勇者、怠ける
金… その頃、勇者を取り逃がしたユキと殺し屋組、そして村長の危機を聞きつけて駆けつけた無数の警官たちは、しらみつぶしに町を捜索していた。
無論、あの大魔王の力を操る勇者を探すためである。
しかしどういうわけか、ダンボールを見つけた警官がマンホールに落ちて足首を骨折したり、なぜかタライが天空から頭にクリティカルヒットをして気絶したりなど、不幸としか思えないことが彼らを襲っていた。
その様子をユキが苦虫を噛み潰したような渋い表情で眺めている。後ろでは、ロッシュが魔導銃からバナナが発射された謎の解明に大忙しだった。侍のキリカゼも不思議そうにその様子を見守っている。
「おかしいわ……」
「そうだよなー。俺の長年様々な死線を潜り続けてきた愛銃が、バナナを発射させるわけねぇよなぁ……」
「ふむ。拙者の国では八百万の神という、長い時を経た物には魂が宿るという言い伝えがある。ロッシュ殿の魔導銃にも魂が宿り、女にうつつばかり抜かす主にうんざりして、バナナを発射させたのではなかろうか」
「…………」
ユキは拳をギュッと握り締める。
二人は全く気がつく様子はない。
「なにっ!? まさか……俺にこの銃がヤキモチを焼いて――」
「なるほど、それならば――」
「そのポンコツ銃のことなんかどうでもいいわよッ! 私が言っているのは、なぜバナナが突然発射されたのか、なぜ侍がちょうど転んだのか、そしてあの状況から何故勇者は逃げることができたのか、ということよ!」
鉄拳制裁が炸裂し、二人は頭を抱えて悶絶する。しかし二人とも心当たりはなかった。
それを見たユキは、使えないとばかりに大きなため息をつく。
「魔王の力を使う勇者……。ご都合主義を軽く超越した、勇者にだけ都合の良い不自然な偶然……。まさか、これが伝説に伝わる主人公の力だとでもいうの……?」
ユキは絶望に染まった表情で、手に握った携帯電話を見下ろす。雪うさぎの携帯ストラップが応援するように揺れていた。が、ユキに笑顔は灯らない。
「もし、もしもだけどアイツが主人公の真の力に目覚めて、そして魔王として君臨されてしまえば、誰もアイツを倒すことができる者はいなくなってしまう……。私が、あの武器屋に案内をしなければ――」
「腹黒姉ちゃん……」
「ユキ殿……」
殺し屋組が悲しげなユキを慰めようとした、その時だった。
「案ずるでない。あれはお主たちにはどうしようもなかったことじゃ」
「え……」
ユキの前に、杖をついた小さな人影が現れる。
禿げ上がった頭に、地味な茶色の服とダサい腹巻、そして草履と木製の杖……紛れもなく、彼こそが、特大の権力と莫大な富と名誉を所持する男、その名も――
「そ、村長! なぜ、なぜここに!?」
「ふぉっふぉっふぉっ……。なに、ちょっくら怪盗の顔でも拝んでやろうと見物していたのじゃが、まさか来ておったのが魔王の種だったとはのう。さらにワシの大切な財産まで盗んで行きおった」
スコット村、通称はじまりの村の最高権力者、村長は曲がった腰を叩きながらカラカラと笑う。
が、ユキの表情は晴れなかった。
「……気休めはおやめください。私は、あの駆け出し勇者が大魔王の力を手に入れることを止めることができず、さらに監視役としてパーティに加わっていることもできませんでした。私は――勇者専属ナビゲーターに向いていなかったのでしょう」
ユキは肩を落としてうつむく。その目にはかすかに涙がにじみ始めていた。
村長はユキの肩に手を置いて、そっと笑いかける。ユキは村長を見て、かすかに微笑んだ。
「そうじゃな。お前はクビじゃ」
…………。
「え、……?」
悲しみに沈んだ瞳が、大きく揺れる。ユキは心の中で、聞こえた言葉を何度も何度も繰り返した。現実味の沸かない言葉だった。
村長はニコニコと笑っている。
ユキはその表情を見て、背筋にゾクゾクと寒気が走っていく感覚に胸が締め付けられていた。
いや、表情だけではない。
訂正をしそうな明るい空気で、しかしまったく口を開く様子もなくニコニコとシワだらけの顔を歪ませている村長は、冗談を言ったのではないのではないかと心を茨のツルで締め付けていた。
「お、おい……おっさん。それ冗談だろ?」
「失敗は次への糧となる。その判断は、時期尚早ではなかろうか」
「……ふん、部外者は黙っていなされ。お主らのような間抜けな失敗をする生ゴミ共に、ワシの崇高な決定に意見することは許されないですぞ?」
「なんだと……?」
揺れ続ける瞳から、今にもしずくがこぼれ出そうになる。が、彼女はもう一度だけ震える声で問いかけた。
「あ、あの……私、は……本当にクビ、なのでしょうか……?」
「クビじゃ。言っておくがな、お前さんの代わりはいくらでもおる。勇者専属ナビゲーターなど、勇者の物語には必ずといっていいほど登場する重要な脇役じゃ。終盤になって、勇者があのナビゲーターはどうしてるかな、と思い返すほどの重要度なのじゃぞ? 小娘の分際で、失敗を棚に上げてナビゲーターを名乗るなど、自惚れるでないわっ!」
「ッ……!」
ユキは顔を両手で覆い、どこへともなく駆け出した。
村長はカラカラと嘲笑う。すると殺し屋二人組は村長に殴りかかった。
「この野郎っ! 腹黒姉ちゃんに、なんつーこと言ってんだよッ! テメェ、それでも人間か!? ナビゲーターが何かは知らねぇが、一度や二度の失敗で、あそこまで言うことないだろうがッ!」
「拙者も同感だ。自惚れているのは、貴公であろう……! ご老体とはいえ、痛みを知るがいい!」
「ふぉっふぉっふぉっ……かませ犬が、随分と偉そうな口を叩きおるわ」
が、ロッシュとキリカゼの拳は村長を通り抜けた。
二人は呆然と、村長を音もなく、手応えもなく貫通した手を凝視する。
「な、なにが起きてやがる……」
「面妖な……妖術師か」
村長は二人を見て、ケタケタと愉快そうに笑う。
「何を言っておる。おぬしら、まだ世界の理を分かっておらんのか。ワシは村長じゃ。そこいらの凡人共とは根本から異なる、大いなる存在……。ワシを本当の意味で倒せるのは、魔王だけじゃ」
「なんだ……と……? そんなの、おかしいだろうがッ! テメェ、自分は人間じゃないとでも言う気かよ!?」
「まさかとは思うが、神などとは名乗るまいな」
呆れたように村長は二人の手を松葉杖で叩き、鼻を鳴らす。
二人は村長を殺気に満ちた目で睨みつけた。各々が武器に手をかけている。
「なーにを言っておる。ワシは村長じゃ。それ以上でも、それ以下でもないわい。……ああ、そういえばおぬしら、勇者をとり逃したことを不思議そうに考えておったな」
「……悪いかよ」
「…………」
二人は武器を手に、ロッシュは後方へ、キリカゼは前方へと得意の戦闘陣形へ移動していく。
村長は面白そうに不気味な笑みを浮かべ続けていた。
「悪くはないわい。あれは、ワシであっても逃したわ。奴は今、どういう経緯かはしらんが、ワシの尊いお宝『幸運のミー様』の加護で守られておる。奴に危害を加えることは、誰ひとり叶わんのじゃ」
「は? おっさん、痴呆じゃねぇか? 幸運のミー様とか、どこの御伽噺だよ」
「ふん、分からん者には、その価値はわからんわい。幸運のミー様はな、奇跡を起こすのじゃ」
「ふーん、へーえ、はーあ、そーお……」
「……zzz」
「…………」
村長のこめかみに血管が浮き上がった瞬間、二人の頭に松葉杖が打ち付けられる。
「いってぇ!」
「……怪物め」
「話を聞かないのが悪いのじゃ! まったく、村長の話はありがたーく聞いておくのが常識じゃろう!」
「へーいへい」
一方その頃、ダンボールの中の勇者は――
「へーいへい」
(ちゃんと話を聞いていたのか!? この『幸運のミー様』の素晴らしさを!)
ったく、どこの猫崇拝の剣だよ……と、勇者はダンボールの中で寝転がる。といっても、狭すぎて体を曲げなければならず、寝心地は最悪だったが。
「ま、つまりあれだろ? そのミー様とかいう猫を持ってると、次々と奇跡が起きて、俺を救ってくれるんだろ?」
(まあ、要約するとそんな感じだな)
「で、一つ訊きたいんだけど……」
勇者はダンボールの穴から、黒い猫――幸運のミー様を気だるそうな目で見る。
「にゃうー……?」
ミー様は前にも見た、妙に温かい目で生魚を頭で勇者の方に押し出していた。その横には、最高級猫缶といわれる至高の猫用の缶詰[ゴールドラッシュ]が三つも置かれてある。
確かに勇者は、死ぬ程お腹が減っていた。あと三日もすれば、本当に餓死するくらいの空腹である。
だが、
「……これ、俺に食えって言ってるのか?」
「にゃあ!」
(……そうみたいだな)
勇者は思い切り黒猫を睨みつける。
「おい、俺はそんな生臭そうな魚は食えねぇよ! あと、そういう猫缶も人間として食いたくねぇ!」
(我のかつての主の一人に、猫缶を使って美味しいハンバーグを作った男がいたが……)
「そいつ、頭おかしいんじゃないのか!?」
「にゃ、にゃう……?」
黒猫は心底心配そうに最高級猫缶と生魚をさらに近づけてくる。その温かな目は、包み込むような優しさで満ち溢れていた。乞い食に自分の食料を分け与える時のような目である。
一方、勇者はというと黒猫ミー様の慈悲を受け取る心の余裕は一切なかった。
生魚特有の生臭い、耐え難い香りがダンボールの中にジワジワと侵入してきていたからである。勇者はだんだんと気分が悪くなっていく。
(おい、ミー様の優しさを受け取れ。さもなくば、せっかくの貴様が大好きなお宝が去ってしまうぞ)
「一つ言っておくぞ。俺の辞書の『お宝』はなぁ……金だけなんだよ! 金になるものだけなんだよ! 金銀財宝ッ、札束ッ、色とりどりの硬化の海ッ! 生物なんざ宝じゃねぇ!」
(はぁ……)
「にゃ……」
金の亡者が叫び声を上げると、幸運のミー様はトボトボと路地裏へと去っていってしまった。
が、勇者は黒猫が生魚を持っていかなかったことで、生臭い匂いで気絶しそうになっていた。
(おい貴様! なんてことをしたのだ! これでは貴様の大金を手にする野望も叶わないぞ!)
「はぁ~? 村長の家の金銀財宝を取りに行けばいいだけだろ~?」
『勇者は怠けている。なにもやる気が起きないようだ』
(……何故、我はこの馬鹿者に力を貸してしまったのだ……)
ティルファングは己の運命を深く嘆いた。
が、それから数分後……
「にゃ、にゃう……!」
「どうしたの、猫ちゃん? 私を、どこへ連れて行きたいの……? もう、ナビゲーターでもなくなった私なのに……」
聞き覚えのある、獣と人の声。
勇者は突然、雷が落ちたようにビクリと飛び起きてダンボールの天井に頭を打ち、慌てて体勢を変えて穴をのぞき込んだ。
「ぁ……ま、まさか……この声は……」
勇者はガクガクと震え始める。
絶望の足音が時を刻むように、カツカツと正確なリズムで勇者に近づいてきていた。