エルメリストの街に沈む夕暮れ
お読みいただきありがとうございます。
今回は、コルヴィアンたちが初めてエルメリストの街に足を踏み入れる場面です。
街の夕暮れと、少し不穏な空気を感じていただけたら嬉しいです。
橙色の光が空を染め、夜の訪れを告げていた。
二つの山の間には、馬車や人々が行き交い、街へと向かう細い道が続いている。
(これが父の言っていたことか……本当に体つきの違う人間が多い) 青年は心の中でそう呟きながら、人々の姿を食い入るように見つめていた。
「ねえ! 初めて街に来たのは分かるけど、馬に乗る時は油断しないでよ」 少女は少し強い口調で言った。
「大丈夫だ。ちゃんと列に合わせて、ゆっくり進んでいる」 青年は静かに答える。
白い小さな狐が目を覚まし、周囲を見回すと、すでに馬車や人々に囲まれていた。
「ルーシー、驚いたか? 人混みの中で目が覚めたんだもんな」 青年は微笑み、狐が飛び降りないように優しく撫でた。
「……あ、そうだ」 青年は首を少し傾ける。
「ん……?」 少女は顔を上げ、会話の流れを掴もうとする。
「俺の名前はコルヴィアン。呼びやすいように、君の名前も教えてくれないか」 青年は穏やかに尋ねた。
少女はしばらく黙り込み、どこかで嗅いだ白く甘い花の香りを思い出す。
「……メラティと呼んで」 少女は気だるげに言った。
「メラティか。いい名前だ」 青年は薄く微笑む。
少女は手で口を覆いながら欠伸をする。 「まだ着かないの、コルヴィアン?」
青年は前方を覗き込み、馬車の隙間を見る。 「もうすぐ門が見えると思う」
「早く馬から降りたい……なんだかお腹も空いたし」
青年は体を横に傾け、鞄の中を確認すると、パンを差し出した。 「これでも食べて、空腹を紛らわせてくれ」
少女はパンを受け取り、黙って食べ始める。 「……どうしてそんなに優しいの? 私はあなたの奴隷なのに」 その声は、次第に小さくなっていった。
青年は空を見上げる。 「最初から言ってるだろ。君は物じゃない。仲間だ」
「……信用できない」 少女はパンを噛みながら、少し強めの口調で言う。
「じゃあ、どうして聞いた?」 青年も思わず声を荒げる。
「……ただ、気になっただけ」
青年は一度深く息を吸い、再び前方へ視線を戻した。
白い石灰岩で作られた巨大な門と、長く伸びる安山岩の城壁が、まっすぐに街を覆っていた。
「……立派で、綺麗な門だな」 青年は薄く微笑み、胸の奥に小さな安堵を感じる。
二人がエルメリストの街へ足を踏み入れると、石造りの建物が並び、舗石の道と、その脇に立つ街灯が迎え入れた。
(街の暮らしって、こんな感じなんだな……) 多くの建物が石で造られている光景に、思わず笑みが浮かぶ。
やがて太陽は沈み始め、道沿いの灯りが一つ、また一つと灯され、炎が踊るように街路を照らしていく。
通りは次第に静まり、馬車は道端に止まり、人々は一日の仕事を終えて家路についた。
青年は馬から降り、鞄の中を確認する。 「早くこの石を売らないと……でも、どこで売ればいい?」
馬を引きながら周囲を見回し、売り場を探す。
その足が止まったのは、「Moon Accessories」と書かれた看板の前だった。 「……ここだ。父が言っていた店は」
青年は少女の肩を軽く揺らす。 「メラティ、起きて。石を売りに行ってくる」
少女は重たい瞼を無理やり開く。 「早く行って……もう、すごく疲れてる」
「その間、馬とルーシーを頼む」 青年は鞄を強く握った。
「大丈夫。馬もこの白い狐も、私が見てる」 少女は狐を抱きしめ、狐は少し身をよじらせる。
青年は店へ向かい、扉の取っ手に手をかけた瞬間、胸が高鳴った。 (値段は高いのか……それとも安いのか)
扉を押すと、鈴の音が鳴る。 「いらっしゃいませ」 店員は丁寧に頭を下げた。
青年はガラスケースの中で輝く装飾品に目を奪われ、しばらく立ち尽くす。
店員はわざとらしく咳払いをし、青年は我に返って青い宝石を取り出した。 「この石を売りたいんですが」
店員は小さな管を使って石を確認する。 (間違いない……かなり希少な石だ)
石を置き、鋭い視線で青年を見る。 「この石を、金貨四十枚で買い取りたい」
青年は目を見開いた。 (そんな……父が言ってた通り、これだけで数か月は暮らせる)
「どうされますか?」 店員の声が少し強くなる。
「……はい。お願いします」 青年は微笑んだ。
店員は満足そうに笑い、青年と握手し、二袋の金貨を渡した。
店を出ると、ルーシーが扉の前で待っていた。
「どうした? メラティと一緒じゃないのか」 狐を抱き上げ、馬の元へ向かうと、メラティは眠っていた。
狐を馬の背に乗せ、手綱を引きながら宿を探す。
「もう夜だ……今夜はどこで――」
その時、すぐ目の前に少女の顔が現れた。 「お泊まりの場所をお探しですか?」
青年の心臓が跳ね、思わず睨みつける。
少女は頭を掻き、笑った。 「驚かせてごめんなさい。うちの宿に泊まりませんか? 一泊、夕食と朝食付きで銀貨二十五枚です」
その声でメラティが目を覚ます。 「コルヴィアン、宿は見つかった?」
少女は、左目を隠し鉄の首輪をつけたメラティをじっと見つめる。
「……なに? そんなに見ないで」 メラティは居心地悪そうに言う。
「その青い服、とてもお似合いです」 少女は微笑んだ。
メラティも微笑み返す。 「ありがとう。でも、あなたの服も素敵よ」
「私のは普通です……あなたの方が」 少女は俯く。
二人は小さく笑い合った。
「……すみません、宿の話ですが」 コルヴィアンが割って入る。
少女は額を叩いた。 「そうでした! では、クラウド宿へ案内します」
二階建ての建物の前で、少女は一礼する。 「クラウド宿へようこそ」
「馬は私が厩舎へ連れて行きます」 「お願いします。一日中乗っていたので」
「コルヴィアン、降りるの手伝って」 メラティが睨む。
「私が手伝います」 少女は馬の横に立つ。
メラティは体を傾け、手を取り、ゆっくり降りた。
背後から杖を取り出す。 「ありがとう」
「どうして杖を?」 「右足が……歩けなくなってしまって」
「ごめんなさい」 「大丈夫」
「では、馬を」 少女は手を振る。
「先に行くわ。寒くなってきたから」 メラティは杖をつきながら宿へ入る。
「先にどうぞ。俺は少し外に」 青年は前を見つめたまま言う。
足元にいたルーシーを肩に乗せる。 「ルーシー……この街は綺麗だ。でも、なぜか……始まりは幸せか、それとも苦しみか……そんな声が聞こえる」
青年は微笑み、狐は頬に頭を擦り寄せる。 「くすぐったいぞ」
コルヴィアンはルーシーを肩に乗せたまま、宿へ入っていった。
夜風が強まり、静まり返った街を、何かが見つめているかのようだった。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
エルメリストの街での一夜が、これから物語を大きく動かしていきます。
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