも20歳も年上の男が20代の年若い女性に迫ったのだと思われていたのだろうか?
ロリの中で、私は変態扱いされてしまっていたのだろうか?
い、いや、でも、そんな、そんなっ!
もし、そうだったら…?
…立ち直れそうにない。
慌てふためくロリに対応もできないまま、撃沈するこの状況は騒動に気が付いたらアデーラが救援に来るまで続いた。
この時になってようやく、私はシフナースでの年月が自分の容姿を大きく変えていた事に気付いたのだった。
シフナースではあまり姿が映るほどの水場は少ないし、家人に支度はひてもらうもので自分で確認することはまずなかった。鏡もあるにはあるが、大富豪や貴族の令嬢でもなければあんなに高い物を買いはしない。
一緒に過ごした屋敷の人々も私と同じような症状があったようだが、私以外の者は40歳を越えているのがほとんどで変化も殆んどわからなかった。
そして、お互い毎日顔を合わせていたため、変化には気が付かず、変貌している容姿のまま実年齢と同じように自然に認識していた。
要するに、全員が全員、老けたことに気が付いてなかったのだった。
しかし、そんな魚人の砂漠移住事情を知らないロリの目にはどう映っただろうか?
確実に見た目通りの年齢だと思ったことだろう。
…いくら好意を感じていても、親子ほどに年の離れた相手にいきなり口付けされた挙げ句に求婚されたらどうおもうだろうか。
考えるまでもない。
その事実はロリに「変態おじさん」扱いされていたことと相まって多大な精神ダメージを私に与えた。
もし、その後に、アデーラからの吉報が入らねば私は立ち直れなかったことだろう。
「旦那さま!オサナ様は肖像画の旦那さまを見て、素敵だと、好みだと仰っておりましたわっ!!!旦那さまがこのくらいの年齢でしたら、結婚も考えたと…ッ!!!」
このアデーラの報告を聞いた瞬間から、私の半ば肉体改造な若返り…壮絶な美容修行が始まった。
乾燥と日光を遮るためにローブを被り、日夜美容液の研究をし、肉を主食に戻して適切な鍛練を積み重ねた。
討議の結果、顔を見せない方がネタバラシの効果があるということになり、あまりロリとも話せない日々が続いた。
ロリとあまり話せないのは辛かったが、勘違いされたまま拒まれる方が辛い。
アデーラら家人と友人の後押しを得て、ひたすらに美容に励んだ長い2年はこうして幕を切ったのだった。
ということで、避けられた1年に、避けた2年…長い3年間を過ごしたわけだ。
本当はすぐにでもロリに会ってもう一度求婚をやり直したいけれど、そうもいかない。
サジェンラに無事到達した祝いをした後は、国王に大使の引き継ぎが成功した旨を伝え、その他の事務作業を面倒なことに所定の場所に赴いて行わなければならない。
下手に爵位なんぞを持ってる為にどれだけ急いでも、事後整理に一月かかってしまった。
ロリには挨拶回りに行くことを告げているけれど、見知らぬ土地で家主のいない屋敷にいるのはきっと寂しいだろう。もちろん、アデーラは置いていったが…彼女は心配性なのでどうしても気になる。連絡が入っていないので元気なことは確実なのだが。
まだ日は高いが夕刻を過ぎた頃、私はようやく1ヶ月ぶりに屋敷に帰ることができた。
仕事を終わらせるのに躍起になったせいもあって、身体は重く、数年でだいぶ負荷をかけたからかラプーツェにいた頃のように具合がいいとは言えなかったが、心は軽かった。
この2年でロケットの肖像画時代よりも、確実に若く見えるようになったはずで、準備万端だった。
古くからの様式に従って、相手の好む花も用意した。身成も砂漠にいた頃よりは整っているし、服は新調したばかり。
これで、アデーラが調査したロリの求婚に対する要件は完璧だ。
今日こそ、正しい手順を踏んでロリの望む形で『プロポーズ』をするのだ。
事前に通達してあるので、家人は出迎えをせずに固唾を飲んで成り行きを見守っているようだ。…失敗するのが前提にも見えるから逆にやめてほしい。
まあ、大分前から緊張と期待で表情筋が緩んでみたり強ばってみたりと、あまり見せられる顔ではないからちょうどいいのだけれども。
ふと視線を上げれば二階のバルコニーにロリが身を預けるようにして立っていた。
アデーラたち家人の事前調査や最近の態度から見て、脈アリなのは確実だ。
討議での結論やその他をひたすら脳内で復唱しながら歩く。
ラプーツェの屋敷よりは広いと言っても、大した距離ではない。あっという間にロリの居室の前に着いてしまった。
本来なら未婚の女性の部屋――それも寝室が隣接するような――には男性が入るべきではないのだけれど、ロリの場合は心を許しているかどうかの判断基準しかないようなので敢えて行くことにした。前の相手の部屋に入るのを躊躇しない彼女の様子からして、むしろ、入ることを許可されなかった場合は今からでも諦めるしかないということになる。
緊張で目眩がする思いになりながら、扉を三度叩く。
息が止まりそうになるのをどうにか整えて待っていると、誰かも問わずに「どうぞ」と許しが出た。
バルコニーで彼女は私を見ていたので、ここを訪ねたのが誰かはきっとわかっているだろう。
2年もまともに話すことができなかったのにロリの例の事件と変わらない対応に心が踊るのがわかった。報告を聞いても、ふとした拍子に彼女を見かけた時の反応よりも、直接的な好感触がようやく実感を連れてきた。
今得たばかりの喜びを後押しに、自然に微笑むことができた。
「久しぶりですね、ロリ。移動している最中はゆっくり話す暇もありませんでしたから」
本当に久しぶり過ぎて何と言っていいかわからず何故か丁寧語になってしまった。無難に話しかけても彼女は瞠目してこちらを見るばかりで一言も発さない。
どうしたのだろうか、と思ってからハッとした。
そうか、見た目が余りにも変わって混乱させる可能性もあったのだ。彼女は私を40歳代だと思っていたのだから仕方ない。
気付いてもらえなかったら、どうしようか。
こちらも慌ててしまって扉の前に立ち尽くしてしまう。どう説明したものか悩んでいると、ロリが「あっ」と声を上げて口に手を当てた。
その目には先程とは違う動揺が映っていて、確かめるようにじっと私の目を見つめている。
私と気付いてくれたのだろうか。
自分で言うのもなんだが、この2年間での容姿の変化は元の年齢を考えても異常なほどである。本来ならきちんと説明するべきなのだろうけれど、くだらない意地のようなものがあって彼女に気が付いてほしいと祈るような気持ちでしばし待った。
すると、ロリの唇が微かに「シークゼンの…」と動いた。
「やっと、気付いてくれましたか!」
未だに混乱が見えるもののそれ以上に確信が浮かぶ瞳に喜びが込み上げる。
満面の笑みになっていることを自覚しながら、ゆっくりと彼女に歩み寄る。急いで近付いて怯えられるのは避けたかった。
ロリは私の目を真っ直ぐに見つめてじっと待っていた。
…大丈夫なのだろうか。
このまま、想いを告げてもいいのだろうか。
自分に責があるとはいえ、あの日のことは今でも悪夢になるほど脳裏に焼き付いている。想う人の拒絶に満ちた顔がどれだけ心を抉るものか初めて知った。
『ロリコン』という彼女の故郷の罵倒が甦ってきて緊張とは別に身がすくんだ。
動きがぎこちなくなったりしないか、変に見えていないか。
心臓が空回りするほど速くなり緊張で頭が一杯になっていても身体は滑らかに膝を折って練習通りの動きをしてくれた。
そのままの流れで後ろ手に隠していたセリアの花を差し出す。
セリアの花はジュリアン大帝とラプンツェル妃の恋物語でも出てくる有名な花で、ロリと私には縁の深い花だった。
最初に出会った時もサリアの花が咲いていた。
彼女が初めて「ほしい」と言ったのもサリアの花だった。
私には花言葉としての意味よりも、ロリとの思い出としての意味が強かった。
サリアの花言葉は控えめなラプンツェル妃の恋の象徴とされるだけあって、悪い意味はない。むしろ、ロリが花言葉を知っていたとしたら良い方に働くはずだ。
ここに至って早鐘のように煩かった心臓の音までもが遠くに聞こえる。
緊張し過ぎて逆に心が凪いでしまったようだ。
そのせいで現実味が薄れて足元が覚束ないような、不思議な気分になる。
自分は今、何をしようとしていたのだったか…。
あの時とは状況がかなり違う。
見た目…もとい、年齢の壁は解決したはずだし、彼女の故郷の作法とさして違いのない求婚方法で距離も適切に保っている。
問題はないはずだ。
でも、ロリの反応は芳しいようにもそうでないようにも思える。
終いには、ロリは私にどう接してくれて、私は彼女にどう接していたのかがわからなくなってきた。
それも当然で、彼女とはほぼ3年も普通に接していないわけで。
希望はあると励まされて、そう思い込んでここに来たけれど本当にそうだったのか?
そもそも、私は彼女を本当に好きなのか。
そんな根本的な想いまで不安に飲み込まれていく。
思わず、ロリから僅かに視線を動かして差し出した手にある花を見た。
黄色味のある白い花弁が幾重にも重なった特徴的な形状。
セリアの花。
確か、ロリはラプーツェの屋敷では庭師にセリアの花を株分けしてもらって自室の窓辺で育てていたのだったか。
その時のことを思い出してもう一度ロリに視線を戻せば、彼女は息を詰めて仄かに目を潤ませてこちらを見ていた。
彼女も同じように緊張しているのかと思った瞬間に、「ああ、そうか」と妙に納得してしまった。
花の一輪を見ても彼女を思い出すのに。
どうして好きでないとと思えるものか。
ロリの一生懸命なところも、不器用なところも。
彼女を見れば自然に、好きだと、愛しいと思える。
揺れていた気持ちが今度こそ本当の意味で凪いでいく心地がした。
何度でも、貴方を想う。
言葉から、見つめる瞳から、あなたにこの想いが少しでも伝わるように。
「ロリ・オサナ、改めて結婚を申し込ませていただきたい」
自分でも驚くほど穏やかに求婚の言葉が零れ落ちた。
サジェンラのまだ高い日を背負って立つロリの口元が震えるように動いた。
彼女は考えるとき口からその内容が漏れ出すことがある。茶を含んだ黒の瞳から読み取れるものがあまりにも少なくて、思わず彼女に近付く。
その瞬間、ロリが大きく口を開いた。
『ひぃいいぃ、ロリコンが来たぁ!!!』
あの夜と同じ、『ロリコン』という拒絶の言葉が耳をつんざくように響いた。
シークゼンの思考速度は、野球漫画のバッター並みだと思う