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第八章


第八章




 ぼんやりと壁に開いた穴を見る。小さく狭いそこからは、蔵の裏の景色が覗き見えた。

 そこにきてまた、ひとつの疑問が解けたような気がする。それはもう、いまとなってはもはやどうでもいいことなのだったが。

 修一は万華鏡を取り出して、そっと壁の穴にあてがった。これならば、室内に明かりがなくても見ることができるはずだ。

 しかし、飛び込んできた予想外の情景に、修一は驚いて目を離した。

 あわてて壁に張り付くが、やはり昼下がりの裏庭があるだけである。

 万華鏡を確かめる。どう見ても、どこにでもあるような玩具にしか見えない。

 改めて壁の穴に万華鏡を添えると、修一はゆっくり目を押しあてた。

 やはり。


 ――()()()()()


 果たしてそこに広がっていたのは、昨日客間で鑑賞していた絢爛な鏡面世界ではない。

 万華鏡の中には、いま修一がいるこの蔵の中が映っていたのだ。

 それはちょうど、外から穴を覗いたらこう見えるだろうというもので、まるで目の前に鏡を置いているようである。その違和感に修一は、ただただ混乱した。

 まだ夢を見ているのではないかという錯覚に陥った。


 ()()姿()()()()()()()()()()()()


 驚いてふり返るが、現実にその姿はない。

 目をこする。

 改めて万華鏡を覗くと――

 やはり、――()()

 少女は万華鏡の中でのみ存在していた。淡い桜色の着物姿の、年の頃十二、三ばかりの娘で、長く伸びた黒髪を赤い櫛で丁寧にいている。その髪で表情までは見えない。

 修一は恐怖と、しかしその少女から発する、懐かしさにも似た凛とした姿に思わず息を飲んだ。

(――なんだ、これは)

 夢ではない。

 錯覚でもない。

 それでも、現実ではない。

 では、これはなんなのだ。

 ぽつんと灯った行燈あんどんに照らされて、少女の影は長く大きく伸びて、壁に張り付いてゆらゆらと不気味にうごめいていた。それを見つめながら、自分の身体が震えるのが分かった。

 不意に。

 ()()()()()()()()()

 それはまさに、「切り替わった」としか言いようがない。

 場所こそ変わらないが、鏡台の前で髪を梳いていた少女が、その瞬間には部屋の中央に移っていた。先程まで桜色の着物姿であったのに、いまは藤色のそれだ。

 まるで二枚の動画を瞬時に入れ替えたかのような、不自然だが明確で顕著な変化だった。

 彼女はうつむいて、手持ち無沙汰にビー玉を弄んでいる。白く細い腕だけが、億劫おっくうそうにガラス玉を追って動く。

 ふり返るが、やはり修一のいる部屋にその姿はない。

 だが、少女の動きにあわせて、玉を打つ音までするようだ。

 この部屋からではない。

 万華鏡の中から聞こえるような気がするのだ。

 幻聴だ。無意識に想像力が、欠けているものを補おうとしているだけ。そんなもの聞こえるはずがない。

 そこで初めて修一は、少女の顔を認める。

 白く繊細な硝子細工のような肌に、猫のごとく爛々と光る大きな目、小さく薄い唇は血のように赤い。それは名のある職人が丹精込めて作りあげた、命をもった日本人形を思わせ、そうしてやはりそれらがそうであるように、その魔性に吸い寄せられて目が離せない。彼女がこのまま成長すれば、相当の美女になるであろうことは想像に易しかった。

 また切り替わる。

 床一面に色とりどりの反物を敷き詰め、うっとりと悦に入ったように寝そべる少女。長い黒髪を乱し、堪えきれない笑いをあげながら部屋を転げまわる。

 やはり聞こえるはずなどないのに、その軽やかな笑い声まで響いてくるようだった。なんて楽しそうな声だろう。そして、なんて寂しそうな声なんだろう。

 修一はまるでとり憑かれたように、不思議な世界に見入った。

 にぎりしめる万華鏡にも力がこもる。

 その途端、またしても世界が変わった。

 行燈あんどんの頼りない明かりをだんに、白い綿入れを着込んだ少女。吐く息が白い。

 もともと色白の少女の肌は病的なほど青褪めており、胸を病んでいるのか、時折苦しげに肩を震わせていた。

 そこへ扉を開けて、誰かが入ってきた。

 自分とさして歳の違わぬ、痩せて腺病質な青年。その面差しには、見覚えのある気がした。

 青年が現れると、少女の顔はぱっと輝く。

 まるで花でも咲いたように、白かった肌は瞬時に血色を帯び、心の底から嬉しそうに笑うのだ。見ているこちらが切なくなるほど、弱く気丈に。

 青年は湯たんぽらしい物を渡すと、そっと少女の頭をなでた。愛しげに、そしてとても悲しそうに。

 そこにきて、ようやく修一は気づいた。

 これは――

 ()()()だ。

 絵柄を変えるように万華鏡を回すたび、覗き絵の世界が変わる。

 いや。情景はこの蔵のままだから、時間が変わるということか。

 修一が万華鏡を回す。

 世界が変わる。

 万華鏡を回す。

 新しい世界を映す。

 時に青年と仲睦まじく談笑したり、割烹着姿の老婆が食事を運んできたりというシーンもあったが、そのほとんどは少女のひとり遊び。折り紙、紙風船、読書、人形遊び……笑い、怒り、泣き、喜ぶ幼い少女ひとりきりの時間。

 そのどれにも、絶対的な孤独がついてまわる。

 恐れ、悲しみ、憎しみ、妬み……

 食い入るように修一は世界を変えた。

 それは少女の記録であり、人生を駆け抜ける、さながら走馬灯のようであった。

 病気で寝込んだ日や、青年に足の爪を切ってもらったり、独りで泣いた夜、癇癪かんしゃくを起こして壊した色彩鮮やかな小瓶、七輪を前にひとりで食べる雑煮、小さな鏡台の前でくり広げられる一人きりの衣装替え(ファッションショー)など。無声映画サイレントフィルムの世界だったが、その生々しさに声や物音まで聞こえそうなほどである。

 彼女はなんらかの重い病気を患っているようだった。日に日にやつれ衰えていく姿などから、行き着く未来は容易に想像できた。

 いつものように青年がやって来る。蔵に姿を見せるのは、不承不承といった感じの険しい顔をした老婆と、この青年だけだ。他に家族はいないのだろうか。

 ここまで見ていると、どうも少女がこの青年に対して、特別な感情を抱いていることが分かった。けれども彼の方は、それに気づいていながらも知らぬふりを通しているようである。

 その日、青年が持ってきたのは見覚えのある和紙の万華鏡だった。少女は興味深そうに見つめている。その顔はすっかり痩せこけて、生気がほとんど感じられない。

 それを痛ましく思うも、本人に気取られまいと振る舞う青年。

 彼は、そっと()()()()()()()


「……()()


 ふと修一の口をついた言葉に、本人が一番驚く。

 いま――

 いま、自分はなんと言ったであろう。

 ()()()()……?

 そんなはずはない。この少女も、目の前の出来事も、修一にとっては知らぬことなのだ。

 ならば、なぜ自分は知っているのだ。青年が口にした名。それが彼の妹の名だと――

 そして、どうしてそれと同じ名をつぶやいてしまったのだ。

 しかし、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 修一の胸が跳ねる。

 不思議そうな顔で、こちらを見つめている。

 見えるはずなどないのに、いままさに目があっているという気がしてならなかった。

 ()――、()()()()()()()()()

 近づいてくる。

 少女の骨のような細く白い手。

 這うように。真っ直ぐに。

 修一に向かって。見つめたまま。

 迷いなく。真っ直ぐに。

 近づいてくる。


 修一はあわてて万華鏡を回した。

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