Ⅰハジマリノヒ【Game Start】
―――4/10_10:00―――
「――――――え?」
望月十伍は目の前の光景に唖然としていた。
空へと高く伸びる建物がどこを見渡してもそびえ立っている。地上には多くの『人』が行きかっていた。彼はその雑踏の中で佇んでいる。
そしてしばらくして、はっとしたように『第一に出なければならない疑問』にようやく気付くことができた。
「ここ……どこだ?」
彼は先ほど暗闇の中にいた。何一つ無い真っ暗な闇の中。
そして突然の出来事の正体をうまく捉えられない十伍は、その正体を手繰り寄せるように、どうして俺はこんなところにいるんだ? と、ここに至るまで経緯を辿ろうとする。
(さっきの音声ガイダンス……)
それは暗闇の中で聞いた女性の声だった。
十五は思い出していく。
音声ガイダンスはこう言っていた。
〔あなたは『Reality Cyber Space』の参加メンバーに選ばれました〕
『Reality Cyber Space』とは? 十伍の聞いたことのない単語。直訳すると『現実情報空間』となる。
「いやちょっと待てよ……」
もっと記憶を遡る。
暗闇の前には何があったか。自分はどこにいたのか。
「確か……俺は『MAO』をやっていたんじゃなかったのか?」
『MAO』とは数ある『VRMMORPG』の中の一種である。『Middle Age Online』という正式名称の中世のヨーロッパを舞台としたゲームだ。
ここ数十年の間、全世界でバーチャルリアリティ技術(VR技術)の研究が進められていた。そしてバーチャルリアリティは今から八年前に実現した。
その研究とはまた別でゲームの進歩も着々と進んで来ていた。最初は電気などを用いなかったゲーム。それはやがて液晶画面の中で行われるようになり、その媒体はテレビ、携帯型、そしてオンライン。さらに 画面の中にあったものはカラーになり、『3D技術』の投入。
現在に至る進歩としては『VR技術』を取り入れたこと。
プレイヤーの五感全てをゲーム内で人工的に再現することを可能にした。だから彼らはあたかも本当にゲームの世界に入り込んだという快感を得ることができる。
実用化が難しかった『VR技術』は五年前に専用の施設に置かれ、そこでプレイするということから始まって、一昨年初めて市販向けVR機器『DREAM』が発売された。
値段は高価にも関わらず、その『新たな進化を遂げたゲーム』として『DREAM』は売れ、『VR技術』を取り入れたオンラインゲームも続々と進出してきた。
そして望月十伍もその『新たな進化を遂げたゲーム』のプレイヤーの一人であった。
「『MAO』をやっていて……そしたら突然目の前が真っ暗になって……」
十伍の言っていることは間違いない。
彼が『MAO』をやっていたのは事実だ。
もう一度周囲をよく見る。
街中を歩く大衆、天へと伸びる建物、街に緑を与える植物、建物の間から見える青い空。
「まさか……」
どれも現実世界にある都会のものばかりだ。これらがある場所こそが彼の知っている風景であり、世界だ。
だが最初から何か違和感を抱かずにはいられなかった。
「ここは――――――ゲームの中なのか?」
十伍は自分の言ったことに自信が持てなかった。そのため疑問系になってしまう。
彼は試しに、先ほどから雑踏に立っている自分を綺麗にぶつからないように避けていく『人』にわざと触ってみた。
これで十伍は自分の持った意見の確証を得る。
「触れ……ない」
触れなかった。
いや、確実になにかに手がぶつかった感触は得られる。
しかしそれは人としての『肌の柔らかさ』や『骨の硬さ』といったものとは全く違う。彼の手はその歩く『人』の本体に触れたのではなく、その『人』の周囲にある『空気か何か』に触れたのだ。
感触はコンクリート壁のような固いものに似ている。透明な壁に阻まれる。そんな感じがもっとも近い状況だろう。
十伍は歩く人をもう一度しっかりと目を向けた。
「やっぱりこれ『人間』じゃない」
人の形はしているが、それは生命が宿っているわけではない。ただ十伍の周りを歩く『人』は背景となんら変わりの無いものでしかなかった。
「つまり、だ。ここがゲームの世界だとしたならば、この人たちは『NPC』ということか……」
十伍は自分の隣を歩き去る人をまじまじと見ていた。
もしこれが本当の人であったならば、じろじろ見られているという不快感を抱き、変な目で十伍を見ていただろう。
だが人たちはそんなことをせず、十伍のほうなどまったく見ないでただ何事もなかったかのように過ぎ去っていくだけだ。
「あの、すみません」
十伍は試しに話しかけてみることにした。
手を人の肩に向かって伸ばして、引きとめようとしたのだが。
「駄目か……」
手はその人の肩に届くことはなく、話しかけても完全なるスルー。
華麗に人は過ぎ去っていき、人混みの波に運ばれていってしまった。
「話しかけられそうな気がしたんだけどなー」
人はとてもよく作られている。今サービスを行っている『VRMMO』の中でもトップクラスのリアリティだ。
またそれに背景。建物や植物の再現度も足したとすると、他の『VRMMO』との比ではない。もはや現実にもっとも近い世界、と言っても過言ではないほどだった。
「これひょっとして夢じゃないだろうな?」
数々のゲームを転々としていた十伍だったが、これだけリアルに作られているものは初めて見る。彼が今までプレイした中でランキングを付けたとすると、総合順位においてもクオリティーは断然トップのものであった。
だからこそ、こんなものやっぱり実は存在していなくて、これは自分がこういうゲームをしてみたいという願望が、夢として実現されたのでは? と思って、十伍は自分の頬を思いきり引っ張った。
「痛っ!」
どうせ夢であろうと思ったから思いきり引っ張ったのが失敗した。
じんじんと痛みが頬を伝う。
(ちょっと……これは痛い。というか、ここも相当なリアルじゃないか?)
現実世界とほとんど変わらない感触。
やっぱり現実?
だがそれは先ほど否定されたはずである。
「ゲームなんだよなー」
改めて辺りを見渡す。
ここまで精巧に作られていると感心してしまう。
「試しに歩いてみっか。ここがどこなのかもはっきりするだろうし」
十伍は雑踏の中でいつまでも立ち止まっているわけにもいかないので、とりあえず歩いてみることにした。
空を見るとまだ明るい。
「午前中かな?」
建物で太陽がどこにあるかはわからなかった。そのため太陽が真上に昇らない、十時か四時ぐらいだろうと、彼は思う。
道路には自動車が走っているし、店もいくつも建ち並んでいた。
「ん? 入れないのか……」
人たちが入っていくので十伍も中に入れると思ったのではないかと思ったのだが、
〔入れません〕
と、ウィンドウが出現してしまった。
だがこれでこの世界がゲームである実感が湧いてきた。
ウィンドウが店の入り口で出現するなど現実世界では絶対にあり得ない。
「そうだ! 俺以外に誰かいないのか?!」
十伍は突然思い至ったように声をあげた。
さきほどから周りは人ばかりで話し相手も一人もおらず、孤独を感じているところだった。
ここが夢で無いのだとしたら、自分と同じく他にもこの変なゲームに迷い込んでしまった者がいるのではないか。
あり得ない話ではない。
逆にここに十伍一人だけがいる、まるで自分専用なという世界のほうがあり得ない。
「誰か別の本当の人を見つけられたら、ここが一体どこなのかわかるかもしれないしな。よし! 探しに行くか!」
と、その時だった。
突如、街中から警報が鳴り響いた。
警報は鋭く尖ったような音で、これから起こる『何か』がどのようなものであるかを感じさせる。
「な、なんだ?!」
警報音は至るところから鳴っている。それは十伍のすぐ近くからも。
十伍はその一番近くから鳴っているものを見た。
「こんなものが付いていたのか」
彼は今の今まで気付くことはなかった。
それは腕時計をつけているような感じ。
実際に時間の表示もされていた。
〔AM10:10〕
白を基調とした小型の時計機能の付いた謎の装置によると、現時刻は午前十時十五分のようだ。
けれども表示されているのはそれだけではなかった。
「これってどういう意味だ?」
〔【RAID TIME】開始まであと 04:29〕
その表示によると何かをカウントダウンしている。数字はどんどん減っていく。
だが十伍にはよくわからない。彼は英語が得意なほうではなかった。そのため【RAID TIME】が一体何を意味する言葉なのかがわからない。
今も警報は鳴り続けている。
「えっ?!」
彼は腕に取り付けられた装置から目を離すと、状況が変化していることに気付かされる。
さっきまで街中を行き交っていた人が建物の中へ走って入っていく。
走っている。
少し違う。
それにはなにかの意味が込められている。
ただ走っているわけではない。
これから起こる『何か』から避難している。
「ちょっ?! なんなんだ? 何が起こってんだ?!」
十伍は人の動き方がさっきと打って変わってしまったがために自分はそうしようものかと混乱する。
「俺も逃げればいいのか?!」
彼は一目散に避難していく人の後を追う。
建物の入り口は人の山となっていた。狭い入り口へとたくさんのものが流れ込めばそれはもちろん詰まってしまう。
ぞろぞろと人が入って行ってようやく十伍は建物の入り口までたどり着くことができた。
「だからなんでだよ?!」
彼は建物に入る前にまたあのウィンドウが、彼が建物の中に入るのを遮った。
〔入れません〕
端的に告げるそのウィンドウは十伍と人の違いを決定づけるのだった。
仲間はずれにされた十伍。
彼はどれだけ入ろうとしても、透明な壁に阻まれたようで入れない。
だが人は何事もなく入っていく。
そしてカラカラという音を立ててシャッターが下りてきた。
「ちょっと待てよ!」
彼はシャッターを止めることもできず、入り口は閉ざされてしまった。
もう一度、腕にはめられた装置を見る。
〔【RAID TIME】開始まであと 00:03〕
すぐに最後の桁の数字はゼロになった。
次に新たな表示が現れる。
〔【RAID TIME】START〕
それはそのままの意味。この瞬間『何か』が始まるのだ。
「これから何が――――――」
そんなこと誰にも聞く必要はない。
聞くまでもなく彼は目にするのだから。
「な……ん……だ……」
『何か』は一箇所で起こることではなかった。街全体で『何か』が起こるのだ。
街の至る所で、黒や紫など、なにか恐ろしいものを予感させる無数の光のエフェクトが放たれた。光のエフェクトは棘を生やした星型の多面体を形成している。
十伍はこの光景にあっけにとられていた。
だから表示が切り替わったことには気付かない。
〔【RAID TIME】終了まであと 30:00〕
『何か』はこの時始まる。これこそがこのサバイバルゲームの『始まりの時』だった。
光のエフェクトは収束していく。
だが代わりにそこに出現した『存在』がいた。
十伍から見えるところでも、光のエフェクトは十数個。遠くを見れば、果てしなくどこまであった。
それらが全て変化する。
現実世界にはいない。
ゲームの世界にしかいないはずの。
化け物に。
「どうなってんだよ!」
ここはゲームの世界だと、十伍はわかっていた。
とても精巧に作られた都会の風景。
そこへモンスターが現れる。
もう何が現実で、何が非現実なのか。
わけのわからなくなる出来事だった。
「ってどうすりゃいいんだよ……」
十伍の周りに表れたモンスターは、一見すると現実世界の生き物に酷似している。だが明らかに人を殺しかねない、危険な爪や、毒をもっていそうな色をしている。
見た目で判断すれば。
犬、いや狼。
猿。
まだいる。
鳴き声をあげるモンスターが上空にもいた。
カラス。
他にも、何となく何を模して生み出されたモンスターかが想像がついた。
さっき声をあげたことで、そのモンスターたちが十伍のほうを見た。すると、ずるずると近づいてくるではないか。
ゲームでモンスターが出てくるなら、プレイヤーにはそれと拮抗できる力がなくてはならない。
それは剣や銃などの武器であり、はたまた人外の力、魔法であったりする。
今それを十伍が持っているか?
彼の格好はただの洋服でしかなかった。さらには手ぶらだ。
一匹の狼に似たモンスターが十伍のほうに駆け出した。それは人間の走る速度より断然速い。
逃げることなどできない。そもそも足が竦んでいた。
死。
ここはゲームだ。だがあまりのリアルさゆえの恐怖。
しかしそれは間違っていない。仕方の無いことだ。生物としての本能がそうしたとしてもおかしくはない。
この世界は『ゲーム』であっても、『現実』なのだから。
「くそっ――――――!」
十伍は飛びつかれそうになったところで腕を前にやり、自分を守ろうとした。
「ハァアアアアッ!」
鋭い歯をむき出しにして、口を大きく開けた狼に襲われそうになった直前、十伍の前に一つの影が入り込んだ。




