28.鈍感聖女は、“完璧な答え”ほど信じられない
会議室へ向かう回廊は、毎日歩いているはずなのに、今日は足が半歩だけ迷った。
角を曲がった先、壁際の小さな敷石が目に留まる。
石の表面には、道案内用の矢印が彫り込まれていた。
磨かれた盤面の矢印が、いつもよりほんの少しだけ角度を変えている。
まるで、誰かが上から描き直したようだった。
「工事の一環だよね」
口にしてみても、胸のざわつきはおさまらない。
床のモザイクも、柱の並びも、矢印の向きに合わせて少しずつ組み替えられている――そんな気がした。
深呼吸ひとつ。靴音を整えて、重い扉に手をかける。
王城の一室に集まったのは、勇者様と私、莉央、アルバート様、そしてエリシア様。
顔を合わせるだけなら珍しくない。けれど、城の異変を話し合うために全員が腰を据えて集まるなんて、さすがに特別だ。
窓は分厚いカーテンでふさがれ、昼間なのに部屋は薄暗い。重たい空気が肌にまとわりつく。
私は胸の奥に沈んでいたざわめきを、もう押しとどめていられなかった。
「……やっぱり、変です」
気づけば声が出ていた。
「ここ数日の城の空気……人の視線とか、廊下を歩くときの感じとか。みんな笑っているのに、奥で何かに縛られているみたいで」
自分で言葉にすると、あの記憶がよみがえる。
虚ろな目で笑い続ける人々――色欲の魔物ベルサリスに支配されていた街。忘れられるはずがない。
「でしょー!」
莉央がすぐに反応した。
「前に話したときは半信半疑だったけど、やっぱ確信だわ。あの雰囲気、ベルサリスん時にそっくりじゃん」
「……俺も同じことを思った」
勇者様の声は低く、鋭さを帯びていた。
「わたくしもですわ」
エリシア様も頷き、白い手を膝の上で固く組む。
「――いいえ」
静かに遮ったのは、銀髪の第二王子エルリック様だった。
「ベルサリスは、旅の途中で皆で確かに討ちました。あの魔族が再び現れることはありません。誘拐事件の折にも確認したはずです。今さら残っているなど、あり得ないでしょう」
落ち着き払った断言に、空気が揺れる。
アルバート様が「……確かに」と低く頷き、莉央も「んー……そう言われるとそうかも」と肩をすくめる。
勇者様も唇を噛んで黙り込んだ。
「でも……」
私は勇気を出して声を重ねる。
「確かに倒したのはわかっています。けど、この感じも本当なんです。何か……まだ見落としていることがあるんじゃないでしょうか」
その言葉に、勇者様がわずかにこちらを振り向いた。
真剣な眼差しに射抜かれ、心臓が大きく跳ねる。
――その瞬間、別の視線にも気づく。
銀髪の王子、エルリック様。
熱を帯びたまっすぐな眼差しは、まるで答えを迫るようで、あの日の言葉が脳裏に蘇る。
「僕との未来を考えてみるのはどうかな?」
まだ返事をできていない。
胸が一瞬詰まり、鼓動が速くなる。
けれど、自然と目は勇者様の横顔へと吸い寄せられていた。
険しい表情の奥に隠れた、不器用な優しさと真剣さ。
気づけば、胸のざわめきはさらに強くなっていく。
――そのとき、扉が勢いよく開かれた。
真っ青な顔のセリーナが、駆け込んでくる。
「ヒマリ様! 皆様! わたし、聞いてしまったんです!」
息を切らし、必死に声を震わせた。
「城の中で、王家をよく思わない人たちが……怪しい動きをしているって!」
「何だと……?」
勇者様が険しい声を放つ。
「――旧貴族派のことです」
エルリック様が静かに告げる。
「かつて王家が魔王戦争に備えて権力を集中させた折、地位を失った貴族家の末裔たち。表向きは没落しましたが、水面下では反発を続けています。もし今、城に不穏な気配があるとすれば……彼らが原因と考えるのが最も自然でしょう」
「旧貴族派……!」
勇者様が目を細める。
アルバート様も「やりかねんな」と低く呟いた。
エリシア様は顔を青ざめさせ、両手を胸に組む。
「でもさ」
莉央が腕を組み、じろりと殿下を見やった。
「“旧貴族派のせいです”って言い切っちゃうのも早すぎじゃない? ちゃんと証拠見つけてからじゃないと、誰が黒幕かわかんないっしょ」
軽口混じりだけど、芯のある声だった。
空気が一瞬ぴんと張り詰め、私の胸の奥でも同じざわめきが響く。
「ご安心ください」
エルリック様は優雅に一礼した。
「この件は、私が責任を持って調べます。皆さま、どうか余計な心配をなさらずに」
完璧な笑み。優雅な仕草。
勇者様もエリシア様も、少しだけ表情を和らげた。
けれど――私の胸だけは落ち着かなかった。
ベルサリスの時と同じ気配。
魅了は魔族にしか扱えないはず。
なのに、どうして“旧貴族派”という答えに、こんなにもきれいに話がまとまってしまうの……?
「……やっぱり、何かが違う」
ぽそっと漏らした瞬間、セリーナの瞳に冷たい光が走る。……え、いまの、何?
みんながホッとした今だからこそ――この違和感は、忘れないようにしよう。
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