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テンシ  作者: 白龍
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日常

日之影夜雨(ひのかげよさめ)の人生は、いつもそうだった。


耳を傾けずとも分かる。

周りが、自身を貶していると。


最早、顔を見ずとも、声を聞かずとも、分かるようになってしまった。


周りにいる人間の人数。


言い出しっぺは、決まってクラスでも強い人間だ。そこから伝染するように、取り巻きに言い伝わり、彼らもまた、機械のごとく心ない言葉を吐いていく。

「毎日毎日学校来てて、楽しいのかね?」

「しーっ!そんな事言ったら来なくなるでしょ!そしたらつまんないって!」

数人の女子生徒…いつも見る顔だ。


はじめこそ、[弄り]の範囲だった。

控えめで、出来る限り人の想いに応えたい夜雨は、いつも笑顔で受け流していた。

やめてよ、と口では言いつつも、笑う。


嫌な反応をすれば…相手が傷つくと思っていたから。そして、人を傷つけるのは最低な事だと、学んできたから。

今は亡き母親から、幼少期から教え込まれてきた。

まるで、プログラムのように。



母親は、突如病に倒れ、そのまま命を落とした。

小学校生活は、父と二人で生きてきた。


父は、夜雨にとっては唯一の家族。

勿論彼だって、絶対に傷つけてはいけない対象の内。ほんの掠り傷一つでも心に負わせれば、人間失格なのだ。


一方父はと言うと…。

「遅えぞクソ娘が!!俺は仕事で疲れてるんだ!!テメエが家事をしねえで誰がやるんだよ!!」


殴られるのは当たり前、時に食器を投げつけられ、片付けさせられ、いつも家事をさせられていた。

散らかった部屋を這いつくばり、片付けながら、夜雨はいつも頭を下げるのだ。

「ごめんなさい」と。


鼻血を拭い、乱れた髪を整える。


幼い頃からずっと、刷り込まれてきた良心。

それが欠けた事など、一瞬たりともなかった。

料理が遅れたのは自分がノロマだから。

テストで点数を取れなかったのは自分が馬鹿だから。

殴られ、収まらない恐怖心のあまり小学校でも控えめになり、友達ができず、やんちゃな男子のいじめにも抵抗しなかったのは、自分が弱かったから。


そして、高校一年の現在。


「邪魔なんだよクソ夜雨」

「あっ…ごめん」

端正な顔立ち、髪を見事な金髪に染めた、スクールカースト上位の女子生徒、結月。彼女に肩をぶつけられ、廊下の壁に体をぶつける。

痩せ細った体は、それだけで軋む。

そこから追い打ちをかけるように、周りのクラスメートの笑い声が夜雨を囲む。



教室でもそうだ。

夜雨は、今日も教科書を無くした。


「日之影、また教科書無くしたのか…どんくさいやつだな」

「す、すみません…」

授業前、教卓で眼鏡を拭きながら、視線を合わずに、かつ面倒そうに話す男性教師…後藤。

夜雨は彼にいつも頭を下げている。

「あ、あの…もしかしたら、誰かが間違えて私の教科書を…」

夜雨は分かっていた。


以前教科書を無くした時…これから体育の授業へ向かう際に、彼女は目撃したのだ。

自身の鞄から、一人の女子が教科書を抜き取った犯行現場を。


勿論、止められる勇気はなかった。少しでも口答えをすれば、結月に告げ口をされ、更に事態が悪化する。

友人もいない彼女が頼れるのは、後藤だけ…。


「またお前はそうやって…人のせいにするのか?いい加減にしろ」

後藤は、一際深いため息をつくと、ようやく目を合わせる。だがその目は、決して温かいものではない。感情を捨てたような、冷ややかな視線そのもの、邪悪なものに向けられるような…そんな目。

「良いか。この陽世(ようせ)高等学校はな。都内でもいじめゼロである事で知られてるんだ。お前は、自分の不注意一つで…学校の評判を落とす気か?今はSNSも復旧した時代だ。少しの情報が、一気に広まるんだぞ」

「す、すみません…!」

先程以上の勢いで頭を下げる。


そう。確かに陽世高校は、いじめがない事で有名な学校だ。

だが、世のイメージなど所詮まやかしである事がほとんど。むしろこの歴史ある高貴な学校のイメージを盾にすれば、夜雨をいじめる絶好の機会がいくらでも生まれるのだ。

「もー、夜雨はドジなんだから〜」

机に肘をつきながら笑う結月。

だが、その目は笑っていなかった。

言われなくても分かる。


彼女は言っている。

(チクろうとしやがったな?)

結月の笑顔の横に、彼女の背後側に曲げられた親指がこっそりと添えられる。

後で校舎裏に来い…お決まりの合図だ。



退屈な授業を終えたばかりの放課後。

後ろ指を差されるような重苦しい廊下。


「…」

無意味に笑顔を作りながら、夜雨は校舎裏へ向かった。





校舎裏では…。


校舎の壁に背を預けた結月と、取り巻き二人が待っていた。

ここで目を合わせる必要がある。

以前目を逸らした際には、より結月の機嫌を悪くしてしまう結果に至った。

少しでも被害を抑えるように、夜雨は上手く立ち回る。

「ご、ごめんなさい…待たせてしまって」

ごめんなさい、この謝罪もまた、結月のご機嫌取りだ。

こういう時に敬語を崩すのも、アウトなのだ。

結月は地面に置いていた鞄を持ち、肩に提げ、夜雨に顔を近づけた。香水の匂いが鼻腔を突き、脳に余計な感覚を与える。

「おい、テメエよお、後藤にチクろうとしただろ?」

「…ごめんなさい」

小さな声で、呟くように謝罪する夜雨。

その両腕に、取り巻き二人が掴みかかる。

驚きはしない。

ただ、耐える。それが今の夜雨にできる、せめてもの[抵抗]。

結月は地面に軽く靴を擦りつける。靴先には、芝生の隙間から滲み出た泥が塗りつけられていた。まるで、毒のように。

「こんな事で時間使わせんなよな。飼い犬の分際でよ!!」


痛々しい音が響く。

夜雨の腹に、蹴りが炸裂した。

「うっ…」

まともに鳩尾に入った。体の内側から、何かがこみ上げてくる。

このところ、胃が荒れていた。

弱りきった体にとっては、結月の細い足から来る衝撃も、重りの直撃に近い。

「ほらよ、オマケだクソ女♪」

今度は、鞄が頭部に叩きつけられた。

喉にこみ上げてきたものを抑え込もうとしていた脳が揺らぶられ、何かが限界に達する。



「ぁっ…あ…ぐっ!!おあ゛っ…え゛え゛っ…!」

自然と口が開く。


「うーわ、きったねえ。クソ女って言った矢先にこれかよ」


芝生の上に掃き散らされる、淀みきった吐瀉物。両手を地につけ、唾液が垂れ落ちる。

それでも、涙は堪える。もしここで泣けば、また心ない言葉の雨を降らされる。

結月と取り巻きは満足げに背をつけ、世間話を始めた。何事もなかったかのように、日常を謳歌している。




「…汚しちゃった。先生に言わないと。…何て言おう?」

…[学校の時間]は終えた。


そう、学校は。






その日はただでさえ遅くなったにも関わらず、結月の呼び出しを食らい、すっかり夕方になってしまっていた。

こうなれば、最早逃れる事はできない。


自宅の玄関前。


自分の家の玄関だというのに、まるで地獄の門を開くかのような、底知れない緊張感。

これから降りかかるであろう怒号に、鼓膜が備える。



「…帰りました」

ドアを、開ける。



廊下の奥から、何か聞こえてくる。

激しい足音。その音の大きさ、歩幅…これはかなり[お怒り]だ。


「お前ぇ!!!!」

現れたのは…父だった。

顔には皺、眼鏡の向こう側の目は血走り、怒りに満ちている。

夜雨の心臓が、ビクリと震えた。

「遅えんだよ!!俺の飯をとっとと作れバカ娘が!!」

先程結月に殴られた箇所へ、平手打ちが飛んでくる。その勢いは、体を大きく傾けさせる程だった。


「…ごめんなさい」

視線を逸らしたまま、彼女はただ謝る。父親は怒りが収まらず、拳を握りながら早口で語りだす。

「テメエはいつもそれだな…!俺は仕事で疲れて帰ってきてるんだぞ!!テメエみてえな役立たずを家にいさせてやってるだけでも感謝してほしいくらいだ!!」

彼は壁に拳を叩き込み、夜雨を威圧する。


それからは、あえて沈黙を与えた。

夜雨は肩を震わせる。


父は、何を待ってるのか?

また謝罪?それとも自身が遅れて帰ってきた理由?それとも両方だろうか。

だがそれらを言えば、逆に逆鱗に触れるのではないか。

今ですら、父を怒らせ、傷つけている。

もし選択を誤れば…更に彼を傷つける。


「何とか言えクソったれ!!」

玄関に立ちっぱなしの夜雨に、父はついに蹴りを入れた。

ドアに叩きつけられる夜雨。

瞳が震え…そして止まる。


父は背中を向け、少しずれた眼鏡を整えながら、両手を脱力させる。怒りを吐き出したせいか、少しばかり落ち着きを見せ始めた。

「あーあ…。千世のやつが生きてくれたらな。やつもとんでもないもんを残しやがって。産まなきゃ良かったぜ」

千世…母の名に、夜雨はまた、瞳を震わせた。




ぶっきらぼうな態度を取りながら、テーブルに座り、適当なバラエティ番組を観ながら煙草を吸う父。

夜雨は、味噌汁と焼き魚をこしらえたところだった。

「質素で…ごめんなさい」

父は最早ぶつける怒りも無くしたようで、何も言葉を返さず、代わりに煙草を灰皿に擦り付けた。


正直、ホッとした。


(今日も、乗り越えた)

階段を上り、自室へと向かう。




ここは自宅だ。

そして、戦場だ。


昔からのいじめで、彼女の心の堤防はあまりにも高く、聳え立っていた。

この程度では、涙は流さない。

あるいは、もう流す涙も残っていないのだ。


廊下を歩み、自室のドアの前に立つ。

何の飾り気もない、先程こしらえた料理と同じくらいに、質素なドア。

…彼女にとっては、ようやく一人になれる、楽園のドア。


少なくとも、普通の日常においては。



ドアが開く。





「おかえり、夜雨♪」


「…もう来てたの?レイ」



桃色の可愛らしいベッドの上。


そこには、小さな人形が座っていた。


長い灰色の髪、青い瞳、青いドレス。

頭には大きな桃色のリボン、そして…髪にも無数の小さな青いリボンがついている。


彼女こそ、夜雨の秘密の小さな友人。


そして、秘密を知る人物でもあった。






「夜雨、戦いの時間だよっ♪」



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