10 隅田隊長、岩倉二番機-2
かちゃかちゃと、小気味の良いタップ音が響いていた。
宿舎棟の共用スペースに設置された数台のパソコン。
夜の一時、皆寝静まっている。
黙々とレポートを打ち込む隅田の顔に少々疲れが見える。
それでも訓練小隊とはいえ隊長の任を負う者として、責務は果たさなければならない。
新任の教官がレポートの提出など求めないとしても、この学び舎に在る限り、これは必要なことだ。言い聞かせて、ここまで来た。
10枚綴り、最後の一行。タン、と最後のエンターキー。
瞬間、彼の背中からぎしりと鳴った。オフィス・チェアの背もたれが、彼の体重を支えてくれる。
眼を閉じれば、意識を持っていかれそうになる。
良くない。部屋で寝なければ、明日に支障が出る。
一つ伸びをすれば、ぽきと鳴った背中。息を吐いて、立ち上がり、振り返る。
そこにジト目の岩倉が居て、割りと驚いた。
「うお、びっくりした」
「びっくりした、じゃないよ」
夜の一時。皆を起こさないように小声で、むっとした顔を見せ付けてやる。
「よーすけ、何時だと思ってるの」
「何時って―――ああ、すまん、起こしちゃったか?」
そう言うことじゃない。的外れの返事に、はぁとため息が吐いて出た。
「ほら、これ」
抱えていた片方の缶を投げつける、ナイスキャッチ。
銘柄を見て、顔を顰めた。
「コーヒーじゃんか、俺は寝るんだよ」
「いいの、ちょっと付き合って」
渋る彼の背中を押して、ベランダへと追い遣る。
「おい、こんな薄着で」
「いいから、いいから」
二人でサンダルをつっかけて外に出れば、少し冷たい風にあてられた。
「むう、少し寒いね」
「だから言ったじゃんか―――まだまだ秋だと思っていたけどな」
窓を閉めて、小声だったそれを解く。プルタブを開けて、呷る。暖かいそれが、心地よかった。
「む」
低い声に顔を向ければ、隊長殿がプルタブと格闘している。
「不器用だなあ」
「ほっとけよ」
「ほら、こうやって、指のお腹で押さえつけるんだよ」
機体操作の邪魔になるからと、短く揃えられた爪。もう皆は慣れたはずなのに、まだプルタブも開けられない。
難しそうな顔をして御礼を言う彼が、少しばかり可愛らしくも思う。言えば、きっと怒るだろうから言わないけれど。
「うん、美味いな」
「美味しいよね、あったかい」
「ちょっと前まで、あんなに暑かったんだけどなあ」
吐いた息が白い。嫌だなあ、寒いのは、好きじゃないのに。
ふう、とお隣から聞こえてくる。ため息ではないけれど、一息吐く、のような。
「それで、どうしたんだ」
ベランダから一直線に進んだところに滑走路がある。そこを見つめながら、静かな声で尋ねられた。
言おうとも、思ったけれど。
やめた。
「最近よーすけとこうやって話すことも無かったからさ、ううん、気晴らし?」
「何だ、それ」
苦笑いよりも軽いその笑みを受け止めきれずに、ふいと視線を移す。
滑走路の奥には駐機施設があって、夕方にやってきた大きな輸送機が鎮座している。
何だろう、あれ。思うものの、今考えることじゃない。視線を、彼へと戻す。
「ね、よーすけ、最近どう?」
「どうって、何が?」
尋ねれば、首を傾げて返ってきた。
「センセーのこととか、隊のこととか、よーすけのこととか、色々」
「……そうだなあ」
もう一口呷る。見ればさっきまでの笑みは消えて、生真面目な横顔。
「暁中尉は、まだまだ謎が多いけど、それでも良い教官だと思うよ」
あの人から盗める技術は多い。そう言って、飲み干した。
「まだ20日ほどだけど、5回の演習で全部機動の色が違うって、どうかしてる」
「それ、褒めてる?」
「失敬な、褒めてるよ」
笑顔に笑顔で返す。
「デブリーフィングでもこちらの良いところ、悪いところを的確に指摘してくれてる」
「あれで教官経験無いって、凄いね」
「橋本学長と知り合いっぽいからなあ、裏がありそうだ」
少し考えるような顔をして、答えに辿り着けずに、あー、と唸る。
「秋山整備主任から聞いたけど、北部戦線じゃ撃墜数32機だって」
「わ、本当にエースじゃない」
「本当、どうして教官なんてやってるんだろうな」
それが有人機のそれなのか、それとも無人機のそれなのかわからないけれど。32機は簡単に出せる数字ではない。
そのベテランに、稽古を付けて貰えるのは、とても貴重なことだ。
「でも、変に若いな」
「まだ25歳だっけ?」
「それで中尉だから、順調な出世だな」
「私たちと、10も違わないのにね」
どうやったらあの技術を手に入れることが出来るのだろう。
それに。
「32機じゃ、有人機も墜としてるよね」
「まず間違いなく、墜としてるな」
「……そっか」
私のつぶやきで、少しだけ静かになる。場を切り替えるように、よーすけが咳払い。
「暁中尉が来て下さってから、隊全体の能力は向上していると思う」
「そうなの?」
軽い頷き。顔つきが、隊長のそれに変わる。
「吉野は、これまでちぐはぐだった攻撃、回避のウェイトを纏めて、榛原のフォローが出来るようになった」
「うん」
「榛原はそのフォローを巧く使える余裕が出来てるし、使い所も理解してると思う」
ここ最近の、第二エレメント二機の動きを思い返してみる。確かに、そんな気がした。
言われてからでないとそれに気付けなかった自分に、内心腹が立つ。
「荒れないよな、劣勢下でも」
「うん、良く助けてくれるしね」
「技術向上もそうだけれど、中尉は実技ありきで多く飛ばしてくれるから、ありがたいよ」
「そうだね、飛んでみなくちゃわかんないこと、多いよ」
座学も重要だってわかっているけれど、センセーの言う通り、空戦は経験なんだと思う。
「で、お前は機動のキレが増したよな、特訓の成果か?」
「―――え」
「シミュレーターでの自習履歴、見たんだよ」
何で見るのさと恨めば、あまり根を詰めるなと窘められる。
「無理して調子狂われても困るから」
「ご、ごめん」
「いいよ」
会話が途切れた。お互い話すでもなく、何となく目を逸らす。月が、大きく見える。
「よーすけは」
「ん?」
「よーすけは、どうなの」
問えば、一瞬の無言が返ってきた。どうやら自分のことはとんと判らないらしい。
今度吐いたのは、正真正銘のため息だ。
「どうなんだろうなあ」
言って、手すりにもたれ掛かった。見上げた先に、大きな白の月。
「俺は、まだまだ足りてないかな」
空になったコーヒー缶が、アルミ製の手すりをカツンと鳴らす。
ただ黙って、先を促す。
「お前たちへの指示も、空戦技術も、状況判断も、中々どうして、上手くいかない」
「それが、自己分析?」
「ああ」
今度はこっちがため息を吐く番だ。大げさにすれば、何だよと、ジト目が来る。
「20点かな」
「何がだ」
「隊長の自己分析に対する、部下の評価得点」
少しだけ力をこめて、ずいと彼へ向き直る。
少しだけ後ずさるのも、気にしない。
「よーすけはさ、自分が頼られてるって自覚、ある?」
「無いよ、そんなの。頼ってもらえるような器じゃないって、自覚してる」
「私はね、正規配属されても、よーすけの下で飛びたいよ」
言えば、少しばかり驚いた顔をされる。
「そりゃあね、皆訓練生だから、技術は正規兵に劣るだろうけど」
火照った頬に、冷たい風がほんの少し心地よい。
「私は、よーすけが隊長で不満なんて思ったこと、一度も無いよ」
二人だってそうだ。あの二人だって、よーすけの指示も、空戦技術も、状況判断も、受け入れてるじゃないか。
「だからさ、もう少し自信持ってて」
「あ、ああ」
「で、もう少し私たちのこと、頼って」
こんな時間まで一人でレポート書いてないで、素直に手伝ってくれって言えばいいのに。
もっとフォローしろって、言ってくれればいいのに。
少し悲しいし、寂しい。
「そんなに私たち、頼りない?」
「そんなわけ無いだろ、三人とも、俺には勿体無いくらいだ」
「ほら、そういうとこ」
自分を低く見ないで。言えば、少ししゅんとされる。ちょっと強く言いすぎたかなと反省。
でも、言っておきたかったことだ。
「よーすけは隊長だけど、私達みんな、同期なんだから」
「ああ」
「頼りにしてるし、頼られたいって思ってるって、ちゃんと知っておいてね―――っと」
わざと大げさに、勢いをつけてアルミの手すりから離れる。
言いたいことは大体言えたから、もう、いいや。
「じゃあ、おやすみ、よーすけ」
「岩倉」
踵を返したところで声を掛けられて、振り返る。生真面目な、彼の顔。
「ありがとうな」
別に、お礼を言われるようなことしてないじゃん。当然、そんなことを言えるはずも無く。
「また明日、頑張ろうね」
少しだけ熱い頬を携えて、ベランダを後にした。
駆け足に進みますが、留めるようなところもないので。。。この二人は、大分出来上がってる感が出せれば良いな、と。。。