Ⅹキュウソク【Lucky or unlucky?】
―――6/9_08:15―――
昨日は帰宅をした後、シャワーを浴びて夕食も取らずにそのままベッドに倒れこんだ。
そのまま翌朝まで熟睡してしまったようで、今日が休日でなかったら確実に学校には遅刻していた。
「そうだ、昨日のことをおっさんに話さないと……」
十伍はベッドの上で寝転んだまま【デバイス】を操作して武蔵に連絡を繋げようとする。
数秒あって回線が繋がった。
《起きたか、十伍》
「おはよう、おっさん。昨日は帰るの遅くなって悪かったよ」
《気にするな。楓もお前と同じで熟睡していたらしいしな。相当、昨日は大変だったんだろう》
「その昨日のことで話なんだけど……」
五日目にして等々ぶつかった格の違うモンスターのことを伝えなければならない。複数の『K級』からなる合成獣モンスター。
【Subject-No.56/Cl・Pr・Ve】という全く新しい名を持つ敵。
これから『不断の輪』はどう行動すべきか。
《合成獣が出たそうだな》
十伍の口から出す前に【デバイス】の向こう側からその単語が聞こえてきた。予想外なことにベッドから上半身を起こす。
「おっさん、なぜ、それを?」
《二人は『ダンジョン』に潜っていたから知らないと思うが、掲示板では色々なことが騒がれている》
掲示板――『Reality Cyber Space』にいるプレイヤーが匿名で情報のやり取りをすることができるサイトである。凛夏も楓も柚子も『ダンジョン』の噂をそこから仕入れていた。
《江戸川、葛飾、足立、北、板橋、練馬、杉並、世田谷、大田。全部で九区の『ダンジョン』への入り口がもう誰でもわかるように明らかになった。お前らみたいに早くから潜っていた連中はその合成獣と対峙したそうだ。実験動物みたいな変な名前の付けられた、な》
「実験動物……」
『Subject』という単語には多義語で様々な意味があるが、その中に被験者という意味もある。その後に続く『No.』とは実験体の番号だろうか。十伍が対峙したので『56』ということはそれより小さい番号の合成獣もいるという事になる。もしかしたら三桁の番号まであるかもしれない。また最後のアルファベットは。
《だからそういうこともあって、この休日は九区で本格的な攻略が始まる》
「だよな。あのさ、おっさん。俺たちは……」
《だから俺たちもお前らに加勢しようと思う》
「え?」
十伍は思わず「でも、」と言い返してしまったが、武蔵は【デバイス】の向こうでそれを抑える。
《昨日、お前らのいない間に話し合ったんだ。そして出た決定がそれだ》
「本当に皆、それでいいと言ったのか?」
《紗綾も、千世も、晃輝も、そして俺自身も十伍や楓と一緒に戦いたい。実はここ最近、【RAID TIME】の発生が少なくなっているんだ。三回発生する日も無くなってきている。俺たちにも余裕ができているんだ》
昨夜熟睡できたのも夜中に【RAID TIME】が発生しなかったおかげである。夜の【RAID TIME】も六月に入ってから三回しかない。
けれども、快く頷くことが十伍にはできない。
合成獣と戦った際に楓が大鋏に吹き飛ばされたのを見たときは心臓が止まるかという思いだった。これぐらい『VRMMO』をプレイしている時にはボス戦で何度もあったし、自身も何回も攻撃を受けた。
それなのにギルドの仲間を連れて行くのを恐れるのは、四月末のトラウマだ、と十伍は思う。
以前、紀蘭という元『不断の輪』メンバーと会った。
彼も十伍と同じく渋谷区で【TIME OF CATASTROPHE】を自分の目で見たプレイヤーの一人。それを経験してしまった彼は一刻も早くこの世界から逃げ出したい一心で他者を傷つけるという方法――特殊【PSI】の【罪《Guilty》】を使用してしまった。
目の前で仲間の姿が消えるのを見たくない。
それが十伍の一番の願いである。
「楓とは……話はしたのか?」
《『勝手にして』と返事が来た。後はお前次第だ》
「わかった」
《今日、午後から七人全員で『ダンジョン』に乗り込む。外出するなら正午までには自分の部屋にいてくれ》
通信が終わる。
ほとんど流されようにギルドで『ダンジョン』を攻略する形になってしまった。
これは正しいと言えば正しい。
ギルドとはそういうものではないだろうか?
ここのところ柚子たちと行動を共にするようになってからギルドをなおざりにしていたのかもしれない。仲間の危険を案じて自分だけ乗り込んでいくというのは初めから間違いだったのかもしれない。
こうなってしまった以上、自分は仲間の背中を守るしかない。
考えを改めて、柚子に連絡を入れなければならなかったのを思い出した。
《よう、十伍。そっちは決まったか? あたしたちは今、合流待ちをしていたところだ》
「決まったよ。行く方向でな」
《あたしはそれが正しいと思うぞ。ビビッてても仕方がねぇ。あたしだって同じなんだぞ? あの時のことは刻まれたように忘れられない。でもだからこそ今度はそうはさせない、って思う》
「そうだな」
《お前は特にそっちでは一番頼りにされている存在だ。十伍がしっかりしないとならねぇんだ》
「ありがとう、柚子」
《へ、へっ、だ! 感謝されることなんかしてねぇよ! ……悪かったな、この前のことでまだ謝っていなかった。すまなかった》
「なんだよ、改まって。柚子らしくもない。いつもみたいに、小ばかにするような態度はどうした?」
《ニシシ……ああ、そうだ。お前みたいに鈍感な奴がこういう時だけ気を遣うとか卑怯なんだよ、バーカバーカ!》
《柚子ぅ? 望月君と話してるのぉ?》
《ば、ばか! こっち来んな!》
【デバイス】から由希の声も一緒に聞こえてくる。
《他の連中も来たから、いっちょ合成獣倒してくるわ! って、由希! 違う! すすすすすすすって、そんなわけないだろ! あたしとはそんなんじゃねぇ! てか、十伍に聞こえたらどうすんだっ! あー、くっそ、またな!》
プツン、と急ぎ気味に通話が切れた。
裏でずっと由希がぼそぼそ言う声がしていたが何を言っていたかまでは聞き取ることができなかった。女の子同士の会話だ、男の俺が気にすることでもないか、と思ってベッドから降りた。
「昼まで何をしよう、【武器】のメンテナンスでも凛夏さんに頼むか。あの人もしかしたら最新の情報を持っているかもしれないし」
自分の部屋を出て凛夏の部屋へ。
鍵は開いていたので扉を開けて中を覗く。
「凛夏さーん、メンテお願いしたいんで――――――」
目的の凛夏はいた。奥の部屋へ続く廊下、洗面所から出たすぐ目の前の場所で呆然と十伍を見ている。
けれども、十伍の言葉が途切れてしまった。
彼も時間が止まってしまったかのように動かない。
なぜかと言えば。
凛夏は上半身に下着すら付けず、タオルだけが両肩にかけられていた姿だったからだ。
男らしい格好ではあるが、横腹のくびれの曲線といい、くっきりとラインの入る胸の谷間といい、スタイルは女らしさを強調している。
へそ丸出し(下はちゃんとデニムのショートパンツを履いている)の彼女の口元が歪む。
「殺ス」
昨日の合成獣を凌駕するほどの悪寒が背筋を高速で駆け抜けた。
バン! と十伍は戸を瞬時に閉める。
逃げる?
弁解する?
素直に謝る?
眠気なんて一気に吹き飛んだ。
汗をかいた手が宙をさ迷う。
何かアクションを起こさねば。
(このままだと殺される!)
〔09:03〕
十伍が取った選択は『素直に謝る』だった。
本物ではないといえ凛夏の見てはいけない姿を目にした後、しばらくして凛夏(今度は服を着ている)に「入れ」と言われ、実も凍りそうだったが逆らえるはずもない。
もはや命令となった凛夏の指示通りに十伍は動く。
「座れ」
「はい」
「何か飲むか?」
「お気遣い無く」
「用件は?」
「え、えっと(怒っていない……のか?)」
「用件は?」
「あ、はい! 【武器】のメンテナンスをお願いしたく!」
「何を畏まっているんや?」
「す、すみません。じゃあ、凛夏さん、頼みました」
多種の【武器】を所持しているため凛夏にはいつも手間を多くさせていた。
アイテムウィンドウから全て取り出す。
長剣。短剣。拳銃。突撃銃。散弾銃。軽機関銃。そして銃剣。
凛夏は無言でメンテナンスを開始した。
カチャカチャ、と【武器】をいじる音だけがする。
無言が(恐くて)堪えられなくて十伍が質問ぶつけた。
「『ダンジョン』で新しい情報とかあります?」
凛夏のご機嫌を伺いつつ、尻込みしながら尋ねる。
返事までのちょっとした間だけで汗が垂れる。
「そうやなぁ、隣の杉並区では中心部で活動しとった強豪ぞろいのギルドが『ダンジョン』を攻略し始めとるらしい。合成獣とはやりあったらしいな」
「はい、強かったです」
「そうか、やっぱり十伍でもそう思うんやったら強いんやろ。それでな、そいつを倒したちゅうギルドもおってなぁ……と、この先聞きたいか? ネタバレやけど」
「ええ、まぁ。今後のために聞いておきたいし」
「合成獣を倒すと、その先にはもっと下に降りるための階段があるんやと」
「下、というと。階層式なのかな? 地下何階とかみたいに?」
「そこはな、下水とかやなくて何ていうかもっと人工的な、施設的な場所らしいで? 合成獣の実験場やとか。ま、噂やけどな」
「でも噂も真実にはなり得る」
「『Reality Cyber Space』は一体誰が何のために作りおって、私らに一体何をさせたいんやろな」
「凛夏さんはどう考えているんですか?」
『Reality Cyber Space』における最大の謎だ。
プレイヤーは四月十日午前十時にいつの間にかここにいて、もうあれから二ヶ月になろうちしている。
この世界がもう体に染み付き始めていた。
現実のほうはどうなっている?
「とりあえず私が思うんは、これの目的は『ゲーム』やない。それは十伍も何となく思うやろ? 今回の『ダンジョン』で状況は変わっても、五月まではモンスターと戦う【RAID TIME】は一日の中で最大でも合計一時間半にしかならへん。私なんかほとんど家でだらだらするばっかりや」
話しながらも作業する手は動き続けている。
それから一口添えた。
「ま、結局私にもこの世界の製作側が何を意図しているのかはわからんちゅうことや」
他愛ない話を十分ほど続けて、【武器】のメンテナンスが終わる。
それらをアイテムウィンドウに片付けた。
「じゃあ、また昼に」
「ちょい待ち」
凛夏は部屋を出て行こうとする十伍を呼び止める。
何か用事でもあるのかと振り返れば、凛夏の笑顔が。
「後でヘルちゃんが火を吹くから覚えときいや。ほな、昼、楽しみにしとるわ」
十伍は首を傾げて凛夏の部屋を出たが、後々その言葉の意味に気づく。
『ヘルちゃん』とは凛夏の愛用する『特別製』の重機関銃【裁きを下す業火】に付けた愛称。
「裁きを下す業火……、火を吹く」
それが意味するのは――――――処刑宣告。
顔がみるみる青ざめていく。
凛夏の態度もそうだが話の流れですっかり忘れていた。見てはならないものを見てしまったのを。
凛夏は決して穏やかなどではなかったのだ。
(やばい……凛夏さん、めっちゃ怒ってる!)
ギルド間ではお互いの攻撃はダメージが通らず、痛みも発生しない。
これは良いことではない。
逆だ。だからこそ凛夏は容赦なく【裁きを下す業火】の乱射をする事ができる。
そして幾らダメージも痛みも無いからといって、豪雨のように飛んでくる弾丸に恐怖を感じないなんてことあるはずがなかった。
「ちょっと! 十伍、どうしたの?!」
廊下で足をガタガタ震わせている十伍と遭遇した楓は、彼の蒼白した顔を見て目を丸くした。
「天罰、いや、地獄の判決を受けることになっただけだよ、あははは」
「?」




