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空白の時間

作者: Oi-star

私はしがないサラリーマンだった。

家庭を持ち、多少見栄えの良い妻が自慢のごく普通の、週末には畳でゴロゴロする夫でもあった。

それでも妻には気を遣って時々は家事は手伝うし、ケーキを買って帰る

まあまあ良い夫ではなかったであろうか。

そんな私が何故にこのようなところにいるのだろう。

なんの飾りっけもない部屋、外から丸見えの部屋で私は便器に座り考え込んでいた。

私は不安で叫びたくなる気持ちを抑えてこれからのこと、そして、現在このようなところにいるはめに至った経緯を思い出すべく必死に目を瞑っていた。


事の発端は去年、大通りの交差点で私が信号待ちをしているところ信号無視をした青年が車に轢かれたのを目撃してからだったろう。

あの時、私はあまりの光景にショックで気を失い、車に轢かれた青年と同じように救急車で病院にはこばれたのだ。

気が付いた時には病院のベッドの上だった。

轢かれた青年は重傷だと聞いた。

あの日からだった。


床につくとあの時の光景がまぶたの裏に甦り悪夢にうなされるようになったのだ。

まるで自分が車に轢かれているかのように苦しい夢であった。

助けがほしくても声が出ない。人の行き交う足だけが見え、意識は地面にすいとられて闇となる。

そして、私は目が覚めるのだった。


夢は三四日すると徐々に私がその青年となり、ベットの上で痛みに耐え疲れ、うなだれるような夢へとかわっていったのだ。

毎朝起きると疲労でいっぱいだった。

全く眠った気がしなかった。

そんなことが二週間ほども続くと目に見えて変化が現れはじめたらしく、同僚たちから心配されるようになった。

睡眠不足でのあまりの疲労で勤中、時折ボーっとすることがでてきた。

営業で外廻りをしているところ気が付けば電車を降り過ごしたり、書類をどこかに置き忘れたりすることもあった。

このままではよくないと、私は医者にかかり眠り薬を処方してもらった。

その日からまた私はぐっすりと眠れるようになり、再び元のいつも通りの生活に戻るかと思われた。


悪夢は終わり快適な睡眠にて疲労困憊の生活からは抜け出したが、それからも極時折うわの空と云うか、ボーっとと云うか、放心と云うか、気が付けば時間が過ぎているというようなことが起こり続けた。

数ヶ月も経つとこの症状はひどくなってきたようだった。

ただボーっとしているのではなく、帰宅するはずで乗った電車が全く違う方面へ向かう電車だったり、定食屋では、さあ食べようと箸を取り上げたと思ったらいつの間にか外にいたというようなことが起こったりしたのだ。

それでもそのようなことはボーっとしていれば誰でもしそうなことだろう。

病院には行くほどでもなし、妻にも誰にもこのことを話すことはなかった。


ある晩だった。

忘年会の翌日だ。

気がついたら警察官に職務質問をされていた。

状況がのみ込めなくて逆に警察官へ質問したら完全な不審者として扱われて携帯で妻に擁護を頼むハメになったのだ。

どうやら私は夜道で道を訪ねようと行き交う人々に声をかけていたのだが、その様子があまりにも異様だったので誰かが通報したらしい。

やってしまった。

やましいことをしていなくても警察に厄介になると犯罪を犯したかのような後悔の念に浸された。

この時もっと事態を深刻にとらえておくべきだった。


しかし、私は怖かったのだ。

真剣に考えれば考えるほど恐ろしかった。

痴呆の始まりかもしれない。

この若さでこんなにもポッカリと記憶が抜けるとなると、そう遠からず私は廃人なるかもしれない。

私は冗談の種にして妻の心配にも取り合わなかった。

考えたくなかった。

いや、よしんば心配したところで何ができたであろうか。

それからしばらくは何も起こらず年は越して、正月などあったことも忘れ節分が近づいてきた。


みぞれの降るとても冷え込む夜だった。

家の中は暖房をガンガンにきかせていたので外は凍てつく寒さでも家の中では快適にビールが飲めた。

飲むとやはりもよおしてくるもので、トイレに立つとやはり廊下は寒くホロ酔い気分もシャッキッと引締められた…と思いきや、気がつけば駅にいた。

あまりの突然の出来事に私は夢でも見ていたのか、私はなぜここにいるのかを思い出そうと混乱した。

しかし、以前のことがあったので直ぐに冷静になれたが、自分自身のことなのに自分ではどうにもできなかったことが歯がゆく、また、傘もささずに出てきたらしく全身みぞれまみれで凍えていたことに気が付くと疲労感で家まであるく気にはなれなかった。

それでも歩くより他に術なし。

肩をすぼませ凍えて帰れば出窓から妻が顔を出してキョロキョロと外を見回している姿が見えた。


ドアを開けて玄関に入ると妻が心配そうに出迎えてくれ、あれこれ質問しながらも私を風呂場へと追いやった。

浴槽にはすでに湯がはってあり、凍えた体を突き刺すような湯で疲れが体中から溶け出して、今までのことを忘れて湯に漂う心地よさであったが風呂場の外では妻がさらに質問攻めにするために待っていた。

とうとう妻にバレてしまったことで今後はもう真剣にこの問題に向き合わなけでばならぬ。

それは私をウンザリさせた。


妻と話し合った結果、やはり痴呆症の疑いがあるだろうからできるだけ早く専門医にかかるようにとしようとのことになつた。

話しも一通り段落がつき、ふと風呂場に脱ぎ捨てた濡れた服に携帯を忘れていたことを思い出し取り出すと何件もの着信が入っていた。

全て同じ番号からであり、知らぬ番号からであった。

何も心当たりのない番号におそらくは自分の友人が電話番号を変更したのか、もしくは部下が何が至急の用で電話をかけてきたのだろうと思い、かけなおそうとちょうどボタンをいじくっているところ、その電話番号から電話がかかってきた。


はい、もしもし。

それも言い終わぬ間に甲高い女性の声がキーキー叫んだため、私は驚いて慌てて携帯から耳を離した。

もしもし、啓ちゃん。啓ちゃんなの。

そう叫ぶ声が聞こえた。

あの、葛城ですがどちら様でしょうか。

そう私が応えると女性は興奮した声で話しはじめた。

入院中の息子から留守番電話にメッセージが入っていたそうなのだが、そのかけてきた電話番号が私の電話番号からだったらしい。

私は何も知らぬので知らぬの一点張りで通したが、何かわかれば連絡を致しましょうということで電話を切った。

発信履歴を調べると確かに私の携帯からかけていた。


次日、昨夜の私の空白の時間が何か判る手掛かりになればと電話をかけてきた女性に電話をし、彼女の息子の入院先を聞き出して週末に尋ねてみるにとにした。

当日、その青年の入院先へ尋ねてみれば、その青年は外出はおろか、口すらきけぬほどの有り様であった。

つまりは寝たきりの状態であったのだ。

何度も手術を重ねているらしく、4ヶ月近く経つ今でも包帯まみれ。

鼻には酸素チューブが取付けられていた。

意識はあるらしいが麻痺があるのか表情はなく苦しそうに虚ろな目に涙を浮かべていた。


これでは訊くも何も訊く以前の問題だ。

溜め息をつき、部屋の外へ出たらそこには数人の警察官が立っており、一斉にして私を取り押さえた。

何をするのですか。離してください。

私は状況が分からずも恐ろしいことが自身に起きている確かに背筋は凍り、恐怖で頭の中まで凍り付いた。


警察署に連行される間に周囲からの問いかけ、会話から私が殺人を犯したらしいことが理解できた。

しかも殺したのはあの寝たきりの青年だ。

何故に。

何故に。

何故に私はそのようなことを犯さなければならなかったのか。

そう、それを私は考えていた。

妻がその日のうちに着替えなどを差し入れに来たが面会はできなかった。

不安と寂しさで涙がでた。

大人になっても泣くのだなと改めて思った。


取調べの時がきた。

刑事が強い口調で威嚇するかのように私に尋問をする。


その中のうちの一つの質問を聞いて私は悟ると共に嗚呼と心内で嘆いた。

全てが終わったのだ。


走り書きのメモ。これはどういう意味だ。


"俺は苦痛に耐えれないので自殺します。貴方には迷惑をかけます。ゴメンなさい。家族のみんな、ありがとう。"

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