18 訓練生の機種転換-4
ノックをすれば、すぐに名前を求められた。岩倉三等空士です、と声を上げれば、どうぞ、と声が掛かる。
「失礼します!」
言いながら、ドアノブを捻った。
開けた視界の先に暁中尉が居て、デスクチェアに腰掛けている。
「おはよう、岩倉空士」
「おはようございます」
「どうした、始業には、まだ早いけれど」
試験休暇明け初日、つまりは新学期初日。時刻は午前七時、始業一時間前。
ただ広い佐官用の個室は殺風景で、その中に居る制服姿は、この場所が彼の自室だと言うのを躊躇わせた。唯一置かれたパイプベッドだけが、ある意味異質に感じられる。
いえ、と小さく呟く岩倉に、無表情で視線を送る。
「コーヒーは飲むかな、今沸かしている、インスタントしかないけれど」
「いえ、大丈夫です」
珍しい岩倉の真剣な表情に、暁が首を捻る。窓際で、コーヒーメーカーが蒸気を立てていた。
「先生」
いつもとは異なる呼称に一拍を置いてから、なにかな、と応える。
相手の息を吸い込む音が鮮明に聞こえて、短い間を急かさずに待つ。
「先日は、すみませんでした」
やって来たのは謝罪だった。頭を下げた岩倉の表情が見えなくなる。
何のことだろうか、と一瞬考え、恐らく数日前の外出に同行したことを言っているのだろうと判断した。ふむ、とひとつ。
「岩倉空士が謝罪することなんて、無いと思うけれどね」
「いえ、先生」
顔を上げた彼女が、謝罪の理由を説明する。
あの話を聞いて、これまでのように接することを躊躇ってしまったこと。
暁のことを詮索しようとしたこと。
勝手に知った彼の過去と自分とを比較して、思い悩んだこと。
勝手に他人に相談して、楽になろうとしてしまったこと。
だから、すみませんでした。改めてそう謝罪すれば、暁がそうか、と呟いた。
「それはむしろ、私の方が謝らなければならないよ」
腰掛けていたデスクチェアから立ち上がり、ゆっくりと頭を下げた。
「気苦労を掛けて、すまなかった」
「そんな、先生」
「誰かに聞いてほしかっただけなのかもしれないそれを、君に押し付けてしまった私の責任だ」
「違うんです、私が勝手に詮索したから」
「困らせてしまったのだろう、配慮が足らなかった」
伏せたまま首を振って否定しても、相手も顔を上げようとしない。
少しばかり膠着状態が続いて、壁掛け時計の秒針の刻む音さえ響いて、20回。
暁の、軽い咳払い。
「―――岩倉空士。首が疲れたので、そろそろ諦めてほしいのだけれど」
その言葉に、ついに岩倉が軽く吹き出した。
「…何ですか、それ」
岩倉が顔を挙げたとほぼ同時に、暁も挙げる。
笑みと言うよりは苦笑いに近い表情の岩倉は、それでもどこか安心しているようにも見えた。
暁が一つ頷いて、窓際へと歩みを進める。
ところで、と、話題の転換。窓際まで辿り着いた彼が、紙コップに手を伸ばす。
「追加試験には合格できたのかな」
もう先までの話は終わり、ということだろうか。岩倉も切り替えて、一つ目を閉じる。
「そんな、二度も落ちる真似はしませんよ」
そうか、と一言。こぽこぽと液体が注がれる間抜けな音。
「私の発言で、大きいとは言い辛い、岩倉の脳のリソースを使い果たさせていたらと不安でね」
「セ、センセーひどい!」
「ふむ、悪かった、言い過ぎた」
振り返った暁の手許に、紙コップが二つ。湯気を立てたアメリカン。どうぞ、と手渡される。
「調子は、戻ったかな」
無表情での物言いに、それでも微かに感じる気遣いを得て、もう一度目を閉じた。
もう一度だけ、頭を下げる。
「ありがとうございます、センセー」
「構わないよ、そこにコーヒーフレッシュがあるからね」
自由に使いなさい。そう言われたので、ありがたく頂戴する。真っ黒に白が混ざって、飲みやすそうな色合い。
「いただきます!」
吹っ切るような大きな声で、言い放った。
「おはようございます、中尉」
「おはよう、隅田」
新学期初日の全体朝礼を終えた四人を、多目的教室に集めたのは暁だった。
手許に書類を抱えて佇んでいた暁が、いつも通りの無表情で迎える。
「おはようございます、先生」
「教官、おはようございます」
「おはよう、吉野、榛原。岩倉は、先に挨拶をしたね」
「はい、でも、おはようございますセンセー!」
ああ、おはよう。言って、四人に座るように促した。三十人は収容できるその教室に、たった四人。
一人ずつにA4サイズの封筒を配り終え、暁が教壇に登る。
さて。言いながら、手許のモバイルを引き寄せる。繋がれていた教室のモニターに、シンプルなデスクトップ画面が映し出される。
「早速だけれど、今期から君達の訓練機材が更新される」
訓練機材の更新。それだけ聞いて、四人が同じように首を傾げた。
はい、と岩倉が挙手をする。なにかな、と暁。
「えっと、何が変わるんですか。スーツですか、ヘルメットですか?」
「第一訓練小隊のTA-9単座練習機を、極東空軍標準機、FC-204へ更新する」
一瞬の、え、この人何を言っているの、と言った間。
「き、機種転換ですか?」
隅田が珍しくうろたえれば、他の三人も似たように同調する。
「教官、TA-9での戦闘機導入過程を、僕らはまだ修了していませんが」
「訓練成績優秀者への優先貸与、だそうだね」
封筒を開けてみるようにと促され、言われたとおりに。たった一枚の紙切れは確かに受領証で、FC-204、バックフロウの文字列。
「わ、本当に機種転換なんだ!」
「正式受領は一週間後になるから、明日からはシミュレーターを用いた訓練を実施するよ」
マニュアルは熟読しておくように。
言いながら、暁がモバイルを叩いた。モニターに、双発の大型機が映し出される。無尾デルタ翼の構造に、垂直尾翼が二本。少々ずんぐりとした、その姿。
「まずは、おさらいをしていこう。では、吉野」
「は、はい!」
指名された吉野が立ち上がり、直立する。立たなくても良いよと告げられて、座りなおした。
「簡単に、この機の説明が出来るかな」
質問に、頷きで肯定する。顔を伏せて考える数秒を置いて、では、と一言。
「FC-204 バックフロウは、これまでの極東空軍標準機、FC-104 スカイダイバーとの切り替えが進められている、極東空軍新標準機です」
「では岩倉、続けてくれるかな」
はい!と岩倉の元気の良い返事。
「従来機に比べ大型化され、FC-104で問題視された安定性、航続距離、電子機器の面が特に強化されています!」
「よし、では榛原」
この機の特徴は。問えば、こちらも考える間をおいて、はい、と返ってくる。
「多様の武装を搭載でき、対応射程も広く、作戦趣旨に即した戦闘が可能な点です」
「対空戦に関しては、FC-104で搭載できなかった多弾頭分裂ミサイルを装備できるからね」
再びモバイルを叩けば、通常のそれよりも一回り大きなミサイルが表示される。大柄のミサイルの中に、小型のそれが仕込まれている。
「六目標同時攻撃と言うのは、この機の高機能電子機器を有効に活用した攻撃手段だ」
そこまで言って、画面を切り替えた。機体の展開図が大きく表示されて、機体構造を簡単に解説していく。
ひとしきりの解説を終えて、理解したかと尋ねれば、4つ分の肯定が来る。よろしい、とだけ頷いて、隅田に顔を向ける。
「では最後に隅田、TA-9練習機とこの機とは、何が最大の相違点だと考えるかな」
「……二基のエンジンによる、推力の増大でしょうか」
「ふむ、純粋な推力だけで考えれば、4倍近い差があるからね」
けれど、それは正答とは言えない。
「より根本的な、練習機と戦闘機の違いというのは、何だろうか」
誰か、わかるかな。見渡せば、吉野のはっとした表情が暁の目に付いた。
では吉野、と指名する。
「……兵装の搭載が可能な点、ではないでしょうか」
自信の無さそうな声色に、暁の頷き。その通りだと一言告げて、改めて口を開く。
「練習機はあくまで非武装航空機だが、FC-204は戦闘機、戦争に用いられる兵器だ」
暁の声のトーンが幾らか下がる。
「これに搭乗する以上、訓練生だろうと実戦へ参加する可能性は否定出来ない」
万が一基地が襲撃されて稼働機が足りなければ、駆り出されることだって考えられる、そう言うことだ。
理解した墨田が息を呑む。
「君たちへの教導を、どれだけの期間行うかはわからないが。今後はより実戦に則った教導を行っていくから、そのつもりで励むように」
『はい!』
訓練生の返事が唱和して、よろしい、と暁。
「"戦闘機へようこそ"、第一訓練小隊」
歓迎しているのかしていないのか、ただ無表情でそう告げた。
少々長くなってしまった試験休み明けのお話も、これにて終了です。次回からはまたぼちぼち時間を進めていこうかなと。。。
PS.たくさんのPVありがとうございます!励みになります。。。