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スパイダーズ・ストリング

作者: せんとくん

自由の女神。自由と平和を象徴する巨大な像。言わずと知れたアメリカのシンボルであり、世界でも屈指の観光名所だ。その日も多くの人々が観光に訪れていた。

 音がした。何かが唸るような音が。それは徐々に近づいてきた。ついには地を鳴らすような轟音になった。おそらく、誰の理解も追いつかなかっただろう。

 ____飛行機が自由の女神に突っ込み、爆発した。




 「なんなのよ、これは・・・・・」


 呆然と1人の女性がつぶやいた。年齢は20代半ばほどだろうか。整った顔立ちに、艶のある長い黒髪、引き締まった美しいスタイル。顔立ちから察するにおそらく東洋人だろう。

 

 「お、姉ちゃん目が覚めたかい」


 野太い声の英語。声の主は黒人男性だった。190センチはあろうかという巨体。全身についた筋肉はその体をさらに大きく見せている。

 女性は状況が呑み込めずにいた。周りにははガレキがうず高く積もっている。地面には割れたガラスや、鉄骨がはみ出たコンクリートの破片が散らばっていた。明かりは10メートルほど上にある隙間から差し込む日光のみで、視界は薄暗い。その中で女性は黒人男性以外に2人の人影を確認した。


 「テロかなんかだろうな。いきなり天井が落っこちてきたんだ。俺たちは運がいいのか悪いのか、ガレキにつぶされることなく生き埋めになってんのよ。たぶんイスラエルの馬鹿どもの仕業だろうな。いまいましいッたらありゃしねえぜ」


 黒人男性は乱暴な口調でそう言い放つと、残り2人を指差した。そこにいたのは白髪で、どことなく気品のある老婦人と、褐色の肌をした細身の少女。


 「こっちのばあさんとガキも助かったんだ。ま、助かったつってもどうしようもねえんだけどな。食い物も水もない。俺たちにできることは干からびちまう前にレスキュー隊が来ることを祈ることだけさ」


 「こうなってしまった以上、私たちは運命共同体ですよ。大丈夫。神はきっと私たちを救ってくださるわ」


 老婦人が初めて言葉を発した。その声は男性とは逆にとても丁寧な調子で、この状況でもゆったりと落ち着いている。あくまでも神を信じようとする姿は、彼女が敬虔なクリスチャンであることをうかがわせる。彼女は傍らにうずくまる少女に目を移しながら言った。


 「こちらの子はどうやら英語が話せないみたいなの。アフリカ方面からの難民じゃないかしら。最近住む場所を追われてアメリカに移住してくるアフリカ人が増えているらしいわ。この子もその1人みたいね。かわいそうに」


 少女の着ている服は、お世辞にも立派とは言えないもので、体型も痩せすぎのように思えた。アメリカについた早々、このような事態に巻き込まれてしまい落ち着かないようだ。ほかの3人に対しては警戒しているようである。言葉すらも通じないことも考えれば、無理もない。


 そのあとは、少女を除く3人でこれからどうするか話し合った。周りのガレキはぎっちりと積もっていて、人一人が這い出すことができるような隙間は見当たらない。言葉通り、八方ふさがり。どうやら自力で脱出することは不可能に近く、おとなしく救助を待つしかない、という結論に落ち着いた。少女もほかの3人が危害を加えることがないと悟ったのか、少しは安心したようだ。


 それからは談笑の時間だった。このような極限状態にあって、もっとも恐ろしいことは、プレッシャーに耐えきれず発狂してしまうことだ。その点で1人きりではなく、4人まとまっていたことは幸運だった。男性は口は悪いながらも、性格は明るくジョークを飛ばして場を和ませてくれたし、老婦人の余裕のある、落ち着いた声は、皆に安心感を与えた。


 身の上話で、各人の素性が知れた。東洋人女性は日本出身で、仕事の関係でアメリカに来たついでに観光名所を巡っていたようだ。黒人男性は地元の出身らしい。老婦人は仲間と観光ツアーでここを訪れたそうだ。少女には言葉が通じないので細かいことはわからないが、彼女の様子から老婦人の推測はおおむね当たっているようだ。

 

 残念ながら、この物語はハッピーエンドにはならない。


 理由は3つ。

 1つは絶対的に水が足りなかったこと。

 1つはこの時アメリカは真夏だったということ。


 最後の1つは彼ら、彼女らが人間であったということだ。


 

 水。飲まずにはいられない。世界には断食やハンガーストライキといった食を断つ行為が存在するが、いくらなんでも水を飲むことをやめる馬鹿はいない。食料は足りなくてもある程度はもつが、水を飲まなければ2日で死に至る。

 これは2日生き延びられるという意味ではない。渇きというものは、どんな苦痛をも凌駕する最上の苦しみだ。はたしてこの責め苦を耐え続け、死の間際まで正気を保つことができるだろうか。

 おまけに今は夏である。4人が閉じ込められている場所はほぼ密室。風が吹き込む隙間などほとんどない。こもる熱気、上がる気温。すぐに限界が訪れるのは目に見えて明らかだった。


 「ファぁッック!!!」


 黒人男性が怒号を上げると同時に、足元のコンクリートの破片を蹴り飛ばした。破片は壁にぶつかって、乾いた音を立てて砕け散る。6時間前、和やかに談笑していた男の姿はそこにはなかった。暑さと渇きは彼から理性と思考力を奪っていた。


 「ちょっと! 落ち着いてよ! そんなことしても余計疲れるだけでしょ。冷静になって」


 「うるせえんだよクソアマがッ!! わかりきったような口たたいてんじゃぁねえぞぉクサレビッチのぶんざいで!!」


 「なっ・・・・・・」


 「オイ、ババア!!」


 突然、怒声を浴びせかけられた老婦人はビクッと体を震わせた。


 「アンタ、さっきションベンしにそこの岩陰に行ったとき、なぜかバッグも一緒にもっていってたよなァ」


 老婦人の顔が見る見るうちに青ざめる。


 「なんか持ってんじゃねえのォ? ちょっとそのバッグの中身見せろや」


 「やめなさっ・・・・・・!」


 婦人は抵抗したが、若者と老人。男と女。力の差は歴然であり、あっという間にバッグは取り上げられてしまった。男はバッグをさかさまにして、中身を残さず地面にぶちまけた。出てきたのは財布、化粧ポーチ、そして____


 「ビンゴォ!!! 思った通りだぜェ!!」


 無残に散らばった婦人の所持品のなかには、水の入ったペットボトルが2本があった。


 「独り占めはよくないねェ。 エェ? おばあちゃんよォ」


 「・・・・・・」


 「俺たちは運命共同体なんだろォ? だったら仲良く分け合わねえと・・・・」


 「やかましいのよ、このサルがッ!! 口を開くなッ!!」


 場の空気が一瞬にして凍りついた。理性を失っていたのは男性だけではなかった。先ほどまではブルーベリーのように真っ青だった婦人の顔が、熟れたトマトのように真っ赤になっている。気品に満ちたマダムの面影はもはやない。

 

 「黒人の分際で私と同等だとでも思っているの!? 脳みその足りない下等種族ごときが、おこがましいにもほどがあるわッ!!」


 「くぉんのクサレババア!!!」


 男がこめかみに青筋を立てながら婦人の胸倉をつかむ。今にも殴りかからんばかりの勢いだ。


 「やめて殴ったらダメ!! 冷静になって!! 子供もいるのに!! おばあちゃんもなんでそんなこと言うの!?」


 女は焦っていた。こんな筋骨隆々の男が老婦人を殴ろうものなら、ただでは済まない。下手をすれば死んでしまうかもしれない。ただでさえ絶望的な現状が、さらに悪化することだけは防ぎたかった。加えて、彼女にはまだ他人を気遣う心が残っていた。ここには年端もいかない少女もいる。子供に将来トラウマになるような光景は見せたくなかった(現時点でもすでに相当なものだろうが)。

 しかし彼女の理性も限界が近かった。


 「黒人より少しマシなぐらいの黄色人種モンゴロイドが私に口答えするのッ!? 日本なんてアメリカのペットにすぎないのよ!? そこの子ザルと一緒におとなしくしといてちょうだい!!」


 切れた。女性の体の中で何かが切れた。決定的な何かが。

 なんで?私はあなたを助けようとしたのに?なんでこんなにひどいことを言われなくちゃいけないの?なんでこんな小さい子をサル呼ばわりするの?なんでこんなことになっているの?なんで私はこんなとこにいなくちゃいけないの?なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで


 「このぉッ!!!!」


 女は足元にあったコンクリート片を投げつけた。破片は勢いよく飛んでいき


 グシャァッ


 老婦人の頭をかち割った。


 「ヒィッ」


 驚いた男性が老婦人から手を放すと、支えを失った体は地面に力なく崩れ落ちた。死んでいる。


 「・・・・・・?」


 女はしばらく呆けたような顔をして、死体を見つめていた。やがて、女の顔は歪みはじめ、目からは涙があふれ出した。


 「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!」


 女は自分のしたことを理解すると狂ったように叫びだした。


 予想外の出来事の連続に男は困惑していた。まさかこんなことになるとは。普通ならば、真っ先に後悔の1つでもするだろう。しかしこの男は違った。

 彼はこの状況を悔やむでもなく、悲しむでもなく、喜んでいた。

 自分の手を汚さずに実質的に2人の人間を消すことができたのだ。男はほかの3人を殺してでも水を独占するつもりだった。あんなにちょっぴりの水を分け合うことなどできるはずがない。男は最初から自分だけが生き残ることを考えていた。その点ではほかの誰よりも冷静であったと言えるかもしれない。


 とりあえず少し飲むか。

 男が戦利品に手を付けようとしたとき、異変に気が付いた。少女がいない。

 男はすぐに壁をよじ登っている少女を見つけた。唯一脱出できそうな場所_____10メートルほど上にある隙間から出ようというのか。驚いたことに、彼女はすでに壁の半分ほどに到達している。男は女の上げる奇声のせいで気付かなかったのだ。


 男は驚くと同時に、希望を抱いた。少女が人を呼んでくれれば、助かるかも知れない。


 「オーイ!! お嬢ちゃーん!!」


 男は呼びかけた後に気付いた。彼女に言葉は通じない。しかも彼女には男を助ける義理がない。たとえ言葉が通じたとしても、目の前で極めて乱暴に振舞っていた男を助けようとはしないだろう。

 そこまで考えが至ったとき、男の胸の中に行き場のない怒りが渦巻いた。


 (チクショウ。あんなガキだけが助かるなんて納得いかねえ。ん? もしかしたらこの壁、俺にも登れるんじゃねえの?)


 壁には、はみ出た鉄骨や、くぼみなど、足がかりになりそうな箇所は多くあった。実際に少女はそれらを利用して壁を登っている。


 (よーし)


 男はペットボトルの水を一気に飲み干した。女は水のことなどそっちのけで泣きわめいている。正常に思考が働いていないようだ。

 男は腕まくりをすると、壁をよじ登り始めた。壁の凹凸を頼りに着々と登っていく。しばらくすると中ほどに到達した。少女はすでに登り切ろうとしている。


 (ここら辺で休むか)


 男ははみ出した鉄骨に足をかけて、姿勢を安定させ地上を見下ろした。5メートルほど下に転がっている老婦人の死体と、泣きわめいている女を見ると、自分が神になったかのような気分になった。男は笑いながら死体と女に向かって中指を立てた。


 「ヒャッハァ!! 俺は生き残るぜェ! 悪く思うなよクソアマども!!」


 その時、男を支えていた鉄骨が根元から折れた。小柄な少女ならともかく、その3倍以上の体重を持つ男を長時間支え切れるわけがない。男は何が起こったか理解ができないまま、地面に叩き付けられた。


 (クソッ!! もう一度・・・・・・)


 男が立ち上がろうとしたとたん、激痛が男の右足に走った。完全に折れている。男の表情が絶望に染まる。

 少女は壁を登り切っていた。少女が下を見下ろすと、男と目があった。男の口が動く。


 「たすけてくれ」


 消え入りそうなほどにか細い声は、女の悲鳴にかき消された。少女は振り向くと、外の世界へと駆け出して行った。

 


 

 

 


 


 

 

 


 

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