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テンシ  作者: 白龍
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忘却

最早この禍々しい世界も、すっかり日常へと定着していた。


人間の心を示す世界、そこに集う悪魔、天使の力を与える人形に、天使となって戦う自分。

それらを[常識]の一括りにし、疲労した体でも出向いていく。

これは、夜雨にとって義務なのだから。


また誰かのシルエットが揺らめいている。

街のど真ん中、悪魔が近づいているにも関わらず、何事も起きていないかのように突っ立っている。

絶対に自分は守られる。そんな自信すら見えてくるようだ。


そしておめでたい事に、天使は本当に、絶対たる救済の意志を持っていた。


建物の壁を蹴り、悪魔へと飛び込む一つの白い光。

そして、ベンチに腰掛けてそれを見上げるレイ。やはりというか、クッキーを食べている。

「早く悪魔をやっつけてよー!もうお菓子がなくなっちゃうー!」

拳を振り上げて不満げに声を上げるレイ。

我儘に過ぎないが、どこか夜雨を和ませようとしているようにも聞こえる。

が、今は戦闘中…和んでる場合ではない。

レイもレイで、つくづく不器用だった。

「食べ過ぎなんだよレイは!」

夜雨が、声のトーンを高くして笑う。

剣が目の前の虎型悪魔を切り裂く。

頭部を切り裂かれた虎型悪魔は、その歪な瞳で夜雨を見上げた。

その目は…人間と同じ形をしている。彼らが人間の悪意から誕生している名残だ。

爪を振るって反撃を仕掛ける悪魔。

夜雨は咄嗟に下がりつつ、その爪に剣を叩き込む。

…予想以上の硬度の爪だ。この攻撃をくらえば、天使の力で補強された身体でも危険だろう。

その上、素早いと来た。悪魔は時々唸り声をあげて夜雨の恐怖心を煽りつつ、攻撃を繰り返す。

「くっ…」

足元に散っている瓦礫が絶妙に邪魔だ。そのくせ、悪魔はそれらを完璧にかわしつつ、爪を振るう。

と、今度は噛みつき攻撃が飛んできた!悪魔の鋭い牙が、夜雨に襲い来る。

「うわっ!」

咄嗟に屈み、何とか回避した。

この殺意…今までの悪魔以上のものだ。

レイはクッキーを落としそうになりながら、夜雨を応援する。

「ちょ、ちょっと!?負けないでよ!?」

「分かってる…!」

…やはり、疲労していた。

いつも以上に、体の反応が遅いのが分かる。心世界のモチベーションを持ってすれば、こんな疲労などどうにでもなると考えていた。

それは、若さ故の甘い考えだったようだ。

咄嗟に、悪魔の背中へ剣を叩き込むが、力が足りない…。

「ううっ…!嘘でしょ…」

剣は少し皮膚にめり込んだだけで、すぐに再生されてしまう。

近接を得意とするであろうこの悪魔…やはり、有効打となるのは…。


…夜雨は、背中の弓矢を取り出し、隙を見て辺りを見渡す。

見上げれば、遠方に手ごろな低い建物が見えた。あそこまで辿り着き、飛び乗れば、高い位置なら悪魔を攻撃できるだろう。

(ちょっと遠いな…でも、安全に戦うにはあそこしかない…!)

飛び込むように、夜雨は駆け出した。

悪魔はすぐ後ろから走って追いかけてくる。夜雨は天使の力を足に集中し、とにかく前へ、前へと突き進んでいく。

体が痺れるような疲労感が付きまとうが、今は命がかかってるのだ。そのプレッシャーだけが、体を突き動かす。

そう、自分の命、そして被害者の命…。

横目で、あの影をちらりと見やった。



やがて、建物が近づいてくる。

後はあそこの屋上へと飛翔し、弓を構えるだけだ。

この悪魔には羽がない。恐らく登ってくる事はないだろう。


夜雨が足を力を込めたその時!


「ま、まって!!」


頭の中に声が響く。

レイの声だ。彼女の意識へと語りかけているらしい。

ここは心世界。人間の心にリンクする事が可能なのだ。意識内に語りかける事も、造作な事。

レイの声は、何やら焦りを見せている。

「その建物の屋上…そこ、悪魔が仕掛けた罠がある!踏んだら爆発するよ!」

一瞬立ち止まり、建物の屋上を見上げて確認する。

「…まじか」

危うく罠にかかるところだった。

いや、既にかかっていたようなものだった…。


背後から飛びかかってきた悪魔の爪が、夜雨に襲いかかる!

「あっ!」

直撃する前に回避を試みたが、腕を切りつけられてしまう。

流れ出る血が、彼女の焦りを加速させる。

痛みは、遅れてやってきた。

痛みというより、熱。



「うっ…!」

更なるもう一撃が、視界の前を閃光のように通り過ぎる。夜雨は急いで来た道を戻り、瓦礫をかわしながら悪魔も避け続ける。

「夜雨!私のもとに戻って!テレパシーじゃあなたの状況の全貌が分からない!」

「わ、分かってるけど…」

夜雨は、眉をひそめた。


…前方から、更なる悪魔たちがこちらに向かってくるのだ。

同じ虎型悪魔だが、五体も肩を並べて駆け出してきている。

背後と正面…挟み撃ちを食らっていた。

彼女は今や、蜘蛛の巣にかかった事にすら気付いていない無垢な蝶…繊細で壊れやすい蝶だ。

そう、繊細で壊れやすい…。なのに美しくあり続けようとする…。




…その時。



「…っ!?」

夜雨は、息を呑む。

突如、一体の悪魔が首から血を噴き出し、倒れたのだ。

一体が倒れた事でやつらの陣形は乱れ、攻撃に隙ができる。

すかさず、夜雨は彼らをかわしてみせた。悪魔達はぶつかりあい、瓦礫の上へと身を叩きつけていく。


何かを感じ、空中へ視線を向ける夜雨。


「はあ。また来たのですか…」


赤い光の下…黒いシルエットが、冷たくこちらを見下ろしていた。


特徴的すぎる白い仮面。

以前のあの男だ。


彼は、夜雨が声をかけるより前に急降下、残る五体の悪魔へ突撃する。

右手にナイフ、左手にライフル銃。

はじめに向かってきた悪魔の眉間へ銃撃し、早くも二体目を倒してしまう。

地上へ足がつくなり、他の個体の爪が、振り下ろされる。夜雨の剣を弾く威力の爪。

男はそれに真正面から対処する事はなく…悪魔の腕へ、蹴りを打ち込んだ!

腕が動き、爪の角度もズレる。

「…ここだ」

男は、悪魔の爪へナイフを突き出す!

どうやら苦手な角度を突けたらしい。悪魔の爪はあの硬度が嘘のようにひび割れ…粉々に砕ける。

間髪入れず、男は悪魔の胸元へライフルを突きつけ、発砲。

やはり、呆気なく倒してしまう。

仲間がやられ、怒り狂った他の悪魔達が一斉に飛びかかり、男の頭上を巨体で覆う。

「…そろそろ終わらせましょう!」

男はポケットから、何かを取り出し、足元へ転がし…その場から離れる。

悪魔達が一斉に降りかかり、地面をヒビ割らせながら、今の今まで男が立っていた場所を見下ろす。




…そこに転がっていたのは、手榴弾。




爆発音と共に、悪魔達は吹き飛ばされる!!





「…これくらいで死ぬ連中ではありませんよね!」

地面に転がった悪魔達に、男は猛速度で発砲、一体一体…全員の眉間を撃ち抜き、あっという間に全滅させてしまった。

「…」

自分とは比較にならない程にスムーズな悪魔狩りに、夜雨は言葉が出なかった。




男と夜雨は…レイが座ってるベンチへと戻って来る。

レイは頬に両手を寄せながら、まず夜雨へ声をかけた。 

「私がついていながらごめんね…。もう少しで夜雨がやられるところだった…」

「いや…私も大きく動きすぎたよ。こちらこそごめんなさい、レイ」

レイは人形であるが故に、歩行に慣れておらず、そこら中を動き回ればかえって夜雨の足手まといになってしまう。

それ故、夜雨が広範囲を動いてしまえばレイのサポートが遅れる事があるのだ。これからは更に戦い方を考える必要がありそうだった。

夜雨に軽く頭を下げたレイは…男へ目を向けた。

「…で、あんたは何者なの」

声のトーンが低くなる。

この男…今回は夜雨を助けてくれたが、やはり信用できない。

そもそも仮面をつけている時点で何かを隠している。この世界の中でも特段異質なその存在感…信頼には値しない。

「あまり多くは明かせません。ですが、貴方がたの味方…という事だけははっきりさせておきましょう」

「味方ぁ?じゃあ何でその仮面を外さないのよ!あ、分かった。相当ブッサイクなんでしょあんた?」

指をさして大人げなく煽り散らすレイ。

男はポケットから何かを取り出す。


…飴玉だった。

「お人形さん。これ、あなたのポケットから落ちましたよ。もっと真っ直ぐお座りなさい」

「あー…」

お菓子を前に、態度が緩むレイ…。


…うるさいのが黙ったとばかりに、男は夜雨に向き直る。

「さて。お嬢さん。また一つ、警告しておきます…。もう悪魔と戦うのはおやめなさい」

「…嫌だ」

理由を聞くより前に、拒否の意を示す夜雨。

男の仮面から、ため息が漏れ出した。


「…さっきの悪魔。あれを十秒以内に倒せない時点で、あなたに天使は向いてません。普通の人間に戻りなさい」

「…普通の人間に?」

嫌だ、嫌だ、嫌だ。

脳が、一気に退化したような気分だ。


この力を手放せば、悪魔を倒し、人々を救済する事を諦めたら…。

誰が人々を悪魔の手から守る?

自分の死を恐れるまま、唯一の戦士が剣を置けば、もっと酷い事が起きる…。それは、火を見るより明らかだ。


…何より。


強い自分を手放せば…自分の存在価値は…。



嫌だ、嫌だ、嫌だ。



言葉を失い、ただ顔を強張らせる夜雨に、悪魔は二度目のため息をつく。

「あのですね。あなた、そもそもどうして…称賛すらされない中、自分の命を懸けてまで人々を助けるのですか」

「それは!!私がやらないといけないから!レイが私の前に現れた時…私は天使の力を授かったから…人を救う力を与えられたから!それだけなんです!…私が好きでやってるとか、そういうのじゃない!これは、神様から与えられた私の運命…義務なんです!」

「ほう…義務ですか。極端な言い方をしますが、神から強制されている、とでも言いたいのですか。…その割に、悪魔を倒した後のあなたは…えらく誇らしげでしたが」


…この男は、以前から夜雨の戦いを見ていたのだろう。何もかもお見通し、という事だった。

夜雨は、自分作りの一環として、この悪魔狩りに身を投じているのだ。

勿論、人を助けたい気持ちもある。だがそれ以上に、人々を助ける自分に、酔いしれている…。


…どんどん追い詰められている事に気付きながらも、夜雨はまた口を開こうとした。

が、男は…ナイフをある方向へと向ける。



…被害者の影が、彼らのすぐ横で揺らめいていた。


「…今回のあの影。あれは…あなたにトラウマを植え付けた、あの男なんですよ?」














「…夜雨?」





絶句した。


血を流した腕、瓦礫に引っかかりそうになりながらも必死に動かした足、悪魔の爪への恐怖で震えていた瞳。


何もかも、人を助ける為に蒙った不快感。


それが…あの、あの人間の為だったというのか?



自分を汚そうと目論んだ、あの人間。

…今まで見てきた中でも最低の部類に入るであろう、私欲のままに初対面の相手と戯れようとするあの人間。

夜雨の心にトラウマを植え付けた、あの…。



また、吐き気がこみ上げてくる。

あの記憶の、存在しない続きすらも、脳内に浮かび上がってきた。


「…夜雨?」

「つくづく…人間とは愚かなものです」

男は呆れたように視線をそらしたようだった。

胸を押さえ、必死に息を整えようとする夜雨。

何か他の事を考えて気を紛らわそうとするが、あいにく彼女の人生のほとんどは、荒れ果てた記憶で構成されている。

レイは夜雨を心配そうに見上げつつも、直後に男へ鋭い視線を突き出す。

「…あんたに夜雨の何が分かるの?この子はね、今まで本当に酷い目に遭ってきたの。それでも諦めずに生きて生きて…今は、こうやって人々を陰ながら助ける事に生き甲斐を覚えてるの」

「それで、自分を穢した人間すらも助けて…結局、更なるどん底へと落とされる…ですか」

しゃがみ込み、頭を抱える夜雨。

自身の髪を千切らんばかりに、指先に力がこもっている。レイはいてもたってもいられないとばかりにベンチから降り、夜雨へ駆け寄ろうとしたが…人形の足ではやはりつっかえる。夜雨の足元で転ぶレイ。

男からしてみれば、二人ともあまりにも無様なものだった。見ていられないとばかりに、彼は背を向けた。


「くどいようですが、私の事は多く語れませんし、諸事情ではっきりした事は申せません。そして…結局、あなたの事はあなた自身が決めるべき。どんな道をゆこうが、阻む事は致しません。しかし、再度警告を」

彼は最後に、ちらりとこちらを見た。

白い仮面が、赤黒い空の光に照らされる。


「いい加減、泣きなさい」


…瞬きの間に、男の姿は消えていた。

まるで、はじめからそこに何もいなかったかのように。



「…夜雨…」

レイはただただ、夜雨の名前を呟くしかなかった。



泣きなさい?



無茶な話だ。




なぜならば。





「…涙って…どうすれば流れるんだっけ?」


夜雨の目は、黒く染まっていた。




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