一年
遅くなったので、そっと玄関を入ると、母が起きて待っていた。
「鼻が赤いわよ?泣いたの?」
「・・・・ん、、、、」
火を落としていなかった台所で、お茶を入れてくれた。
「どうしたの?アイザワにプロポーズでもされた?」
「・・・え?、、、、、うん。私、、、びっくりして、、、あの人、もうすぐ日本に帰るし。」
「一緒に行くのかい?」
「・・・行かないわ。」
「いいのかい?」
「一年たったら返事を聞きに帰ってくるから、って、、、変な人。」
「好きなんだろ?」
「・・・わかんないわ。そんなこと、、、考えたこともなくて、、、、あの人だって、そんな感じじゃなかったし、、、、」
「・・・・まあ、、、、わからなかったのは、お前だけかもね。前からお父さんとも話していたんだよ。もし、お前が行きたいなら、行かせようって。一人娘だったから、いろいろと苦労を掛けたね。うちは大丈夫。ハンスの腕がいいから、養子にしてもいいかな、って。心配いらないよ?」
「え?」
「日本は遠いんだろ?食べる物も違うだろうしね。まあ、、お前なら大丈夫だろう?」
「・・・・・」
まあ、よく考えな、と言って、頭を撫でられた。母は部屋に戻って行った。
ランプに照らされた左手の指輪を眺める。
アイザワの瞳のような、黒い石がはめ込まれている。
「一年かあ、、、、」
信じているわけでも、信じていないわけでもない。
無愛想なアイザワの隣は、居心地が良かった。
恋、と、言われたら、恋なのかもしれない。まあ、、始まったばかりだが、、、、
愚かな恋などしないと決めていたのに、、、、、
・・・・しかも、、、、日本人、、、、
*****
忙しい一年だった。
帰ってくるかもしれない、から、ここを去る準備と、
帰ってこないかもしれない、から、次の生活の準備。
工場で働く希望者に、読み書きと計算を教える。もちろんお互いに無償だ。終業後に、一時間だけ。縫製工場の食堂を借りた。
組合の事務で働いている人が何人か、賛同して協力してくれた。
父の弟子のハンスには、帳簿も教え込む。
お店番のアンナにも。この子には読み書きとフランス語も教えた。あいさつ程度だが。二人には、時々、ベルリン市街地に流行のお洋服を見に行くように言ってある。
結構刺激を受けて帰ってくるようだ。うん、うん、、、
小間物屋は、忙しい時だけ手伝うことにして、新しく入った子に引継ぎをしていく。
まあ、ここは番頭さんがしっかりしているので心配はない。
翻訳の仕事は続けた。
いつ、なにがあるか分からないから。
翻訳の仕事でためたお金は、第二工場を作るときに、出資金で使った。
口座には手つかずの組合の配当金がある。
日本に渡航するくらいのお金はある、、、、まあ、、、、行かないと思うけど。
左手の薬指にはめた指輪を、時折、日に当てて眺める。
きらきらと、、、、アイザワの探るような瞳を思う、、、、、いやいやいやいや、、、、、
翻訳の資料が山のように積んであるが、要らないものは処分した。
コツコツ、荷物も片づける。
窓からふわっと風が入ってきた。月が出ていた。
この月は、、、アイザワを照らしてきたのかな?なんて思う。
恐ろしい夢は、、、、不思議とあれ以来見なくなった。
*****
帰国後の僕はかなり忙しかった。
アマガタのヨーロッパの報告書を仕上げ、帰国歓迎会に付き添い、
着飾ったご令嬢達とにこやかにダンスを踊り、、、、
テラスで、月を見ていた。
皇室でアマガタの養子になる調査と承認と許可。
爵位持ちの外務大臣であるアマガタの、分家筋の三男坊、、、許可は割とすんなり出た。
挨拶回りと、また、お披露目のパーティー。次から次にご令嬢を紹介される。にこやかにそれをかわす、、、、、
並行して、アマガタの仕事の補佐と、ヨーロッパの公使館に行くための根回しと、、、
親はまあいい。
義父もまあいい。
最大の問題は、、、日本人をどこかで信用していないエリス本人だ。
「・・・別に問題ないでしょ?皇室にも届けたし、女性実業家、って、日本にはまだ少ないから許可取れそうだし。何か、、、お前がそんなに心配な事ってあるの?」
ほんわりとアマガタが問う。楽しそうだ。
「ええ、、、僕の好きになった娘は、努力家で、子供のように素直で、、、それで、、、とても小心者なんです。約束の日に一日でも遅れたら、、、、間違いなく逃げますからね?」
「へえ、、、事業は大胆だけどね?縫製工場を組合方式に提案して、出資させたのはあの子みたいだよ?」
「・・・・臆病者なんですよ、、、日本人、嫌いみたいだし。」
「ほほう、、、、大変だな。」
「・・・・・」




