駆け出し勇者、デビューする
――『勇者』。
それは勇気ある者の称号。
正義の体現者であり、悪しきを滅する英雄である。
そして……無限の富と名誉を手にするべき、選ばれた者達だ。
汝は勇者たる資格を持つ者か?
その真実は汝の歩む道の先にある。
さあ、行きたまえ!
富と名誉を手にし、己が望む世界を手にするために!
パタン。
その人物は分厚い本を閉じ、顔を上げる。
そこに広がるは小さな農村。
正式名称は『スコット村』。
通称『はじまりの村』だ。
村全体が石を積んだような屏で覆われ、入口に小さな門と歓迎の看板『ようこそスコット村へ』が立っている。
ゴクリと喉を鳴らし、背負った長剣に触れて、家に忘れてこなかったことを確認する。
それから、ふらふらとした足取りで歓迎の看板――入口へと歩く。
ぐぅ~……。
門の前に来ると、耐え切れず腹が鳴った。
ここ一週間、井戸水と雑草以外には、まともな物を口にしていなかった。
顔はやつれ、腹と背中がくっついたように痩せ細り、立っているだけでも酷く苦痛だった。
しかしこの人物――駆け出し勇者は立っている。
それは希望を胸に宿していたからだった。
夢を忘れずに抱き続けていたからだった。
「ここ……か。ここが『はじまりの村』。これで俺の無一文生活が終わるんだ……」
門に手を当て、痩せ細った腕に全ての力を注ぎ込み、押す。
ギギィ、と左右に門は割れ、青年はよろよろと村の中へと入っていった。
そして、それを見つけた。
否、「それら」と言ったほうが正しいだろう。
なぜならそれは、
「勇者の楽園、村についたぞーー。略奪略奪略奪略奪ぅ~! 俺の時代が……俺という勇者の時代が、ついにきたぁーー」
駆け出し勇者は断末魔のように絶叫し、乾いた地面へと倒れ込んで意識を失った。
だが、駆け出し勇者は幸せそうな顔をしていた。
なぜならそれは……次に目覚めた時に自分の物語が幕を開けることを知っていたからだった。
空は青く青く、栄養失調と過労で卒倒した青白い顔をした駆け出し勇者を興味なさげに見下ろしている。
――これは、夢だろうか。
目を覚ますと、眼前に広がるのは金。金色の天井だった。
寝起きの目には少しばかり……いや、直視できないほどの刺激的な光を放っていたが、駆け出し勇者は目を離せなかった。
ぐるりと寝たままの姿勢で辺りを眼だけで見回す。
金、金、金金金金金………
――ああ、きっとこれは夢だろう。俺が金を求めるあまり、こんな夢を見ているんだ。
そう考え、瞼を閉じる。
すると、心地よい感覚が即座に全身を包み込んだ。
柔らかな肌触りの布団、ふかふかの枕、お日様の香り……。
「おばあちゃん、おばあちゃん」
ガキの声がどこからか聞こえたが、そんなことは気にもならない。
ああ、この夢が永遠に続けばいいのに。
俺はただそれだけを願いながら、夢という名の床に就いていた。
「ねぇ、おばあちゃんったら。目を覚まして、もう朝よ」
「俺はおばあちゃんじゃねぇ!」
むしゃくしゃして飛び起きる。
一体誰だ、人の安眠を夢の中でまで邪魔する奴は……
「あ……勇者様。良かった、元気になられたんですね!」
見ると、少し離れたところから可憐な少女がこちらに微笑みかけていた。
その傍らにはベッドに横たわる老婆。
「ああ……勇者様がお目覚めになられたのかい? これ、ユキ。わしのことは放っといて、早く勇者様のお世話をしなさい」
「もう、またそんなことを言って。面倒だから起きたくないんでしょ?」
「……」
返事がない、ただの屍のようだ。
俺はその様子を眺め、思う。
こんな豪華絢爛、しかも上等な衣服に身を包んだ人達が住む家だ。
きっと、世界中の勇者達が探してもなかなか手に入らない程の財産とレアアイテム、そして何より美味しい食事をこれでもかと所有しているに違いない。
だとしたら……一人の勇者として、一人の人間として、生きるための物資をご提供して頂いても良いのではないだろうか?
「ほら、勇者様に失礼でしょ。早く起きてくださいな」
「……」
二人の会話を聞き流しつつ、傍らに置かれていた自身の数少ない財産に目をやり、一冊の分厚い書物を手にする。
表紙にはポップな字体で『ゆうしゃになるには』と書かれてあった。
パラパラと目当ての項目を探して、めくっていく。
やがて、目印に挟んだ小石を見つけて、会話に夢中の二人に見られないよう、本を立てて読んだ。
本を開いたのは再確認のためだった。
自分がこれからする行為についての肯定。それを得るために。
そして確かにそこには、こう書かれてあった。
『民家に住む人々は勇者に対して物資を提供しなければならない』
この一文の次の行に、求めた文は黒々と刻まれていた。
『勇者が見つけた物は勇者の物。勇者法第十二条三項にて……』
――そうだ、俺は悪くない。
ゆっくりと、貧血で凄まじい目眩がする頭を抑えながら、ベッドから降りる。
「あ、勇者様。あちらのテーブルにお食事を用意させたので、よろしかったら召し上がっていってくださいね」
「ああ、どうも」
駆け出し勇者は軽く会釈をして、美味しそうな香りが漂うテーブルへと歩いていった。
「……ユキ。あの者から目を離すでないぞ。あ奴から、何か邪な気を感じた」
老婆は白目を剥き、深刻そうに語りだす。
少女は困ったように笑みを浮かべ、腰に手を当てた。
「おばあちゃん。冗談ばかり言っていたら、いい加減蹴り飛ばすわよ」
「……」
死んだように押し黙った祖母に背を向け、少女は窓越しに空を見上げる。
昨日とは対照的に、どんよりと重い雲が空を覆っていた。
「邪な気……ね。でも、この村は問題ないわ。何が起きても良いように備えは整えられているし、何より……」
少女は一人、誰ともなしに可愛らしく微笑んだ。