13.第二王子は、聖女に堕ちていく
<第二王子 エルリック目線>
今でも目に焼きついて忘れられない景色がある。
最後の一撃を受けて崩れゆく魔王の姿。
暗く厚い雲の切れ間から日差しが差し込み、世界が蘇る瞬間のように空気が震えた。
その光の中で振り返った彼女――聖女ヒマリ。
白い服が陽光をはじき、柔らかな髪が風に揺れ、微笑みは太陽のように眩しかった。
あの時、確かに思った。
心から美しい。心から欲しい。
――必ず、この手に入れなければならない、と。
◇◆◇◆◇
王城の地下深く、誰も知らぬ実験場。
冷たい石壁に炎の明かりが踊り、鉄の匂いと甘い香が混じっている。
そこにいるのは縛られた魔族、そして数名の侍女たち。
だが侍女の瞳はとろんと潤み、頬を紅潮させ、胸元まで乱れた衣を直そうともしない。
むしろ彼女たちはうっとりと僕に身を寄せ、指先で袖をつまみ、頬をすり寄せようとしていた。
「殿下……どうか、そばにいさせてください」
「あなたのためなら……なんでもします」
「どうか……愛して……」
口々に囁き、潤んだ瞳で見上げてくる。
完全に魅了の魔法に堕ち、心の底から僕を愛していると信じ込んでいるのだ。
その頬を掴み、唇を重ね、そして衣の中に手を伸ばした。
侍女たちは小さく身を震わせながらも、甘い声で応える。
抗いはなく、むしろ熱を帯びた吐息で求めてくる。
「……間違いない。効いている」
僕は既に、欲望のままに侍女たちを弄んだ。
それでも虚しい。
どれほど求められようと、どれほど甘えられようと――僕の心は欠片も満たされない。
「なぜだ……なぜ、あの女には【魅了】の魔法が効かない!」
壁を殴り、怒声が響く。
その様子を見て、鎖に繋がれた魔族が笑った。
「効かぬのか……聖女には」
黒ずんだ皮膚に、額からねじれるように伸びた角。裂けた衣の下からは、骨ばった背に黒い翼がのぞいていた。筋肉は痩せ細りながらも硬く、鎖を引きちぎらんばかりに蠢いている。
「黙れ」
「ふはは……哀れだな。侍女にはこれほど効いているのに」
赤い双眸がぎらりと輝き、鎖の音が冷たく響く。
「……」
歯を食いしばり、拳を握る。
「お前の術で縛れぬのは、あの娘が特別だからだ。聖女ヒマリはお前ごときの力では落ちぬ」
「黙れと言っている!」
鎖を蹴りつけると、鈍い音が地下に響いた。
「だが、魔王様ならば……」
「魔王だと?」
「さらに強大な魅了をお使いになる。復活させれば……お前の願いはすべて叶う」
「くだらん……!」
声を荒げたが……自分でもわかる。わずかな揺らぎが混じっていたのを。
「本当にそうか? 聖女と勇者が寄り添う姿は、戦場にいた我らでさえ知っている。このままでは……お前は彼女を奪えぬ」
脳裏に浮かぶ。
勇者ノイシュの隣で微笑むヒマリ。
その笑顔が、喉を焼くほどに憎らしい。
「……クソッ!」
怒声が地下に響く。拳に走る痛みも、胸を焼く嫉妬の熱を冷ませはしない。
「欲しいのだろう、聖女を」
魔族が笑う。その声音は毒のように甘く、耳にまとわりついた。
「……黙れ」
喉から絞り出した声は低く震えていた。
「いずれ、もっと強大な力に縋ることになる。お前がそれを望もうと望むまいとな」
魔族は口の端を吊り上げ、鎖の音をわずかに鳴らす。
その目は、深淵を覗き込むように冷たい。
「だからこそ――お前は禁忌の術に手を伸ばした。魅了を使ったのだろう?」
「……っ」
言葉が喉に貼り付く。反論できない。
「もはや引き返せまい。聖女の心を奪うために、己で選んだのだ。その時点で、もうお前は――堕ちている」
静かに吐き捨てるその声音が、心臓を握り潰すように響いた。
「……」
沈黙の間を待っていたかのように、魔族は嗤う。
「いずれ、もっと強大な力に縋ることになる。お前がそれを望もうと望むまいとな」
視線が合った瞬間、ぞくりと背筋をなぞるものがあった。
縛られ、血を吐きながらもなお不敵に笑う魔族。
まるで――未来を見透かしているかのようだ。
「僕は第二王子だ。……これ以上愚かしいことに頼るものか」
口にした言葉とは裏腹に、心の奥でひびが入る音がした。
もし、このままでは彼女を手にできないとしたら。
もし、この胸の渇きを潤す術が、あの言葉の先にあるとしたら――。
目を逸らし、侍女の頬を乱暴に押しのけた。
うっとりと見上げる瞳は虚しい。
欲しいのはこんなものじゃない。
◇◆◇◆◇
冷気の漂う地下から、煌びやかな回廊へと足を踏み出す。
まるで別世界のように明るく、人々の笑い声がこだましていた。
ふと前方を見ると、勇者とヒマリが並んで歩いている。
勇者がそっぽを向きながら、ぼそりと呟いた。
「……別に、俺はたいしたこと言ってねぇ」
「ううん。僕には、とっても特別に聞こえましたよ」
ヒマリはふわりと笑う。その微笑みは、無邪気な花のように人の心を和ませる。
僕は穏やかな笑みを浮かべ、二人に歩み寄った。
「……やぁ、ヒマリ嬢。その笑顔を見ると、不思議とこちらまで心が安らぎます。勇者殿は……まことに麗しき隣を得られましたね」
「っ……! べ、別に楽しくなんて……!」勇者は顔を赤くして目を逸らす。
「エルリック様、勇者様って……本当に優しいんです。だから、きっとエリシア姫のことも大事にしてるんだろうなって」
無邪気な一言に、勇者は言葉を詰まらせ、わざとらしく咳払いした。
「……優しさを分かち合える者だけが、あなたの隣に立てるのかもしれませんね」
僕はにこやかに言葉を添える。
だが貼りつけた笑みの裏で、胸の奥では嫉妬が喉を灼き、血が煮えたぎっていた。
父上の命令が甦る。
――どんな手段を使ってでも、聖女を手に入れよ。
その言葉が、耳の奥でこだまのように鳴り続ける。
「どんな手を使ってでも……」
小さく呟いた声は、自分でも気づかぬほど歪んでいた。
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