想
蛇足なお話。
能天気なロリとは正反対なシークゼンの一人相撲、ここに開催。
彼の不憫は仕様です。
「…っや、『ロリコン、反対!!!』」
意味がわからずとも、伝わる明確な拒絶に心が冷えた。
身体は相変わらず熱を持っていたけれど、知らずに身が震えるほど、心が冷えた。
その心が欲しいと思っていた。
でも、今自分がやろうとしたことは何だった?
ついさっきまで、彼女が隣家のフィカティア夫人と作った蜂蜜菓子を食べて、いつものように談笑していて。
それで?
この口内に残る熱と、蜂蜜ではない味は。
「『ロリコンは犯罪、ロリコンだめ、ロリコンは社会的な死亡!早まったらアカン!今なら戻れる、まだ未遂だからっ!!!』」
全くもって意味がわからない言葉で悲鳴のような声音で捲し立てる彼女。
出会ってから一度も使おうとはしなかった故郷の言葉なのだろうと、思った。
その悲痛な叫びが否定するもの。
許可もない無遠慮な深い口付けと、取って付けたような後付けの求婚。
そこに気持ちがあったことは、
きっと、もう、つたわらない。
「『ロリコン、断固として、反対だから!!!絶対に更正させるからね!!!』」
青ざめているのに、頬だけ赤い彼女のその身から絞り出すような拒絶の言葉が脳裏に杭を打つ。
熱に浮かされた身体を持て余す、冷えた心に繰り返される呪詛にも似た響きの『ロリコン』という言葉と彼女の恐怖が染み込むようだった。
▽
胸が痛い。
焦燥感と罪悪感と恐怖感。
死刑か無罪かの極端な判決を待つ咎人にでもなった気分だ。…いや、ロリに捨てられたらきっと立ち直れない自信がある以上、ある意味事実だ。
彼女の国ではこういう、差し引きならない状況を形容する時はなんと言ったか…『マジヤバイ』だったか?『ヤバい』という言葉の汎用性は大陸共通言語には存在し得ないほどで、奥の深い言葉らしい。
「旦那さま、そろそろオサナ様をお連れしてもよろしいでしょうか?」
応接間、で日の入り前から悩んでいた私にアデーラの声がかかる。
「…ああ 、頼むよ」
返事をしつつも、思考はさらにロリに引っ張られる。
半年前にシフナース砂漠に突然落ちてきた彼女。
成人した純粋な人族にしてはあどけない顔立ちで身長も低いから幼く見られがちだけれど、十二分に魅力的な女性だと思う。
必要に迫られているから当然と言えば当然なのだろうが、慣れない環境…それもこのシフナースにいながらも懸命に言葉や習慣を覚えようとする様には素直に尊敬できた。
昼夜が逆転して、温度差や極度の乾燥に晒される辛さはこの屋敷にいる者全員が身に染みて知っている。
人族だから私達よりは乾燥に強いと言ってもロリは水が豊富な国から来たようだし、ここでの暮らしは決して楽ではない。
そういう面での苦労だけでなく、彼女は身内や知り合いがこの国にはいない。
半年前に出会った私とこの屋敷の家人達だけがここで知る人なのだ。
私はロリを手放そうと考えたことはないし、そろそろその考えも伝わっていると思うけれど、初めの頃はそうは思えなかっただろう。
頼る者がいない世界で、どうして彼女はあんなにも頑張ることができたのだろうか。
身体に負荷がかかるのを承知でこのシフナース砂漠まで逃げてきた私にはとても眩しく見えた。
そんな見ているこちらが心配になるほど全身全霊で努力する彼女は自分を省みなかった。端から見たって余裕なんて無いのに、私なんかを気にかける。
仕事に追われて日の出過ぎまで仕事をすれば、室内にいようと乾燥と慢性的な栄養不足からくる体調不良に拍車がかかる。それも最近は慣れたもので、アデーラでさえ不調には気付かないほどに振る舞えるようになってきた。それにも拘わらず、ロリだけは必ず気付いた。
ロリは自分の体調には鈍感なくせに、人のことには鋭い。
そんな彼女に心配されたり労われるのは嬉しいけれど、酷くもどかしかった。
彼女はいつも一方通行の好意で、こちらの好意には蓋をする。
人は回遊魚のように泳いだまま休むことはできないのに、ロリは休むことを頑なに拒んでいるようだった。
そのことがどうしようもなく悔しいと思うようになっていて。
どうにかして彼女に安らぎを得てもらいたくて。
気が付けば、その彼女が安らげる場が私の元であって欲しいと願うようになっていた。
二月前にはこの気持ちが恋情にあたることには気が付いていた。
たった四ヶ月でほだされたのか、四ヶ月もかけて惚れ込んだのか。
「旦那さま、オサナ様をお連れしました」
アデーラの声にはっとして顔を上げる。
恰幅のいいアデーラの後ろに半分ほど隠れるようにしてロリがいた。
象牙の肌と幼く見える彫りの浅い顔立ち。
魚人の黒とは違う、温かな茶を孕んだ瞳。
黒々とした癖ひとつない艶やかな髪。
この一週間徹底的に避けられて、夢に見るほど焦がれた彼女の姿に息を飲んだ。
こちらと視線を合わせないように目を泳がせるロリに、胸が締め付けられる思いがした。
仕方ない、と頭では考えていても、心はどうしようもないくらいに身勝手に彼女を欲しがる。
私はもう一週間前に彼女を求める資格は失っているのに。
後ろに控えるアデーラにすがり付くロリの怯えた表情がその未練を深く突き刺した。
「…ロリ、本当に、本当に、すまない…何度も言ったが、許してとは言わない。けれど、今後をどうするか、もう一度話し合わせてくれないか…?」
男でも想ってもいない相手に意味を持って触れらるのは不愉快に感じる時がある。欲が刺激より心に左右される女性であれば、尚更だ。
突然、好意を抱いてもいない相手に意図を持って触れられて求婚されたとあればこの上ない恐怖を感じたことだろう。
こんな顔をさせたかったわけじゃない。
何故、あの時私はどうして欲に流されたりしてしまったのだろう。
心が伴わないならば虚しいことも、拒絶されれば狂おしい程につらいこともわかりきっているのに。
「うん、話し合う、する」
ロリの強ばった声。
とりあえず、話し合いはさせてくれることに安堵しつつも、後悔ばかりが募る。
「…ありがとう、ロリ」
それだけなんとか口にする。
「オサナ様…」
アデーラがロリを宥めるように声をかけた。
「アデーラ、いいよ。
では、ロリ…まず言わねばならないのは、私はここを離れなければならないということなんだ」
なるべく彼女に負担をかけたくなくて柔らかい声音を意識したけれど、それでもロリのびくりと肩が震えた。
やはりと言うべきなのか。
手順も踏まずに手を出そうとして怯えさせた身としては然るべき態度だと思うものの、私の気持ちが少しも彼女に伝わっていないのが悲しかった。
それ以前に半年も一緒に過ごしてたのに、手を出そうとして拒まれたからと言って見捨てるような男だと思われているのだろうか…。
…気を取り直して、用件をゆっくりと穏やかな口調を心掛けて話していく。
「ロリは私がこのラプーツェに大使として派遣されていることは教えていたよね?その任期が終わったんだ。だから、私はこのシフナース砂漠と海を越えてサジェンラ…私とアデーラの故郷に帰らねばならないんだ」
ロリは細かいところはわかっていない様子だったけれど、このシフナース砂漠から離れることはしっかりと伝わったようだった。
呼吸を整えて、この話し合いの最も重要な、選択肢の提示をする。
「それでね、ロリ…せっかくここの生活に慣れたばかりなのに、悪いのだけれど…私達とサジェンラへ来てくれないかな?もちろん、此方に残りたいならば然るべき所に推薦状を送るよ」
祈るような気持ちで言葉を紡いだ。
もう自分に可能性はないのだと割りきることができない自分に辟易するが、どうしてもロリと離れたくなかった。
もし、彼女に想い人がいるようなら諦められたのだろうか…。
ロリは未だに交遊関係が狭く、私を除けば話し相手など二人しかいない。アデーラと隣のカヤルフ卿の細君たるフィカティア夫人だけ。
人と交流するのが苦手には思えないのだが、彼女は人と親睦を深めようとすることはあまりない。
じっと見つめていると、視線から逃げるようにしてアデーラにしがみついてロリは言った。
「…行く、アデーラさん、一緒」
もう私を視界に映すのさえ厭うような態度。
私の考えなどわかりきっているであろうアデーラが悲しそうに顔をしかめながら、すがりつくロリを抱き締めた。
ロリがこちらを見ていなくて、よかった。
多分、私は、今、見せられる顔を、していない。
自責と後悔とか、理不尽で身勝手な悋気に意味もなく溢れる悲しみとか、そんなものが浮かんでそうだから。
「…ロリ、出発は1ヶ月後の予定だ。アデーラとしっかり準備をするんだよ。旅には3年ほどかかるからね」
なんとか絞り出した言葉は、喉が渇いて引きつれていた。
シークゼンだけ見てると普通の恋愛っぽいような。