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相沢 謙吉

エリス・ワイゲルト


縫製組合の視察に行ったときに、出資者名簿に女性の名前があるのに、違和感を感じた。いや、これこそが、小国と言われる日本の、そう言われる所以かもしれない、と、考え直した。


アマガタの膨大な書類の独日翻訳を頼みに行った先でも、同じ名前を耳にしていた。


エリス・ワイゲルト


丁寧な翻訳が定評で、独日、、、、フランス語も英語も、、、驚くことにロシア語も翻訳するという。どんな人なのだろう?

興味を持った先で、またこの名前だ。



その人が、、、、まさか、こんな、、、、15.6の小娘だったことに、衝撃を受けた。

しかも、金髪碧眼のどこにでもいそうな娘。


自分も、まあ、確かに出来る。


あんまり多い文章は面倒なので委託してしまうが。

アマガタの書生をしていたころから、語学を身に着けるように厳しく言われた。

アマガタに学費を払ってもらって、帝大に進んだが、結局は彼の人の面倒を見なくてはいけなくて、出席単位はいつもギリギリだった。なにせ、平気で半年もヨーロッパを回ったり、帰国後は、報告書を山のように書かされたりしたから。


仕上がったスーツをアマガタが気に入ったらしく、あの後も何度か注文を入れた。

礼服も作った。職人の腕がいいのか、体になじんで着やすい。

あの女、エリスとも、何度か送りがてら話す機会があったが、、、、、



日本から官費で留学してきている、帝大時代の知り合いが、罷免されたのを官報で知った。まあ、知らない仲でもないので、生活に窮しているらしいそいつに、新聞社の仕事でも紹介しようかと、ホテルに呼んでおいた。まあ、アマガタの力だが。


ロビーに降りていくと、新聞社の者が客人と話し込んでいるところだった。

話している相手は、ソファーの背もたれで見えない。


「・・・・うちとしては、今まで通りあなたに頼みたいのだけどね、、、、」

「いえいえ、お付き合いも大事ですから。お気になさらず。」

「そうそう、この前お願いした書籍の翻訳は進んでますか?」

「ええ、あと2週間くらいあれば。」

「うん、、、相変わらず仕事が早くて助かります。引き続き、書籍の翻訳はあなたにお願いしても?この後、英独の翻訳も。」

「まあ、よろしいんですの?」


なまりのない、上品なドイツ語。

誰?


「ああ、お待たせいたしました。」


挨拶して近づくと、なんと、エリスだった。


「ああ、アイザワさん、こちら、翻訳家のエリス嬢です。たまたまお会いしまして。」

「・・・・・ああ。」

「あら、私はお届け物を届けに来ただけですので、これで。」

「いや、待っていろ。送っていく。」

「・・・いえ、、、本当に大丈夫ですから。」

「僕が、アマガタに叱られるんだ。」

「・・・・・」


新聞社の編集長は二人を交互に見ていたが、本題を切り出した。


「それで、、、頼まれていた仕事ですが、新聞の社説を日本語訳していただく、ってことで?文章自体は文字数がそんなにないので、翻訳手数料は、そんなに払えませんが、、、慣れてきたら、仕事も増えるかと。」

「・・・まあ、いい。早速頼めるか?」

「はあ、、、まあ、、、」


そう言って、ちらりとエリスの顔を伺っている。


「・・・・まあ、アマガタ様のお名前を出されたら、うちとしては断れませんがね。新聞の社説は、社会情勢や文化事情などを鑑みて訳して頂かないと、薄っぺらになってしまうんです。その辺は、、、、大丈夫でしょうかね?」

「・・・ああ、まあ、大丈夫だろう。」

「では、早速、手配させていただきます。」

「よろしく頼む。」


これでもか、というほどの愛想笑いをする。まあ、仕事柄身に着いた癖みたいなもんだ。

編集長は深々とアイザワに頭を下げ、エリスに軽く手を振って退出した。


「コーヒーでも飲むか?」

「え、、、、、?ああ、では、紅茶で。」


手を挙げて女給を呼び、コーヒーと紅茶を頼む。


「・・・お前、、、社会部の記事の翻訳もしてたのか?」

「え?あ、はい。まあ、いろいろと回ってきますので。政治からゴシップ、美味しい料理の作り方、子育て相談、とかまで。」

「今頼まれているのは?」

「ああ、先ほどの?ドイツ海軍関係の書籍ですね。内容は話せません。」

「・・・・・」


しらっ、と、そう言って紅茶のカップに口を付ける。なんだ?この女。


「翻訳家ねえ、、、お前、組合の株も買って、店も仕切って、、」

「あら、隣の小間物屋でも働いているんですよ?」

「・・・そんなに金を稼ぎたいのか?」

「・・・まあ、持てる方にはお判りいただけませんね。私たちは、一歩踏み外すと、それこそ身売りしなければならないほどの生活環境なんです。例えば、父親が死んだら?家が火事になったら?病気になったら?・・・・もう、あっという間に転落します。まあ、、、、あなたほどの身分の方には考えられないことかもしれませんがね。」

「手を差し伸べてくれるものだっているだろう?」

「・・・・みんな、いっぱいいっぱいなんですよ?」


そう言って、ゆっくりとソーサーにカップを戻した。

まあ、仕立て屋の娘だけあって、いつも着ている物は清楚で、物も良い。

長い白い指には、ペンだこが出来ている。


「そうか、、、悪かったな、、、仕事を一つ取ってしまったようだ。」

「お気になさらず。長年やっているので、おかげさまで仕事は沢山来ますから。」

「・・・・」

長年?

「仕事が欲しい人に回せて良かったですわ。困っていらっしゃるんでしょう?」

「・・・・・ああ、、、学生時代の知り合いが、、オオタと言うんだがな、、国費留学してたんだが、どうも、女が出来て、その学費を女に貢いでしまったらしくてな。罷免された。真面目過ぎて、遊んだこともないから、夢中になったんだろう。」


「・・・・自業自得なのでは?」


「まあ、そうだな。そのうち目が覚めるだろう。」

「・・・・・」


それっきり、エリスは何も言わなくなった。

ロビーから見える街並みをじっと見ていた。










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