夜会
夜会が開催される王宮は、キラキラとした服に身を包んだ人たちで溢れかえっていた。皇太子が他国への視察に長らく出掛けていたがついに帰ってきたというので、報告と魔法貴族たちへの顔見せを兼ねた会であった。そのため、普段は夜会に姿を見せないような貴族たちも参加しているようで、心なしかいつもより人が多いようにも思える。
きらびやかな喧騒を眺めつつ、フローレンスは隅で壁に寄りかかっていた。目の前を時折、目当ての男性を見つけた令嬢たちが黄色い歓声を上げながら通り過ぎて行くのをぼんやりと見つめる。
「お父様がまだちゃんといれば、私もあんなふうになれたのかしらね…」
お金や何かのためでなく、純粋に良いと思える人と出会って…結婚して…。夜会会場の中心では、華やかなドレスに身を包んだ令嬢と腕を組みながら談笑に耽っているリチャードの姿が目についた。顔を上げたリチャードと一瞬目が合ったが、すぐに逸らされる。現実なんてこんなものなのだ。
そんなふうに考えていると、突然入口のほうから一際大きな歓声が上がった。ちらりと見やると、黒い大きなローブに身を包んだ長身の男性が立っていた。ローブには控えめに装飾がされているらしく、男性が動くたびにさりげなく輝いている。遠くからだと顔はよく見えないが、令嬢たちがキャーキャーと声を上げており、きっと整った顔立ちをしていることがうかがえる。
「やだ、ヴィクター様じゃない?」
「え、あれが魔法省長官の?」
「そうよ。稀代最強の魔術師と名高いヴィクター様よ!珍しいわね…こういう会には滅多にお姿を見せないから…。皇太子様が幼馴染と聞くから、会いに来たのかしら」
近くにいた令嬢たちも同じく入口の方を見ていた。彼女たちが口にした名前にフローレンスも聞き覚えだけはある。
魔法貴族を束ね、魔術師を束ね、魔法に関する研究や魔法によって引き起こされた問題や事件を解決するための組織。それが魔術省だ。省のトップである長官は、その時の王から任命された魔法貴族の魔術師が務めることになる。一昨年、任命されたばかりのヴィクター・アッシュフォードは、ここ数年稀に見るレベルの魔術師として有名だ。幼い頃から並外れた魔力を持ち、どんな魔法も軽々と扱って見せるという。魔法省の仕事が忙しく、また表に出て目立つのもあまり好きでないとのことで、フローレンスもしっかり本人の姿を見たことはない。
夜会中の視線がヴィクターに向いているなか、少し疲労を感じ始めたフローレンスは会場の外に出ることにした。夜会会場の人の多さに息が詰まりそうだ。会場のすぐ外は王宮の広い中庭につながっており、鮮やかな花々が夜風に揺れている。普段、ロックウッドの屋敷に閉じこもり、夫人やリチャードにこき使われてばかりの毎日を送っているので、こうして外に出て誰の目も気にせず伸び伸びと出来るのは幸せな時間だ。
ベンチでもあれば、座ってゆっくり過ごそうと中庭を彷徨う。花々に誘われながら歩みを進めると、少し奥まったところに白い彫刻が立派に施された石造りの白いベンチを見つけた。夜会会場からは見えにくく、休憩するにはちょうど良さそうだ。フローレンスは腰掛けるとふぅ、と息をついた。目をとじて夜会の喧騒を遠くに感じながら、時々夜風で葉っぱが擦れる音を静かに聞く。
その時だった。ベンチのすぐ近くの茂みあたりでどさりと何かが落ちたような大きな重たい音が響いた。
「な、何の音…?」
全く検討がつかない。猫などの小動物でも迷い込んでしまったのだろうか?フローレンスは静かに立ち上がると、物音がした方へと近寄った。茂みからそっと顔を出し、辺りを見回してみる。すると、すぐ近くのところでぐったりと四肢を投げ出し倒れ込んでいる人がいることに気付いた。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄り、肩を揺する。若い男性だ。端正な顔立ちは蒼白し、眉間はきつく寄せられている。呼吸も浅く、見るからに体調が悪そうだ。フローレンスは地面に座り込むと、彼の上半身を何とか起き上がらせ支える。
「あの、ちょっと大丈夫ですか?」
呼びかけてみるも、聞こえていないのか全く反応がない。誰か人を呼ばねば…そう思案していたとき、フローレンスは彼から滲み出ている魔力の流れが少しおかしいことに気づいた。フローレンスは魔力を扱う古代魔法が得意というだけあって、魔力の流れには人一倍敏感だった。神経を研ぎ澄ませ、彼の魔力に意識を集中させる。次第に彼の魔力の流れがフローレンスにしか見えない輝きとなって浮かび上がってきた。魔力は通常、循環するように体内を巡っているのだが、ぐったりとしている彼からは、ありとあらゆる方向にバラバラに流れていた。体内を巡るどころか、バラバラに流れた先では、身体から流出しはじめており、行き場を失った魔力が彼に縋り付いている。
(こんなに乱れている人初めて見たわ…)
魔力の流れの乱れは体調不良に直結してしまう。倒れている彼は変わらず苦しそうに時折うめき声を上げており、フローレンスは、彼に魔力の流れを整える術を掛けることに決めた。もう一度意識を集中させる。キラキラとした魔力の流れが元の流れになるようイメージしながら、フローレンスは息をつめる。
「う…」
彼から流れ出ていた魔力が少しずつ体内の流れへと帰っていく。魔力が元通りの流れになるにつれ、彼の眉間のシワも和らいでいる。
「よし、これで大丈夫…」
フローレンスが術をかけ終わった頃には彼の表情は随分良くなっていた。魔力もゆっくりと彼の体内を循環しているのが確認できる。上がっていた息も落ち着きを取り戻していた。フローレンスはほっと安心する。術をかけている最中はそんな余裕なかったが、改めて彼の顔を見やると、とても端正な顔立ちをしていることに気付いた。あまり異性との触れ合いが無かったフローレンスにとっては少々刺激が強い。リチャード以外でこんなに異性の近くにいるのは初めてかもしれない。静かに見とれていると、遠くから複数人の足音がバタバタと聞こえてきた。ずいぶん良さそうなローブを着ているし、実はかなり高貴な身分の可能性もあり得る。そうだとしたら、いなくなった彼を探している人たちもいるだろう。
「古代魔法を使っていることがバレたら面倒だわ…」
フローレンスは彼をそっと横たえると、静かに立ち上がった。魔力の流れを見ればなんとなく、どの当たりに人がいるかを見ることが出来る。誰にも出くわさないよう、フローレンスは慎重に庭を移動し、夜会会場へと戻った。
夜会の光は相変わらず眩しく、フローレンスがしばらくいなかったことなど誰も気付いていないだろう。人混みの中をぶつからないように慎重に歩き、静かに壁際へと移動し、壁により掛かる。もう疲れたし、一足先にロックウッドの屋敷に帰ろうか、などとフローレンスが考えていると、突然、リチャードの声が夜会会場中に響いた。
「フローレンス……フローレンス・ベネットはいるか!」
いきなり自分の名前を呼ばれ、フローレンスは焦った。周りにいた貴族たちもフローレンスが壁際にいるのに気付いたのか、チラチラとこちらを見ているのがわかる。こんなところで、リチャードは一体自分に何の用だと言うのだ。急な事態にフローレンスが何も言葉を発せられずにいると、フローレンスの居場所に気付いたらしいリチャードがのしのしと近づいてきた。そんなリチャードの後ろには、先ほど彼と談笑していた令嬢が控えている。
「そんなところにいたのかフローレンス」
「なんでしょうか……」
夜会の会場中がフローレンスとリチャードのやり取りに注目している。
リチャードはフローレンスの前までやってくると立ち止まり、ごほんと咳払いした。そして、
「フローレンス、君との婚約を破棄させてもらう!」
より一層大きな声を張り上げてそう宣言した。フローレンスは急なことにぽかんと呆気にとられる。今日は皇太子主催の夜会。そんなところで婚約破棄を宣言するなど、リチャードは本気らしい。
「婚約…破棄ですか……」
「そうだ、僕はこのミラ嬢と婚約することに決めた。ミラ嬢は君と違って魔法もかなりの腕前だ。ロックウッド家としては今後のためにも魔法の使えない君を置いておくわけにはいかない。分かってくれるよな?」
リチャードの後ろにいた令嬢が、こちらを見てにこりと微笑んだ。ミラ嬢の家は新興魔法貴族の中では特に勢力拡大にご執心の一族だったはずだ。
(金目当てで良いように乗せられたのね、リチャードは……)
有無を言わせない雰囲気にフローレンスはため息をつく。こんなの婚約破棄を受け入れる以外の選択肢など最初から用意されていないに等しい。
「…かしこまりました」
「ああ、それから我が家の屋敷も、明日中には荷物をまとめて出ていくように」
「はい」
フローレンスのその言葉を聞いたリチャードは満足げに頷くと、側にいたミラの手を取り、「ミラ、これで今度こそ僕らは結ばれるんだ…」などと囁いている。後ろにいたミラ嬢も頬染めて喜んでいるようだ。
(でもこれでやっとロックウッド家から解放されるのね……!)
フローレンスもショックを受けているフリをしつつ、内心心では喜んでいた。これで婚約者とは名ばかりの使用人生活ともおさらば出来るのだ。フローレンスは静かに2人のそばから離れる。そもそもこの夜会だって、一応、リチャードの婚約者だからという理由だけで参加していたのだ。もう、リチャードの婚約者でなくなった以上、夜会に参加し続ける理由も無いだろう。それに婚約破棄は、フローレンスにとっても願ったり叶ったりな申し出だ。変にフローレンスが居残って噂されても困る。2人にはぜひ幸せになってほしい。
そんなことを考えながらフローレンスはさっさと夜会会場を後にした。
フローレンスが婚約破棄を宣言されている頃、王宮の裏庭では走り回る足音が複数響いていた。夜会に来たはいいものの、すぐに忽然と姿を消した魔法省長官ヴィクターの居場所を探すため、ヴィクターの直属の部下、ウィルと王宮の衛兵たちが駆けずり回っていたのだ。
「一体どこにいったのか……」
消えた理由は、ヴィクター特有の魔力の流れの乱れによる体調不良だろう。体調不良を周りに悟らせないため、ヴィクターが急に消えるのはままあることだ。
王宮の建物内はあらかた探し終え、あとはもう裏庭ぐらいしか残っていない。盛大なため息をつきながら、ウィルが裏庭へ向かっていると、先んじて裏庭の捜索をしていた衛兵が駆け寄ってきた。
「ウィル殿!ヴィクター殿らしきお方を発見しました」
「お、そうか。ご苦労。ありがとう。その場まで案内してもらえるかな」
「もちろんです。こちらへどうぞ」
衛兵に案内され、その場に向かうと、ベンチ脇にヴィクターがぐったりと座り込んでいた。せっかくの高級そうなローブが土埃で少し汚れている。だが、思っていたより顔色は悪くなく、ウィルは内心驚いた。
「探しましたよヴィクター様。体調は大丈夫ですか?」
「ああ……」
「ふむ、いつもより顔色は良さそうですね、何かあったんですか?」
ウィルの問いかけにヴィクターは座ってだまりこんだまま答えない。目は遠くを見つめており、何か考えているようだった。
「ふう…まあいいです。とにかく、夜会に戻りましょう。皇太子殿も探しておられましたよ。そもそも、仕事の合間を塗って、今日この会に来られたのも、皇太子殿に会うためでしょう」
「……そうだな」
ヴィクターを立ち上がらせるため手を差し出す。ヴィクターは差し出された手を取ると、大人しく立ち上がった。
「いつもすまない」
「慣れてますので」
「そうだったな。さて……ひとまず夜会会場に戻るとするか」
「ええ、そうしてください」
ウィルの一言にヴィクターはふっと笑う。二人は夜会会場の方へ戻るため、裏庭を歩き出した。
花々の間を抜け、夜会会場に向かう途中、ヴィクターは、体調不良が治った理由についてぼんやりと思いを巡らせていた。
これまで、こんなに簡単にこの体調不良が治ったことはあっただろうか。ヴィクターは薄い意識の中で、ぼんやりと自分から遠ざかっていく少女がいたことを思い出していた。その少女が残していった魔力の残り香…。流れのようなはっきりとしたものまでは追えないが、魔力の雰囲気から察するに、たどりつける結論としては……
「…まさかな」
あり得るはずがないと、ヴィクターは頭を振った。夜会には魔法貴族の令嬢たちが何十人と参加しているのだ。たまたまそのうちの一人が使う治癒魔法と、たまたま相性が良かっただけかもしれない。
しかし、ヴィクターが思うよりもかなり早くそれが偶然では無いことが明らかになろうとしていた。