14 ブレイクタイム-3
時速40キロで過ぎてゆく風景は退屈にも感じられ、それでもその光景を焼き付けてゆく。
あの頃から、何一つ変わらないように見える。
恐らくそれは錯覚で、営みの中、変わらないものなど無いと理解している。
揺さぶられるがままに進んでいく。ああ、あの鉄塔はまだ在るのか。
「それでね、よーすけが―――」
空から見ても変わらなかった風景は、ここに降りても変わらなかった。
見たくなかった。見るべきではなかった。いっそ、一思いに消え去ってしまえばよかったのだ。この木偶も含めて。
なんて醜い人生だ。
「ねえセンセー、聞いてる?」
「ああ、聞いているよ」
植樹一本取っても、きっと変わらない。その光景に苛立ちさえ覚えて、視線をずらす。
かつてを振り返るのは、勇気のいることだと思う。たら、ればは付き纏う。時間を巻き戻す技術を、人はまだ得ていない。
過去の積み重ねで現在があるのなら、どこで間違えたのだろう。
何もかもを捨て置いて得たものなど、何も無いのに。
バスが揺れる。
僅かに今までよりも揺れは収まりつつある。その場所へ辿りつつある。
まだ新しい、舗装されて数年だろう道。まるで過去など無かったかのような。
ああ、もう近いのだろう。15分ほどの道のりを、とても長く感じる。
この場所だけは、記憶のどこにも整合しない。
見てはいけない。
『次は、新興住宅地区一番街―――次、停まります』
それでも機会音声に立ち上がれば、不思議そうな表情の教え子が居た。
降りるよ、と声を掛ける。
「え、センセー、ここで降りるの?」
「ああ、目的地だからね」
「でも、こんなところで降りたって何も無いですよ、見物なんでしょ?」
何も無い。的を射た響きだと思う。
そうだ、こんなところには何も無い。もう何もかも消え去ってしまっている。
勇気を持って振り返っても、そこに過去なんて無い。
何も無い。
見るものなんて。
「駅前に近い三番街と間違えていませんか?」
「いや、ここで合っている」
ゆっくりだった風景が、より緩やかになる。笑顔の家族連れに、目を細めた。
そこに、過去なんて無い。置いていった過去なんて、在る訳が無い。
振り払うように停車したバスのオートドアが、ゆっくりと開いた。
「ったくよお、いつまでも占拠しやがって」
「ただでさえ狭い駐機スペース、輸送機二機分使ってますもんね」
忌々しそうに呟いた秋山整備主任の目線の先に、巨大な輸送機が鎮座している。
隣に居た整備兵が首を傾げ、何なのでしょうね、と昼食のサンドウィッチを頬張った。
「二機分どころか三機分だぜ、さっさと飛んでいけばいいのによ」
「この基地に配備された訳ではないんです?」
「配備されてたら、とっくに俺らに整備要請が出てるだろうが」
それもそうですね。言って、平らげる。
「一時待機にしたって、わざわざ西部基地に置く理由が無い」
「もう三週間ですが、音沙汰なしって変ですもんね」
「暇貰うような機じゃ無いはずだが」
「戦時真っ只中ですから、仰るとおりかと」
ペイロード・キングの渾名通り、戦車なら6台、戦闘機だって通常作戦機ならそのまま2機は積める化け物だ。
全軍に十機しか配備されていないそれを、わざわざ放っておく理由がわからない。
「何か降ろした形跡もありませんし、何も積んでいない可能性は?」
「いや、ギアが沈んでる」
ほれ、と懐から双眼鏡を取り出し、整備兵に手渡す。見れば、確かに寸胴の巨体に、降着車輪が踏ん張っているのがわかる。
おお、と傍ら。
「かなりの大物ですね、あれは」
「着陸時の音もおかしかったからな、満載かもしれん」
三週間まえの、ギシ、と言う着陸音を思い返す。CN-552の貨室を満載に出来る積荷など、そうそう無い。
それが此処に在る理由も、無い。
筈だ。
「いやあ、気になりますねえ」
「確かに、いい加減気になってきたな」
飛来したときにはニード・トゥ・ノウを貫こうとした秋山も、そろそろ限界だ。
「あれのせいで、整備ハンガー潰されてますからね」
輸送機の駐機場が潰されたせいで、中央連絡機の二機が、整備用のハンガーを間借りしている。
舌打ち。
「効率悪くてたまらん、何機診てると思ってやがるんだ」
「戦闘機を雨ざらしで整備なんて、やってられませんし」
どうも、と返ってきた双眼鏡を、秋山が覗き込む。迷彩色巨体の、半分も写し出さない。
「少し、調べてやるか」
ぼそりと、隣の整備兵にも聞こえないような小声で呟いた。
前を行くセンセーの歩調に合わせて、少しだけ早足になる。住宅街の中、二車線道路の歩道を静々と歩いていく。
「センセー、どこへいくんですか?」
「どこにも何も、決めていないけれど」
「じゃあ何で、こんなところで降りたんですか」
こんなところ。新興住宅地区一番街は、大きくなりすぎた基地の人間を受け入れるニュータウン。
「本当に、何も無いところなんですよ?」
「そうだね」
行き交う車も、ただの乗用車。軍用ジープは此処まで来ない。
車のナンバーもこの地区のものばかり。県外からのものなんて、無い。観光スポットなんて、ある場所じゃない。
そりゃあ、ついていくって言ったの、私だけれど。
むー、と私の唸り声が響く。
「まだ駅前のほうが、観光するところありますよ!」
「私は観光の為にこの場所を訪れたのではないからね」
「わざわざ長期休暇使っているんですよ?」
「行く宛てもないし、構わないよ」
その言い方は、ぴしゃりと言い切られたようで。怯んでしまう。
あれ、怒ってる?考えて、少しばかり落ち込む。
「怒っていないから、気にしないで良い」
切り返しに、今度は驚いた。
「うわ、人の心読むのやめて!」
「判りやすいからな、岩倉は」
むう、そんなに判りやすいだろうか、私は。思い、センセーのことを観察してみる。口数はいつも以上に少なく、歩くスピードは一定のそれ。
何処に行くでもないのは本当なのか、ふらふらと歩き回る相手に、疑問が生まれた。たまに、その顔があちら、こちらへ向くのは。
「もしかしてセンセー、何か、探し物ですか?」
言えば、その背がぴたりと止まった。驚いて歩みを止めれば、ゆっくりと相手の顔がこちらへ向く。
いつも通りの無表情。けれどどこか、何か。
「そうだね、探し物と言えば、そうかもしれない」
「わ、じゃあ手伝いますよ!」
何となくその表情が怖いと思ったのは初めてで、少し無理をして声を張る。
苦笑いが来た。
「前に、守りたいもの云々と、説教をしたね」
「え?」
急に何を。言う前に、先が来た。
「岩倉空士は、この場所が爆撃されたことを知っているかな」
脈絡の無い唐突の質問に、頭が真っ白になる。そんなことを知るはずも無く、しかし嘘を言っているようにも見えない。
苦笑いが掻き消えた。
「事前の空襲予想からかなり間があったから、逃げることが出来た人間が多いけれど」
”迎撃機が取り逃した敵攻撃機四機が"。そこまで言って、一度目を閉じた。
その先も止まって、聞きたくなくて、耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
「私の何もかもを奪って行ったよ」
「で、でもセンセー、私、そんなこと、聞いたこと無い」
「隠蔽されたからね」
曰く、クーデター軍に本土爆撃を許したなどと認めるわけにはいかなかったと。
曰く、旧市街地の爆撃は、橋本学園で開発された新兵器の試験運用だったと。
曰く、その爆撃はニュータウン建造のための宅地造成と、空襲予報の訓練のためだったと。
「そんな馬鹿なこと、皆認めるわけ無いじゃないですか!」
「身内が死なず、多額の"生活費"が支給されれば、文句を言う人間なんて居ないものだよ」
鋭く返され、言葉を失う。
「死者、けが人はゼロ、出来上がったのは溢れていた人間を養うことの出来るニュータウン、手許には生活費、用意された豪華な新居」
特にこのご時勢、文句を言うのは少数だったよ。言って、目を逸らされた。その先に、家族連れ。
住宅街の中、二車線道路。小奇麗なアスファルトに、冷たさを感じる。
「それでも私は、覚えているよ」
四機分の機影、切り離された800ポンド爆弾、着弾、崩れ落ちる建造物。
忘れるはずが無い。そう言う相手の表情は変わらない。女の子の、楽しそうな笑い声が聞こえる。
「私の探し物はね、岩倉空士」
眩しいものを見るように、眼が細められた。
見たくない。そう思う。聞きたくない、そうも思う。
「もう何処を探しても、見つからないんだ」
あけましておめでとうございます、お待たせいたしました。仕事もだいぶ余裕も出来てくるはずなんで、投稿ペース戻していきたいと思います!頑張ります!