Ⅱテンコウセイ【A mischievous girl】
―――6/1_08:10―――
(ちょっとマズイかな……)
十伍は腕時計と同じ要領で【デバイス】の時間表示をちらちらと見ながら、電車のドアが開くのを待ち遠しく踏み足をしている。
そもそも何で誰もこえかけてくれないんだよ、と小声でぶつぶつと言っている。
ここ『Reality Cyber Space』には学校が、具体的には教育を受けることができるシステムが存在している。十伍のような現実世界において学生、『不断の輪』で言えば楓、晃輝、千世もこの仮想でも高校に通っているだ。ただ受けられるのは高等教育までなので、その課程を凛夏は終えてしまっているので除くが。無論、社会人の武蔵、紗綾は言うまでもない。
この教育を受けるのは義務ではない、自由参加だ。だからここでも学校を通うまでもないと考えるものは少なくない。
『不断の輪』の学生が授業を受けているのは、そのギルドでのきまりを武蔵が作ったからにある。学生たるもの勉学に励め、と。
発生時刻が予測不可能な【RAID TIME】が学校にいる際に発生した場合、例外扱いとなり建造物からの強制退室は免除されている。また自主的に外出することも認められている。
以上のような理由もあって十伍は平日である今日、通学しなければならないのだが、早朝のギルド集会の後に二度寝をしてしまった結果、案の定というか遅刻をしそうになっているわけである。
改札機は高速道路で採用されている『ETC』みたく、通り過ぎる際に【デバイス】が勝手に料金を払ってくれる。現実世界ではプリペイドカードが採用されているがあちらとは違いチャージの手間は無いので、所持金さえあれば難なく通過できる。
十伍がこちらの世界で通う学校は駅から徒歩五分ほどで着ける。
(んー、まあ別にいいか、遅刻したとこで本物の成績に影響しないんだし)
改札を抜けてからは諦めたように通常の歩くペースになっていた。
しかし校門を通り過ぎる時にはチャイムまで一分を切っていたのだが、事務室の方、まだ数人の女子生徒が外にいたのを見て、無駄な労力を消費してしまったと後悔した。
〔08:37〕
チャイムが鳴り終えた後から教室に入ると皆が着席していた。空席は――二つ? どこか違和感を覚えたところで、クラスメイトが十伍に挨拶を交わしてくる。が、彼は無愛想に返事をするだけだ。所詮彼らは『NPC』であるから。
チャイムが鳴った後だというのに教師がいない。プログラム的に考えて八時三五分にはいるはずなのだが今日はなぜかいない。
やっぱり今日は何かあるのか?
そう思った時だった。教室の引き戸が開き、教師が入ってくると――
「今日は皆にお知らせがあります」
十伍の予想は思い過ごしではなかった。ほとんどが決められたパターンの会和文をただ話す教師(NPC)で始めてみるパターンだった。
「今日このクラスに転校生が来ます」
その発言が出た途端、生徒(NPC)達がざわつく。
アニメなどでよく見る転校生の話の典型が目の前にあった。
(ふーん、転校生か。これも『NPC』のパターンの一つなのか、それとも……)
「では、入ってきてください」
先生の呼びかけで転校生が入ってくる。十伍は他の生徒(NPC)と動揺に視線を戸に向けた。
紺のスカート。女子生徒だ。
背丈は一つ学年が下の千世ぐらい。ただ千世は高校生の中でも背の順で初のほうである。
艶やかな黒髪のセミロングにカチューシャをつけている。
十伍は転校生の顔から目が離せなかった。
転校生は教卓の前に立つと、彼女についての紹介が始まる。
「こちらが本日転校してきた、『冬初柚子』さんです」
転校生の名前が紹介された直後、ガシャン、と椅子を鳴らした音が遮った。教室の後ろのほうの席でたった一人、十伍が口を開けて前かがみに立ち上がっていた。
「嘘だろ……」
転校生――柚子と目が合う。彼女は十伍の顔を見るなりニッと笑い、八重歯を見せる。
「えー、今日転校してきた柚子って言うんだけど、まぁ紹介する必要が皆無だよね」
その言葉の相手は教室にいる皆に対してではなかった。偽者(NPC)を除いてただ一人の本物である十伍に対して放った言葉。
「よっ! また会ったな、十伍。相っ変わらずしけた面だなぁ、そんな口ポカンと開けてんなよ。どうした? 言っておくけどあたしは幽霊なんかじゃねぇから。正真正銘、お前とギルド組んでた柚子ちゃんでーす」
彼女は口角が上がる度に八重歯を見せるため、それが彼女のチャームポイントとなっている。
〔12:30〕
「おい、柚子。いい加減にどういう事か話せって」
休み時間ごとに来て十伍は柚子に説明を求めるも「まぁまぁ、昼食でも一緒に食いながら話そう」と昼休みまで引き伸ばされていた。
「ささ、お昼にしようか。十伍、お前の昼飯は?」
「あー、今日ちょっと寝坊してさ」
「校門の前にチャイムギリギリに入ってきてたもんな」
「どうして知ってる……って、まさか外にいたのお前だったのか?!」
「おう、おう、見ないうちに顔を忘れてんのかと思ったわ。まぁ教室でちょっくら驚かしてやろうかとばれないようにはしたんだけどさ。ほれ、あたしの弁当分けてやるよ。口開けろ」
箸で卵焼きを摘み十伍の前に突き出す。それを十伍はパクリと咥える。
「んぐぇっほ!」
咽る十伍を見てニシシと笑う柚子。八重歯が悪戯っぽさを強調している。
十伍は顔を赤くして涙目で柚子を睨む。
「てんめぇ、何か混ぜやがった、な、ぐぇっほぐえっほ」
「柚子特性チリソース!」
「くそ! お前も食いやがれ!」
手掴みで柚子の弁当箱の卵焼きを彼女の口に押し込む。
「んぐっ、辛っ! うあああああああああ、唇がヒリヒリするぅううううううう」
「お前それ最初から俺に食わす気だったんだろ!」
「うぅ……正解」
「おい、その水筒寄こせ」
「ヤダね。間接キスはしたくない」
「さっき箸で間接キスしただろうが! というかこれは現実じゃねぇよ!」
「チッ、ばれたか……。でも現実じゃないからって誰これ構わず十伍の特許の『鈍感』でこんなことできるわけ? 人によっては意識しなくもないでしょ?」
「あぁ、まあな」
柚子の表情はもうニヤニヤしていなかった。無邪気に八重歯を見せる子供のような一面を裏返した真面目な一面。
「まだ引きずってんの?」
「引きずってないといったら嘘になる」
「そ、あたしも同じだけどね。あたしはあたしで今はうまくやってる、十伍もそうでしょ? あれから『PK』集団に襲撃されたとかでそれを追い返したとか?」
「知ってたのか」
「噂話は流れるものなの。あの娘が十伍につけた二つ名とか」
「そういえば知っていた奴がいたな。俺のことはいいからそれよりも柚子のこと聞かせてくれよ」
「あたしは今、『水晶のプレアデス』って言うギルドに入ってるのね。そのギルドは女性ギルドなんだけど、品川区で活動してたの」
「品川……というとあれか」
「『TIME OF CATASTROPHE』なんて名前が付いたんだね、あれ。それが原因で拠点諸共破壊し尽くされちゃってさぁ。寝床捨てて逃げてきたわけ」
「近くに例のボスモンスターが出たのか?」
「マジで焦ったよ。あたしんとこに現れた『ι―INFORMANT』はジャミング持った子機を飛ばすから仲間との連絡が取れないし、撹乱タイプも危ないわ」
「全員逃げ切ったの?」
「全員無事、今回はリーダーがやられなかったからギルドも崩壊しなかったし。朝あたしの他に一つ上の人が二人いたんだけど、その三人で一先ず世田谷区で住むことになったから。今後ともよろしくー。ちなみに残り四人は渋谷の方に行った。もう完全に元通りみたいだね、あっちは」
「そうか……」
「ああ、ごめん、ごめん、わざと墓穴掘るような言い方して。やっぱ引きずってんのね」
「まだたまに夢に出てくるよ。あいつの背中を追いかけてる」
しばし無言の間ができた。
柚子の弁当箱の中が空になり、片付け始める。
「と、こんな暗い雰囲気は終わりにしようか。昔のよしみということだし、小耳にしたとある情報をあげちゃおう」
「情報? どんなだ?」
「それはズバリ、『ダンジョン』だよ」
ダンジョン。
ゲームではお決まりの要素である。モンスターがうじゃうじゃいたり、『RPG』とかなら話を進める上で必ず通る課程だ。そしてそのダンジョンの採集地点にいるのは。
「いるのか? 奴らが」
「さぁね? そもそも入り口すらどこにあるのかわかってないし、ガセかもしれないし。あたしの聞いた限りでは、東京二十三区の外周にある九区に存在するんだってさ。他の十四区はどうかわからないけど」
「昨日のボス出現区は外周だけじゃないよな?」
「あたしのいた品川区とかどっちかというと中心よりだしね。全二十三区に存在してもおかしくない。そしてそれぞれの最後で待っているのは二十三体のボス達」
「外周の区は中心部よりもモンスターのレベルとか低いとか、難易度低めに設定されてる感があるからな。その九区を攻略したら新たなダンジョン開放とか」
「それは全て情報が本当の話だったら、だけどね。あたしはあると思ってるよ。相手からしか仕掛けて来れないとか不公平すぎる」
「だな。でも情報が本当だったら中心部の上級者達が各地へ散らばるんじゃないか?」
「そういう動きもあるみたいだよ。名の通ったギルドが拠点をわざわざ外へ移したとかね」
キーン、コーン、カーン、コーン……。
昼休み終了のチャイムが鳴る。
十伍と柚子は会話を中断して次の授業の準備に移った。
(外周の九区か……)
その中には『不断の輪』の拠点、世田谷区も当然含まれている。
「もし情報が本当だったとしたら俺たちは――――――」




