29.鈍感聖女は、夜の路地で秘密をのぞく
夜の路地裏。
昼間の復興工事で塗られたばかりのペンキの匂いが、まだ冷たい空気に残っている。
崩れかけた廃屋の前で、私は息をひそめた。
板でふさがれた窓の隙間から、ぼんやりと灯りが漏れている。
「……ここだ」
胸の奥でざわめきを抑え、両手を組む。
「【気配遮断】」
魔法の光に包まれ、存在を消すように気配を薄める。
そろりと近づき、窓の隙間から覗き込む。
そこでは数人の男たちが無言で武器を磨き、槍を並べていた。
声を発さず、目も合わさず、ただ機械のように作業を繰り返している。
背筋がぞくりと冷えた、そのとき――。
「陽葵~」
「ひゃあっ!? ひゃ、ひゃい!?」
耳元に声。全身が跳ねて、魔法が乱れそうになる。
慌てて振り返ると――。
「なになに~? ステルス潜入? かっけー! ……って、バレバレだけどね」
にやにや笑う莉央が立っていた。
「り、莉央!? どうしてここに……!」
「そりゃ親友だもん、気づくに決まってんじゃん? あとさ――」
莉央は肩をすくめて、後ろを指差した。
「ちゃっかり勇者サマも一緒だよーん」
「……おい」
低い声。暗がりから現れた勇者様が、腕を組んで立っていた。
「ゆ、勇者様……!」
「何してんだ、一人で突っ込むなんて」
真剣な声に胸がぎゅっとなる。
莉央は隣でくすくす笑った。
「ねぇ見た? 勇者サマの顔。完全に“彼女を追っかけてきちゃいました”ってやつじゃん」
「ばっ、誰がだ! 違う!」
勇者様が真っ赤になって否定する。
「ふふん。陽葵も顔まっかー。いいねいいね、青春してるね!」
「も、もう……! 二人ともふざけてないで!」
声をひそめつつ必死に制したけれど、心臓はもっと大きな音を立てていた。
◇◆◇◆◇
中をのぞいた瞬間、息が止まった。
机の上に、剣、槍、矢筒、鎧がずらりと並ぶ。
人々はそれらを黙々と磨き、束ね、整えている。
……誰一人、声を発さない。
「ひっ……なにこれ、不自然だよね……」
「つーかさ、普通こういうの“おらー次持ってけー”とか掛け声あるっしょ? 全員無言ってホラーでしょ」
「武装蜂起の準備……か。でも、普通の人間の動きじゃねぇな」
表情は虚ろで瞬きも少なく、まるで人形。
私は息をのんだ。
確証なんて、どこにもない。
けれど――この異様な光景は、あの時と同じだ。
「……やっぱり、【魅了魔法】だと思います」
そのとき、奥に銀髪に仮面の男が立っているのを見つけた。
「っ……! あれは……!」
「誘拐事件の黒幕って噂されてた……銀髪に仮面の男!」
「……止めるしかねぇな」
勇者様が剣に手をかけた瞬間、私は思わずその腕をつかんだ。
「……待ってください。私に、試させてください」
声が震える。――本当は、使いたくない。
もし【魅了魔法】だったら……。
魅了を解けば正気には戻る。でも操られていた間の記憶はすべて残る。
自分の意思じゃないのに、大切な人を傷つけたり、裏切るような行動を取ったことを“思い出す”。
それこそが――魅了の本当の怖さだ。
あの街で、ベルサリスに支配されていた人々の顔がよみがえる。
泣きながら自分の手を見つめ、声を枯らして謝り続けて……中には、生きる力すら失ってしまった人もいた。
あの光景を、私は二度と見たくなかった。
だから王城では使えなかった。
けれど今、彼らは武器を並べ、反乱を企てている。
止めなければ、もっと多くの人が傷ついてしまう。
でも……。
唇を噛む。
「もう武器を手にしてる。放っておけません」
勇者様が険しい顔で私を見つめる。
莉央も眉を寄せながら、それでも真剣に頷いた。
二人の視線を受けて、私は胸の奥で大きく息をつく。
「止めるために……やります! 【聖女の祈り(プリエール)】!」
両手を前に差し出すと、周囲に光が満ちる。
眩い光の波が一気に広がり、建物を覆った。
次の瞬間――ざわめきが爆発する。
武器を並べていた兵たちが、揃って顔を押さえ、苦しげに呻き声をあげた。
「う、あ……」「俺は、なにを……?」
それぞれが戸惑いと恐怖をあらわにし、周囲は大混乱に包まれていく。
「……やっぱり」
私は胸を強く締めつけられる。
正気に戻った人たちは、誰ひとり声を掛け合わない。ただ怯え、震えているだけ。
――これが、魅了に操られていた証拠だ。
「陽葵、後ろ!」
莉央の叫びに振り向いた瞬間。
銀色の仮面をつけた男が、混乱のただ中でただひとり、ゆっくりとこちらに顔を向けていた。
その無機質な仮面の奥から、射抜くような視線だけが、まっすぐ私たちに注がれていた。
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