彼女が乙女ゲームの攻略対象ばかり見ていたので、嫉妬して決闘を申し込んだら世界が止まった
彼女の推しは、月を見て泣く男だった。
そして僕は、その男を斬りに行った。
たぶん、少しだけやりすぎた。
月は、今夜も完璧だった。
薔薇園に銀色の光が降り、噴水の水面が揺れる。
その中央で、“ロマンティック・ロムルス”は静かに目を閉じた。
「……今宵の月は、まるで――」
「ロムルス!」
怒声が庭園を裂いた。
ロムルスは片目を開けた。
ジャージ姿の男が、肩で息をして立っていた。額に汗。手には細身のサーブル。
「……誰だ、君は」
「秋名の彼氏だ!」
ロムルスは数秒だけ沈黙した。
「……それはまた、ずいぶん現代的な肩書きだな」
「うるせえ! 今日はお前を斬りに来た!」
剣先が月光を弾いた。
「僕の彼女をこれ以上たぶらかすな!」
三日前。
「見て見て、このロムルスの限定イラスト。尊い……」
ソファに寝転がった秋名が、スマホを胸に抱えながら言った。
「今日も月を見て泣いてたの。意味わかんないのに、そこがいいんだよね」
祐介は黙ってカップ麺をすすった。
「この前のドラマCDも買っちゃった。あと特典ボイス付きの限定版も」
「いくらした」
「九千八百円」
祐介はむせた。
「たっか!」
「でもロムルスだから」
秋名は悪びれもなく笑った。
その夜、祐介は決意した。
翌日から、近所のカルチャー教室の初心者向けフェンシング短期講座に通い始めた。
講師に言われた。
「なぜ剣を?」
祐介は答えた。
「恋愛です」
講師は少し黙ってから、
「……深いですね」
と言った。
そして今日。
ゲーム会社のオフィスに忍び込み、勢いをつけてモニターに突っ込んだ。
なぜそれで入れたのかは、祐介にも分からない。
ロムルスは剣を抜いた。
「なるほど。決闘か」
その口元に、ほんの少しだけ笑みが浮かぶ。
面白かった。
この世界では、もう何年も同じ夜が続いていた。
同じ月。
同じ薔薇。
同じ吐息。
ヒロインたちが次に何を言うかも、どのタイミングで頬を染めるかも、全部知っている。
ウルスラなら三秒後に目を伏せる。
クラリスなら右手を胸元に置く。
エレナなら、今この瞬間に息を呑む。
ロムルスの指先が、無意識にテーブルをとん、とん、と叩いた。
退屈だった。
だからこの乱入は、少しだけ愉快だった。
「いいだろう」
剣を構えた、その時だった。
「祐介、やめて!」
少女が駆け込んできた。
「秋名!?」
「何してんの!?」
「お前のためだよ!」
「なんで乙女ゲームで決闘してるの!?」
「お前がこいつばっか見てるからだ!」
秋名は一瞬、言葉を失った。
「……は?」
「彼氏として、黙ってられるか!」
その時。
秋名が、ロムルスを見た。
ほんの一瞬だった。
だが、ロムルスはそこで動きを止めた。
その目は奇妙だった。
初対面の目ではない。
恐れでもない。
憧れでもない。
知っている者の目だった。
ロムルスの指先が止まる。
彼は彼女を知らない。
だが、彼女は彼を知っている。
どうしてだ。
どこからだ。
どれほど遠い場所から、この視線は届いた。
月より遠く。
星々の向こうから。
そんな気がした。
「……君は」
秋名は祐介の腕を掴んだ。
「大丈夫。私は祐介が好き。だから安心して」
「……ほんとか?」
「ほんと」
秋名は祐介のサーブルをひったくった。
「な、何する」
「帰るの」
彼女は足元の砂に、ざっざっと四角い絵を描いた。
画面。
キーボード。
簡素なノートパソコンだった。
「……なんだ、それは」
「パソコン」
「ぱそこん?」
「説明してる暇ない!」
秋名は祐介の手を掴んだ。
「行くよ!」
二人は砂の上のノートパソコンに飛び込んだ。
次の瞬間、光が走り、二人の姿は吸い込まれるように消えた。
静寂。
薔薇の香り。
月だけが残った。
ロムルスはしばらくそこに立ち尽くした。
「……誰だったのだ」
最初の数週間、何も変わらなかった。
ロムルスはいつも通り微笑み、
いつも通り剣を振り、
いつも通り月を詠んだ。
だが三か月後。
「ロムルス様。今夜の月は、なんだか――」
ウルスラが言った。
ロムルスは返事をしなかった。
指先が、またテーブルをとん、とん、と叩く。
あの夜の視線が、ふいに脳裏をよぎる。
あの少女は、自分を知っていた。
どこから。
なぜ。
どうして。
「……ロムルス様?」
彼は窓の外を見たまま、ぽつりと呟いた。
「彼女は……どこから私を見ていたのだろう」
「え?」
「いや」
その日からだった。
告白の場面で沈黙する。
選択肢のあとで黙り込む。
月を見上げたまま、十分間なにも言わない。
三日後、ウルスラが言った。
「最近ずっと、あの薔薇を見ています」
五日後、クラリスが言った。
「……たぶん壊れました」
三週間後。
日本。
秋名はスマホを見て、凍りついた。
『ロムルスが何もしない』
『イベントが始まらない』
『選択肢が無意味』
『月を見るだけ』
『返金しろ』
「……え」
祐介が振り向く。
「どうした」
「ロムルスが、動かなくなってる」
「は?」
「私、限定版買ったのに」
「そこかよ」
「ドラマCD付きだったのに!」
その日の午後。
Wollaboration Works本社前。
「ロマンティック・ロムルスを返せ!」
「返金しろ!」
「月ばっか見てんじゃねえ!」
怒号が飛び交う。
秋名もプラカードを振り上げた。
「九千八百円返せー!」
少し離れたところで、祐介がぼそっと言う。
「……なあ」
「なに」
「お前、あいつのところ行ったりしないよな」
秋名はじろりと見た。
「ゲームのキャラよ?」
「でも、あいつ顔いいし」
「祐介」
「ん?」
「これ、だいたいあんたのせいだから」
祐介は黙った。
その頃、月下の庭園。
ロムルスはいつもの椅子に座っていた。
指先が、静かに木のテーブルを叩く。
風が薔薇を揺らした。
「……あの夜」
彼は月を見上げる。
「君は、どこから私を見ていたのだろう」
ウルスラがため息をついた。
「また始まりました」
了
ここまで読んでくださってありがとうございます。
もし推しの攻略対象が突然仕事を放棄したら、たぶん私も返金を求めます。
少しでも面白かったら、感想や評価をいただけると嬉しいです。




