仮面
赤黒い空が広がる、まさしく暗黒の世界。
荒廃した都市を駆け抜ける、白い光。
それを追いかける無数の黒い影。
夜雨は、レイを抱えながら悪魔と激突していた。
建物から建物へと飛び移り、時々矢を放って悪魔を仕留めていく。
天使の力で研ぎ澄まされた動体視力は、悪魔の眉間を容易に捉え、そして射抜く。
矢が突き刺さるなり、悪魔の体は黒い粒子へと分解され、大気へと消えていく。
天使の矢は無限に生成される。少し外しても気にする事はない。
加えて悪魔たちは、槍を振るう知性こそあるが、建物を登るような脳は無いらしい。
壁を無意味につつきながら、高い声を上げて夜雨を見上げるばかり。
案外、余裕かもしれない。
「ひゅーっ!流石は夜雨!」
レイは片手を振り上げて無邪気に笑う。
それに応えるように、夜雨も微笑んでみせた。
やはりこの世界では、笑える。
自分の手の動きが、目の動きが、一人の人間を助ける道筋を作っている。
それだけで十分だ。
自分にできる事…その一文を、呪文のように脳内に再生し続けていた。
最後の悪魔に、狙いを定める。
「…終わりっ!」
やはり、眉間を射抜いた。
悪魔は消滅し、騒がしかった空間に静寂が戻ってきた。
空は禍々しく、文明の跡地とでも呼ぶべき廃れた建物達が、少女を見下ろす。
人間の世界よりも、ずっとずっと、居心地が良い。
…だが、悪魔を倒してしまった。
このまま待ち続ければ、彼女の意識は知らぬ間に途絶え、目を覚ませば現実へと戻される。
ふと、地上を見る。
「…よかった。傷一つ、ついてない」
黒いシルエット…後藤の影。
無機質に揺らめくその影に、一匹たりとも悪魔を近づけなかった。
任務をこなした衛兵のような充実感が、夜雨の心を潤す。
…が、少し沁みる気がした。
こんな事をしても結局、自分は弱い人間…また人間として、あの世界でやっていかなくては。
腕の中のレイは、早速空中からお菓子を召喚していた。
今回は…マカロンだ。
「やったぁー!いただきまー…」
「お嬢さん」
…男の声。
夜雨の心臓が飛び跳ね、剣を構える。
背後から聞こえたその声は、中年男性のような低い響きだった。
この世界に関する知識が豊富なレイも目を丸めていた。
予想外の何かが来る…。
…背後、及び背後の建物の屋上から、黒い影がこちらを見下ろしている。
「あ、あなたは…!?」
剣を持つ手は、震えている。
悪魔を追い払い、浮かれていたのかもしれない。突如現れた未知の存在に対する恐怖は、大袈裟ですらあった。
その男は…頭にシルクハットを被り、黒いマントを羽織っている。
真っ白で、不気味な笑顔を見せた仮面をつけており、不穏な印象を第一に受ける。
「まあ、そう警戒なさらずに」
男は両手を広げ、武器を持っていない事を示すと、こちらに向かって落ちてきた。
マントが風になびき、美しく背筋を伸ばしたまま…。
二人の前で、着地した。
かなり背が高い…。
それに、異様に手足が細長く見える。
少なくともこの世界にいる時点で、ただの人間ではないだろう。
レイはマカロンを握りしめたまま、目を吊り上げた。
「…夜雨に何かしようっての!?アタシが許さないよ!」
腕の中でばたつくレイに、男の仮面が向けられる。
…何とも不気味な仮面だ。
目も鼻も口も、漆黒のみで描かれている。
レイはピタリと止まり、笑ったままガクガクと震えだした。
「す、すんませんでした…」
男は…夜雨の前で、シルクハットを脱ぐ。
「突然驚かせてすみませんでした、お嬢さん。私はこの世界の住人…。今宵は、貴女に警告をしに参りました」
「け、警告…?」
夜雨は、剣を地につける。
悪魔ではないのだろうか…?
男は、黒く、短い髪の毛を、生暖かい風に投じ、僅かに揺らしていた。
警告など、今更何を言う事があるのだろうか。それも、見ず知らずのこの男に。
「あなたを覆う穢れが、じきに限界に達します」
それだけ…彼は淡々と言った。
仮面をしているので、どんな表情をしているのかも分からない。この抽象的な警告も、果たして夜雨をからかっているだけなのか否か。
どこか気まずい沈黙が、二人の間を通り抜けた。
「…穢れ?」
レイが男に指をさす。
「いきなり出てきて、いきなり穢れがどうこう、だなんて。あんた、怪しすぎるわ。せめてその仮面とれば?帽子脱いでも仮面したままじゃ失礼よ!」
「諸事情により、外せません」
男は背中を向け、マントを翻す。
「お嬢さん」
彼は、ほんの少しだけこちらを振り返る。
まるで、最後の警告であるかのように。
「多くは語れません。ですが…あなた、泣いたほうが良いですよ」
そんな事を言われたのは、はじめてだった。
結局、レイばかりが返事をしていただけで、夜雨は一切言葉を発せなかった。
「ま、まって…」
答えてくれそうにもない彼の正体を聞こうとした時…もう、姿は消えていた。
「…なんなのあいつ?」
レイの声にあるのは、怒りではない。
ただただ純粋な、疑問だった。




