33.鈍感聖女は、初恋の終わりに気づく
エルリック様に返事をした次の朝、私はベッドの上で丸まって、枕をぎゅうっと抱きしめていた。
夕暮れの屋上で並んで見た空の色、雨宿りの軒先で私の肩にそっとマントを重ねてくれた温度、ぎこちない手つきで結んでくれた包帯の白――。
ひとつひとつが胸の奥の柔らかいところに触れて、ゆっくり沈んでいくみたいに痛い。
返事をすると決めたのは私なのに……心だけ置き場所をなくしてしまったみたいだった。
「うぅ~~……」
ごろごろ、ごろごろ。
転がっても何も変わらないのはわかってるのに、転がらずにはいられない。
こん、こん――控えめなノックが、枕の中の世界をたたいた。
「ヒマリ。今、いいか」
勇者様の声。扉越しでもわかる、少し掠れた低さ。
「は、はい」
寝間着のままだし、顔も整っていないし。だから扉は開けられない。
厚い木戸の向こうから慌てた声が届いた。
「今から出かけてくる。――必ず戻る。だから信じて待っててくれ」
「えっ、急ですね……どこへ?」
「今は言えない。戻ったら、ちゃんと話す。……約束する」
足音が廊下へ遠ざかる。
静けさだけが残って、私は布団の端をぎゅっと握りしめた。
――“ちゃんと話す”って、何を。
不安と期待が細い糸みたいに絡まって、胸がざわざわする。
「陽葵、いるー?」
軽いノックと一緒に莉央の声。
私は慌てて顔をこすって、目元をタオルで押さえ、扉を少しだけ開けた。
「散歩いこ。空バチバチに綺麗。朝の風、吸いに行こ〜」
◇◆◇◆◇
お城の空中庭園は朝の光で柔らかく、噴水のきらめきが目を冷ましてくれる。遠くの街並みが薄金色に縁取られて、花の匂いがさやさや揺れた。
莉央は私の正面に回り込み、少しかがんで顔をのぞき込む。
「……んー、眉きゅってなってる。目、ちょい腫れ」
「……エルリック様に、返事をした」
「ふーん」
短い相づち。でも、続きを待ってくれる目が優しい。
「ふーん……で、なんでその顔?」
「だって……その……」
言葉がつっかえる。
「てか陽葵、元の世界でも告白返すのとか割とやってたじゃん?」
「……あれとは、違うの」
「っていうと?」
「相手は違うクラスの人だったり、ほとんど話したことない先輩だったり」
思い出すのは、放課後の教室、昇降口、下駄箱の影、校舎裏――どれも、ふわっと掴めないまま流れていった淡い場面ばかり。
「同じクラスの子もいたっしょ?」
「いたけど……いたけど。それとはね、ちょっと違うというか」
「じゃあ何が“今回だけ”違うわけ?」
胸の真ん中を、風がひと筋なでていく。
“違い”は、積み重ねた時間の重さだ。戦って、笑って、泣いた、同じ焚き火の温度。
「エルリック様は、一緒に旅してくれたんだよ。すごく親切で、いつも優しくて……。私なんかが断って、本当に良かったのかなって」
「それさ、“申し訳ない”を恋の天秤に乗せてるだけなんよ」
莉央は肩をすくめ、指先で私のおでこをコツンとつついた。
「陽葵が“恋する気持ち”を知っちゃったから、だよ。だから相手の気持ちまで抱えちゃう。優しいのはガチ褒めだけど、恋の主役は自分でいいの。ここ大事ね?」
胸の奥に、ぽん、と小さな音が落ちる。
――莉央の言うとおり、かもしれない。
「よし、じゃ勇者サマに告っちゃお。ガチで」
「でも、そんな……」
「世の常は早い者勝ち。もたもたしてると取られるやつ〜。半分冗談、半分本気ね」
「勇者様に、告白……?」
私が小さく繰り返した、その言葉に重なるみたいに、足音が近づいた。
「お二人とも、朝の空気は気持ちいいですね」
少し離れて控えていたセリーナが、ことんと籠を置いて一歩進み出る。
ふわりと香るお茶の湯気が、朝の光に溶けた。
「温かいお茶、どうぞ。……ところで、“勇者様”といえば――ご存じですか? エリシア様とご婚約が決まりましたよ」
「え?」
「はい?」
私と莉央の声が重なった。
セリーナは首をかしげ、無邪気な笑みのまま続ける。
「今朝、城内で発表がありましたけど……ご存じないんですか?」
「ちょ、ちょっと待って。それ初耳なんだけど」
喉の奥で何かがきゅっと縮む。
――さっきの「戻ったら、ちゃんと話す」って、もしかしてこのこと……?
「そうなると、勇者様とヒマリ様の“仮結婚”も、これにてお役目終了ですねぇ」
足元の石が、少し沈んだ気がした。
支えにしていた板が、音もなく外れていくみたいに。
「勇者様はヒマリ様と仮のご夫婦だったのに、結局エリシア様を選ばれたんですねぇ。誠実じゃないというか……」
「おまえさ、ちょっと黙れ」
莉央の声が低く鋭くなる。
「絶対誤解だって。勇者、陽葵のこと本気だったの、あーしには見えてたし!」
「ううん、ちがうの」
やっと声が出た。
自分でも驚くくらい、まっすぐに。
「勇者様は最初から、エリシア様のことを――」
そこまで言って、胸の中の糸がぷつんと切れた。
――私の願い通り。勇者様とエリシア様、お似合い。ずっと、そう信じて、そう願ってきたのに。
なのに、どうして――涙が出るの。
「陽葵、泣いていいよ……ここ、あーしの肩あるから」
莉央の手が、そっと背中に触れた。
ぽたり、と一滴。止まらなくなる。
ああ、終わっちゃったんだ。私の初恋。
初恋だって気づくの、遅すぎた。気づいたときには、もう伝える場所がどこにもなかった。
旅のあいだ、私は自分の胸に静かに蓋をしていた。
“勇者様はエリシア様が好き”――そう思い込むことで、見えないふりをして、応援して。
最初から言えてたら。……ううん、せめて告白だけでも。
でもそれは勇者様を困らせるだけかもしれない。だから、これでよかったんだ。きっと。
ごめんね、私の初恋。こんな形で終わらせちゃって。次はちゃんと頑張るから。だから――。
「でも不誠実ですよねぇ、勇者様って。別の方を選んだほうが、ヒマリ様だって――」
「だから黙れって言ってんの。空気読めないの?」
莉央の一喝に、セリーナの瞳が一瞬だけ冷たく光った。
すぐに微笑みが戻り、籠がテーブルへ静かに置かれる。
「失礼しましたぁ。体、冷やさないでくださいね」
控えの位置へ戻る足音が遠のく。
私は顔を上げられない。涙が、まだ止まらない。
朝の風が、耳元の白い花飾りをかすかに揺らしている。
――莉央の手の温かさだけが、私をここに繋ぎ止めてくれていた。
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