11 期末試験前夜
「ヤバい!」
岩倉香奈三等空士は叫んだ。そりゃあもう、思い切りの良い叫び声だった。ほぼ悲鳴だった。
校区内の学生食堂に居合わせた面々が、一斉に彼女を向く。
同じテーブルで黙々とほうれん草のお浸しを消化していた暁中尉が、珍しく顔をしかめた。
「岩倉空士、食事はもう少し、静かに取りなさい」
「ちょっと待ってセンセー、これ、お夕飯に見える?」
「参考書に見えるね」
橋本学園こと極東空軍アカデミーは、極東方面軍西部基地の敷地内に立地している。
軍属とは言え学校施設であり、教育の場。となると、当然発生する事象が在る。
期末試験だ。
「岩倉さん、少し静かにしないと、みんな食事中だから」
榛原の指摘に、ガタンと立ち上がった。相手を指差して仁王立ち、その表情は泣きそうなそれ。
「良いよね、インテリは!もう本番は明日なのに、優雅に夜ご飯食べられてさ!」
「お前、5分前まで幸せそうに豚肉齧ってたじゃないか」
「岩倉は、座学が苦手なのかな」
首を傾げる暁の袖が、隣に座っていた吉野にクイと引かれる。見れば、吉野が悲しげな表情で軽く首を振っている。
「先生、香奈ちゃんは、お勉強が、ちょっと」
「あ、待ってマナ、それ、ちょっとヘコむ」
宣言通り、突っ伏した。最早恒例となった暁差し入れの緑茶缶を、むー、と睨み付ける。
「ヤバい、現文と古文と数学と物理と歴史と外国語がヤバい……」
「良いところなしだな」
「よーすけ、ちょっと黙ってて。どうやってこの危機を脱するか、シュミレートするから」
頭を抱えて、うんうん唸り始めた。
いや、勉強しろよ。大体そのような感想をメンバーが得て、三人顔を合わせる。
「あとの三人は、問題ないようだね」
暁の質問に、三人が肯定で応えた。裏切り者、と恨み節。
「まあまあ、岩倉さん、あとで数学見てあげるから」
「私も、あとで古文、続きから教えてあげるね」
「わあ、何だか私、駄目な子みたい」
駄目な子じゃねえか。胸中、隅田が呟く。
一つ頷いた暁が、口を開いた。
「ところで試験期間中、他の教官はどうしているのかな」
「え、センセー、聞いてないの?」
聞いてないね、と反芻。はあ、と隅田が不思議そうにする。
「教官たちは皆、試験期間5日、試験後休暇7日、計12日間の休暇ですよ?」
言えば、一瞬暁が押し黙った。どうしました、と隅田が尋ねれば、いや、と返答が来る。
「12日もどうすれば良いのかと」
「他の教官たちは、実家に帰ったり出身基地に挨拶に行ったりしているみたいですね」
「行動制限は無いのかな」
「私たち学生も割と自由だしね、センセーたちなんてやりたい放題ですよ!」
いいなー、と岩倉。羨望を横目に、暁が12日間だけでも戦線復帰出来ないかと考える。
今の状況から鑑みるに不可能だと結論し、ため息を吐いた。
「ところで試験の後、皆どうする?」
榛原の質問は、試験明けの一週間の休暇を指していた。そうだな、と隅田。
「一度実家に帰って、母親に顔だけでも見せてくるかな」
「あ、私も帰ります。お父さんとお母さん、心配しているので」
「私は赤点回避してから考える……」
そっか、と榛原。
「すぐる君は?」
「僕は、いつも通り」
「"奥さん"のとこ?」
まあそうだね、という榛原の肯定に、暁が首を捻る。
「榛原は、結婚しているのかな」
「ああ、いえ、教官。仲の良い女の子のことを、彼らが勝手に呼んでいるだけです」
とは言え、そう言う榛原の表情は綻んでいる。
「そういった存在は大切にしたほうが良いよ、榛原空士」
緑茶を呷りながら告げたその表情はいつも通りの無表情で、4つ分の視線が暁の元へ来る。
「何かな」
「先生は、結婚されているのですか?」
「いや、していないよ」
素早い切り替えしに、四人がたじろいだ。
「飛ぶのに、余計なことを考えそうだからね」
「え、じゃあセンセー、彼女も居ないの?」
「明日死ぬかもしれない身で、近しい女性を作る気にはなれなかったね」
その発言に、一同口を噤んだ。自身らが目指す場所が死に近しい場所であると、ようやく認識させられる。
察したらしい暁が、もっとも、と続けた。
「死なないための努力をしているのだから、今のは私のたわ言程度と思ってもらって構わないよ」
その言葉に、誰も反応しない。ひとつため息を吐いた暁が、もうひとつ緑茶を呷る。
俯いていた榛原が、一番に顔を上げた。
「教官は、兵士が妻子や恋人を持つのに否定的なのですか?」
「私が否定したところで、君はその"奥さん"をどうするのかな」
その解答は、榛原を見ては居なかった。手許の缶を弄びながら、淡々と告げる。
「その女性は、戦場においては邪魔だから切り捨てろ、と言われて切り捨てられるような存在なのか」
「いいえ」
強い否定が来る。榛原にとって彼女は最も守りたい女性であり、物心付いた頃からの大切な親友だ。その場全員が顔を上げる。
ようやく榛原を見た暁の眼は、どこかいつものものと違って、身構えた。
「ならば、戦争なんて下らない事象で死ぬことの無いよう最大限努力すれば良い。君にとって、戦争と戦場は人生ではない」
君達もだ。言って、周りに眼を向ける。自然に皆の背筋が伸びた。
「一個人でも、家族でも故郷でも、自分の守りたいものがあるならば見失うな。その意思は、強い人間だけが持てるものだ」
わかるか。その質問に、4つ分の肯定。
「―――すまない、説教になってしまったね」
息を吐いた暁の眼が、もとのそれに戻る。
「まあ、先にも言った通り。弱い私の考え方など気にせず、君達は君達の生き方をすれば良い」
「センセー、全然弱いように見えないですよ」
「弱いよ、私は」
まるで言い聞かせるように。四人の前ではあまり動かない暁の表情筋が、はっきりと歪む。自嘲のそれを携える。
「戦場にしか生きる意味を見出せない私は、間違いなく弱者だ」
「中尉は、何のために戦ってきたのですか?」
その質問の解答は、すぐには来なかった。珍しく考えるような間を以って。
「ただ一機でも多く墜とし、一人でも多くを救うこと。それだけだね」
当然のように、そこに個人の名などなく。
「あの、御家族は?」
「開戦と同時に戦災孤児でね」
あ、と質問した榛原が俯いた。
「気にしないで良い、整理はついているから」
珍しいものでも、私一人というものでもないしね。言って、隅田を見やった。隅田も、父親を戦争で亡くしている。
「飛ぶ理由は、守るべきものを持つ仲間たちが死ぬのが嫌だから、かな」
「……ご立派です、先生」
「そう言ったら聞こえは良いけれど、その実ただの寄生だからね。ふらふらと、求められたから飛んでいただけだ」
だから、と四人の視線を振り切って、空き缶を手に立ち上がった。
「私のような弱い人間にはならず、飛ぶ理由を見つけておくように」
否定の隙も与えずに、去っていく。その後姿はいつも通り。
四人で見送って、彼の姿が見えなくなる。これで、おそらく2週間は会うことは無いだろう。
「……勉強、しなきゃ」
少しばかり続いた沈黙の中、岩倉がぽつりと呟いた。
ちょっと短いですが、暁先生の考えていることを少しだけ混ぜていきたかったのでこの形です。次回は、期末テスト明けのお休み回を恐らく2話ほど、その後はまたお話が進みます。。。良ければ、お付き合いくださいませ・・・